昨夜は、というよりも朝5時半まで写真選択&色味、明るさ調整を行なう。頭がくらくら。
オークボさんは、それからラボに持っていって、六切りサイズでできあがった写真を昼頃に受け取ることになる。
私はわずかに寝て、ブラジル領事館へ。ブラジル行きのビザのためである。頭がふらふらしているため、別の用紙を受け取ってしまい、順番が来たと思ったら、これではダメと言われ、再び一からやり直し。30分も無駄にしてしまった。
と、待ったがかかる。問題が生じたとか。実にビザに関しては頭が痛いのである。
ここを出て、昼からオークボと新宿のトップスで写真の最終確認と順番決め。
何でこんなことを今、必死になってやっているか。それである。当然、みなさん、疑問に思うだろう。
今は私、新宿トップスにいる。昼過ぎである。
実は、この後、オークボ選手と写真の最終確認をして、その後、オークボ、写真評論家の飯沢耕太郎さんのところに写真を持っていき、私の8月18日から9月10日までの個展の最中に、私とのトークを依頼するのである。そのための写真準備なんである。俺にとっても、実は写真の専門家に俺の写真なんぞを見せたことがない。実はびくびくモノなんである。写真と言えば、飯沢耕太郎ってくらい、有名な(たぶん日本で最も有名な)、力のある人だから、認めてくれればいいのだけれどなあ、でも、俺は素人に毛が生えたくらいだしなあ、レンズを買うのに清水の舞台から飛び降りなければ買えないしなあ、と少し気弱になっているが、まあ、なるようにしかならねえ。
今、オークボが来るまで時間があるので、こうやって書いているのである。書いているが、この後、ガックリして、アップできなかったりして。ははは、情けねえって。
と、オークボがちょうどやってきた。そう、写真をピックアップしてやってきたので、後は、どうなるか、ちょっと待った、だ。
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さて、その後。
六切りサイズを見ると、ううん、まあまあ、いいじゃないか!と納得。
その後、1時間半ですべての写真の順番を整理し、オークボ、緊張して出掛ける。じゃあ、行ってきます、と。であるが、ガチガチに緊張してる。まあ、気楽にね、って送り出す。
とは言っても、確かに、これがうまくいけばオークボにとっては大きな励みになるよなあ、だって、毎日寝ないで、必死になって動いてくれたんだもんなあ、おい、オークボよ、ありがとうね、と心の底で感謝する。感謝しても仕切れないなあと思う。でも、こういうことはなかなか声には出せないのだ。
さて、どうなったか。
面会時間から一時間経っても何の連絡もない。これはガッカリして連絡ひとつ入れられないのかなあ、でももう少し待ってみよう。一時間半、何もない。ああ、ダメだったのかなあ。まあ、しょうがねえなあ。・・・と、二時間して、やっとメールが入る。どきどきもんだよなあ。まあ、俺は素人に毛が生えたみたいなもんだし・・なんて、言い訳を並べて、ダメだったときのための準備をしつつ、メールを開ける。俺も審査員はたまにやるけれど、今回は審査される側でもあって、こういう気分を味わうのはいいものだと思ったりしている。
まっ先にオークボ、「小池さん、やりました!飯沢さん、トークにも出るし、文章も書くし、宣伝文句も書く、と言ってくれました!」と。「これで本当に報われた」と、嬉しさが文面から滲み出ている。俺も顔がほころぶ。こんな気分は最近は本当になかったなあ。俺もいい年だけれど、最近になって写真が楽しくて楽しくて、ってなったんである。
そうか、まあいい写真だし、ねえ。と、先ほどまでの「素人に毛の生えたようなもんだし」と思っていた俺はどこへ行ったのか。エライ違い。ゲンキンなもんだ。
それはともかく、オークボさん、ああ、よかったなあ、一緒に大変だったよなあ。だって、つい先日、オークボが「小池さんの写真を飯沢耕太郎さんに見せるんです。いいですか、明後日にアポ取りました。決めました。」、と言われたのが5月10日。「阿呆、おまえ、何考えてんだよ、明後日って、何も準備できるわけねえだろう、どうやってプレゼンするんだよ。相手は飯沢さんだぞ、いい加減なモノを見せるわけにはいかねえよ。」と言うと、泣き出すオークボ。「せめて今月末が限界だよ」、と言って、変更してもらった5月27日であったのだ。
それからである。長野の山奥に写真撮りに行こうとか、どうやってプレゼンするか、とか、相当、ふたりで頭を抱えつつ、動いてきたのであった。だから、嬉しいのはよくわかる。
それからフラフラして自宅戻り。
疲れがものすごい勢いで押寄せてきている。
やらなければならないことを思うと頭が痛い。しかし、気分は絶好調である。
なんか、新人って気分だなあと思いつつ、時間が経っていくのを楽しんでいる。
そういう日であった。