★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
12/5 父の死
 朝3時、加計呂麻島にて。外は雨音。波の音。ウツラウツラしていると母からの電話で目を覚ます。父が亡くなったとのこと。思えば、昨日、4日は墓場の写真ばかり撮っていた。
 僕は因果とか、そんなことは考えたことも感じたこともないので、墓場の写真を撮ったのは偶然でしかない。しかし、加計呂麻の墓は不思議だった。南無阿弥陀仏と十字架が並んでいる。そしてバイクで走っているとすぐに墓場にぶつかった。どの集落も道添いの目立つところに墓場がある。だから、走る、集落、墓場、と言った具合で、いかにこの島では死が身近かと感じていたのだった。
 人は死ぬのだから仕方がない。そしてもう長くはないと数年、考えてきたからビックリするようなことではない。そしてボロボロになりつつも、父は「まだ生きたい」と言っていたのが印象的だった。もういいや、とならずに、まだ生きたいのだと言い続けたのだ。オレが病院に行くとベラベラと喋り続けた。見る度に小さくなり、ミイラに近づいたような感じがしていた。だから、そのまま消えゆくような気になった。
 
 加計呂麻島にはホームセンターもコンビニも何にもない。あるのは小さな酒屋が各集落に一軒ずつ。よって、民宿の主人が昨日、奄美本島に行くというので、合羽を買ってきてもらっていた。ぐしょ濡れになっては仕方がないからだ。朝はザンザン降り。しかし、昼前に上がった。とは言え、いつ降り出すか分からなさそうな天気。昼のフェリーで加計呂麻から奄美本島の古仁屋に戻り、そこからバイクで一気に吹っ飛ばし、名護へ入り、冷え切った身体を温めてから、夜19時の飛行機で成田へ。だが飛行機は遅れ、ともかく夜10時過ぎに羽田着。
 実家に電話をすると母は結構、元気だった。弟もいたが、元気そうな声なのでひと安心で、明日の「Nobody」初稽古に参加してから実家戻りにすることにした。

 父の一生とはどんなだったのだろうと思った。昨日、同じくテレビで作家のヤンソンギル氏による父親像の話を聞いた。卒業の日に映画を見て帰ったら、学校の先生が来ていて、その先生を長く待たせたということで、この野郎、焼きを入れてやると素手で火鉢の中の焼ける炭を掴み自分の頬の側まで持ってきたと言う話。手の肉が焼け、骨が見えていたと言う。凄まじい。そんな父ではまったくなかった。しかし、たぶん、自分の思いと実際とは大きくかけ離れていたのだろうと思う。どれだけのことをやりきれたのか?その不足の思いが、まだ生きたいと言わせたのではないか、と感じるのだ。
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by kikh | 2008-12-07 15:35 | 日々の記録
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