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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
5/31 アートカレッジは
 昨日、遅れ続ける、という話を書いたが、そう、いつも気になって仕方がないのは、朝の地下鉄の遅れである。毎日、毎日、同じように飽きることなく、遅れて申し訳ありませんでした、とやっている。この常套句は聞く度に不愉快になっている。申し訳ないと思っているなら対処しろよ、なんだが、これが単なる挨拶だと、対処する術はない、ということになる。取りあえずの方便である。方便を使われているウチに乗客は慣れっこになっていく。慣れてもらえたら、怒る人も出てこないから、まあ東京メトロとしては安泰である。
 政治でもなんでも、方便である。役所が「善処します」と言ったら、なにもしないのと同じなのだが、そういう方便的不愉快さが日本国内には蔓延っている。こういう風習は僕はまったく好きになれない。それが文化なのだが、しかし、もっとすっきりとした文化の場所に身を置きたいと思ってしまう。

 多摩美で授業を行なうが、いったいどうしたら、寝ぼけ眼の学生たちに勢いを付けられるのだろうと思う。授業には出なくていいと言っているのだから、出なければいいのに、きっちりと出てくる学生が多い。それでいて、半分は寝ぼけ眼である。だから、彼らには生きる力を与えたいなあと思いながら授業をするのである。半分暖簾に腕押し状態だが、けれど、そのうちの2割から3割は、実に真剣に聞いている。俺の力は2割から3割か、と思うと少し残念だが、2割もきちんとしていたら上出来と思わないでもない。
 学校での授業など、たいした意味はない、と僕は思っている。舞台の話を聞いても、どうせほとんどの学生には不必要だろう。しかし、舞台の凄みは、そんなことではない。身体を使ったマルチメディアのアートだということである。それを、やっぱり分からせたいのだ。そうでなければやっている意味がない。そもそも八王子まで出向くのは、そういうことへの期待でしかない。
 美大の学生はもっともっと伸び伸び、好き勝手にやっていいのだ。イヤなら授業など出なければいい。自分のためのアートカレッジである。人のためでも親のためでも就職のためでもない。それがアートカレッジの最も大切な点だろうと私は考える。だから、僕はせめてそれでも出てくる学生たちには、人はなにか?舞台の凄みとはなにか?境界とはなにか?いかなる生き方をするのが望ましいか?・・・そんなことを分かって欲しくて、ずっと喋っている。

 暖簾に腕押し、か、ふうん、なかなか大変だ、これは、パパ・タラフマラは、日本を相手にすると・・・などなど考え、いやになってくるなあと、珍しく考えていたときに、ある音楽家からメールが入る。次の、10月のパパ・タラフマラの新作公演を見ることが楽しみで、それまで頑張れます・・・とあった。まったく、そうだな、こういう人もいるのだなあ、と思うと勇気が出る。俺がやっていることは、こうやって勇気づけたりできるのか、と改めて思う。

 演助の木野とスタバで、ミーティングというか、考えの書き取りをやってもらう。木野は回転が速いので本当に楽だ。助かった。半分以下の時間で済んだ。それでも2時間かかった。キッタナイ顔をしたり、突如、ヘチャムクレ人形みたいな顔をして目くらましを行なうのが玉にきずではあるが、なかなか優秀。
by kikh | 2007-06-01 01:46 | アート
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