★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
カテゴリ:演出( 22 )
 
4/11 吉祥寺シアター
 今日から吉祥寺シアター入り。
 
 仕込みの後、研究生ひとりひとりの作品の明かりあわせ。
 その後、「レンチ」の明かり作り&通し。
 「レンチ」は、1年半後に行う作品のワークインプログレスと位置づけている。女ばかりの強烈さが漂っている。これは是非、見て欲しく思う。
 今日の「レンチ」より写真を1枚アップしておく。もちろんぼくが撮影している。
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by kikh | 2006-04-12 01:33 | 演出
 
3/27 サントリーPEPSI NEX
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 朝、5時半起きで歌舞伎町行き。
 サントリーPEPSI NEXイベントのため、7時からロボットに乗る。3.5メートルのロボットの操縦を行うが、こりゃあ凄い。最初から演出家タイムを設けてもらって、ロボット試乗を行ったのである。なれないとこれは怖かった。さて、どうしようと思っていたら、海東健さんが登場。海東さん、瞬く間に運転を覚えてくれたので、難し目のライン取りをすることにする。
 海東さんはなかなかにすっきりとした男だったので気持ちよくできた。

 さて、ここから一気に10時半終了のリハーサル、ゲネを目指す。
 ゲネが終わったとたんに、プロデューサーの榎本了壱さんが「オモシロイ!」と言い、カメラマンが「こりゃあすげえ」って言ってくれたので、一応、ホッとする。

 本番は12時半。本番になると佐田さんの髪の毛がさらにパワーアップ。逆立っていて凄い。
 動きはまだまだのところがあったけれど、まあ、しょうがない、企画が持ち上がって約一週間、たったの6回の短時間稽古、やりくりが大変で決して満足はしていないが、時間的にこれで精一杯だった。楽しんで一所懸命やって、まあ、それなりには見せられたとは思うのでよしとしよう。


 グッタリと疲れたが、サントリーの宣伝部長をはじめとして、皆々さま方から賛辞をいただき、安心する。


 
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 少し新宿の街を歩き、一度、自宅に戻って風呂に入り、すぐに中野行き。税理士の林さんと話し。いろいろと難しい。
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by kikh | 2006-03-27 23:03 | 演出
 
3/4 ワークショップ
昼から5時間のワークショップ。

会場に行くとディレクターの塩谷さんがNew York Times を持って、とても喜んでいた。いい批評が出たようである。やったね、と我が事のように喜んでいる。まあ、パパ・タラフマラのNYCデビューを仕掛けた人としては当然か。でも、これでぼくもかなりほっとした。オカシナほどオファーが来るだろう、とも書かれていた。

さて、ワークショップ。20名、集まっていたが、驚いたことに年齢層の高いこと、高いこと。最初、Japan Society に着いたときは、全員が老人ばかりで、ゲッ、こりゃあ、なんじゃ、と思ったが、最終的には半数近くは若い人たちになった。とは言え、年齢の高さは劇的である。平均年齢で40歳は越えているだろう。
ダンス経験のある人たちということで集めたらしいが、ある人は自分はプロのダンサーであり、コレオグラファーであり、演出家であり、音楽家であり、教育家であり、・・・すごい肩書きを疲労してくれた。これだけ聞くとなかなか、なんであるが、実際は、プロのダンサー?どころか、超初心者って感じだし、時間感覚もないし、ううん、これは不思議の国のアリスで、おかしな世界に迷い込んだような感覚に陥ってしまった。
それでもこのオカシサが好きな私としては、楽しんだ次第である。老人たちの滋味溢れる動きと表情がなんとも良かった。

今日はアメリカ人の小川彩ちゃんが通訳をしてくれたので、かなり助かったけれど、やっぱり面白いのは通訳が入ると、日本語でしか考えなくなる自分がいて、咄嗟に英語で話しかけられても聞こえてこなかったりするのである。
5時間で22分の簡単な作品を作った。まあ、所詮5時間だから、その程度でしかないのだけれど、まあ、それなりにはなったと思う。

終わってからWooster Groupの舞台を見に、ブルックリンまで行く。途中、目の前でF線の電車に行かれてしまってから、次の電車が来るまで20分近くも待った。余裕をもって出てきたはずが、いらいら。なんとか無事、ブルックリンの劇場まで着いたが、公演が始まるとウトウト、ウトウト。面白いと言われて来たが、ずっと速射砲のようにまくしたてるので、何を言っているのかわからず、すると別に動きが面白いわけでも、舞台装置が面白いわけでもないので、どんどん辛くなってくる。ワークショップの疲れも重なり、身体も暖まってきたので、熟睡するところであったが、意思の力で踏みとどまり、見続けた。でも、まあ、どうでもいいか、って舞台だった。

ブルックリン橋のたもとにある劇場で、その近辺を少し歩いてみると面白い。廃墟的な建物ととても現代的であるショップが一体となっているような地域だ。ふらりと歩くと、いつものことだが、ああ、やっぱりアメリカはエドワードホッパーの画なんだなあ、と思うのである。なんだろう、この感覚は。アメリカにはアメリカの匂いがあり、それはどんなに現代的でも、どこか寂しさを秘めているような、なんとも空虚感の漂う匂いとでも言えばいいか。

折原美樹さんに誘われていたので、Bowery Street のレストランに行く。なんでもマーサグラハムカンパニーのプリンシパルばかりが集まっての誕生パーティなんだとか。だからそれなりにみんな年齢が行っている。今はグラハムカンパニーの男性陣は全員ゲイだという。見ているといろんな人間模様があって面白かった。
とっても不思議だったのは、最終的にはみんな自分が食ったものをきちんと自分が食った分として置いていくというシステムがアメリカだということだ。まあいいや、面倒だからさ、ざっと割り勘で、にはならないらしい。何を食い、何を飲んだかまでみんなで申告している。
いつの間にか折原さんはグラハムカンパニーの最年長になっているという。いつ引退するか、それを探っているとも。でも、引退などせずに、ずっとやり続ければいいのに、と思う。何も同じ踊りを踊る必要はないだろう。でも、いろいろと悩むのだろうねえ。

夜中1時半まで飲み食いし、フラフラと酔っぱらって、NYCのダウンタウンを歩き出すと寒い。カクカクとアゴが鳴っている。
タクシーでホテルまで戻ってくる。
パッキングをまだしていない。ああ、やべえ。明日は朝6時15分には起きなければ、と見ると、パッキングを終えた時刻がもう3時半だ。
2時間半も寝れねえなあ、と思いつつ、これをニューヨークラガーディア→デトロイト行きの機内で書いている。そしてデトロイトで乗り換えて、成田行きである。
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by kikh | 2006-03-06 17:19 | 演出
 
3/1 ニューヨーク二日目
 たまにニューヨークに来ると、なんとなく晴れ晴れとした気分になる。
 すっきりと、そして晴れ晴れと、空気感が何をしてもいいんだ、と言われているような、そんな気分にさせられる。
 あまりそういう土地はない。どこにいてもしがらみだったり、重々しさだったり、地べたをじっとりと這っているような気分にさせられることが必ずある。
 ここの空気は格別だ。

 9/11を言うのは禁句ではないが、とってもデリケートさを要する。そしてつい、マンハッタンの南の方を見てしまうのも僕は癖になっている。この晴れ晴れとしたニューヨーク、実際には見たこともないのに、繰り返し飛行機が突っ込んでいくさまが脳裏に走るのは無理もなかろう。あれはテレビ画像に映し出された現代のマイナス面でのイコンのようなもので、あれから僕たちはどれほどの思考を巡らしただろうか。だが、まるで足りない。まったく足りない。その足りなさと飽きっぽさと冷ややかに残る残忍性がどこかしらぼくたちの背後に潜んでいて、だからほとんど先に進んでいかない。もどかしい思いばかりがマンハッタンの南の空に光っている。

 さて、3月に入った。
 「島」の仕込みは順調で、それも当然と言えば当然。通常、一日仕込みで行なうのが「島」だからだが、一方ではこのJapan Society はつり込みに時間がかかるから仕方がない面もある。
 ここでは音響はぼくが担当する。


 帰ってきて、ナカジマと打ち合わせ。
 ナカジマの部屋へ行くと、これまた瀟洒な部屋で、おれの部屋よりも素敵である。まあ、ええがな、なんではあるが、このホテルの正式レートを見ると369$となっている。税金を加えたら約400$。ゲゲッ!やっぱり一泊5万円近いではないか。ガチョーン!!素敵なはずだ、とは思った。実に今回のツアーのホテルはどこも素敵だった。

 と、今回のツアーのエージェントであるキャシーからメールが入り、「HOG/百年の孤独」のDVDを送ってくれと数カ所からすでに言われている。すぐにツアー化に向けて動き出したいとの話が入った。実現すればこれは素晴らしいことだ。だが、「HOG/百年の孤独」のツアー実現化は実に大変だとは思うけれど。
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by kikh | 2006-03-03 00:57 | 演出
 
2/11 Ottawa Performance
今日の公演は素晴らしかった。
 UCLAではまだいろいろと問題もあったが、このパフォーマンスは最高に良かった。
 オーディエンスも素晴らしい反応を示していたし、今回関係したすべてのスタッフがエクセレント、二年以内に是非、来てくれ、みたいな言い方で讃えてくれたり等、すごく、すばらしく、最高の反応で、皆が応えてくれた。
 聞いてみると、この劇場での最高の反応だという。
 こちらの最もやかましい批評家の反応もとても良かった、とのことであった。
 終わってから、レセプションに駐カナダ大使や一等書記官など大勢の大使館関係者も来てくれたけれど、見た経験はないが、ともかく素晴らしいを連発してくれた。
 ここのディレクターのキャシーは、もう来年以降の話をし出した。「HOG/百年の孤独」をやって欲しいという。可能ならば、是非である。
 ともかく、いい反応ばかりで、とっても良かった。
 
 ううん、今日はあまりにいいので、今、酔っぱらってしまっている。
 舞台をやって良かった、と思えるのは、こういうときだ。最高だ。ああ、なんという至福の時間か。

 今、ジャスト0時。ああ、明日の朝、6時前にはバス出発である。アナーバーに向けてだ。
 じゃあ、あすの昼には、もうアナーバーで仕込みに入っている。こういうとき大変なのはスタッフである。
 感謝以外のなにものでもない。

 ともかく「Ship in a View」参加者、並びにNational Arts Center の皆々様に感謝である。


 と書いてから、眠くないので、写真を撮りに夜のオタワを歩いた。2時間も歩いただろうか。
 息をしていると鼻から出てくる水蒸気が全部、髭について、髭で氷の結晶となってこびり付いていた。これには驚いた。同じく襟巻きをかなり上まで上げていたのだが、その襟巻きに氷がびっしりと貼り付き、パリパリになっている。
 ううん。さむううううううい。写真を撮るために、自転車用手袋をしているが、もう指先はかじかんでしまって、限界だった。夜中2時半に戻ってくる。

 
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 パッキングはほぼ終えている。
 眠らなくては。
 明日は5時45分のバスに乗る。
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by kikh | 2006-02-12 14:29 | 演出
 
自己満足
 今朝、僕がテレビをやっていた大昔にとても尊敬していたテレビディレクターからメールを頂いた。今ではテレビ製作会社の社長をしている方だ。
 抜粋すると以下のような内容。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりに拝見しました。
感動しました。
あれほどのエネルギーを、引き出し、育み、制御する演出力は大変なものです。圧倒的でした。
25年の歳月は確実に、稔に向かっていたのだと、確信しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 自分が、信頼し、尊敬した人からの意見だからとっても響いてくる。ずしりと感じさせる。重い。25年前、僕はテレビディレクターをしていたのだった。その時代から、もちろん私のことは知っているわけで、タラフマラの最初の作品から見てくれて、9年前からは会うこともなくなり、今回9年ぶりに見に来てくれたのだった。

 僕は、結局、人はどういう生命体でありたいと望んでいるのか、そういう局面に立っていると思っている。しかし、世間はまるで逆の方向に動いていく。

 先日の浅井さんとのトークの時に、ある中年の女性から質問があった。
 「どう見てもらってもいい、というのは、自己満足でいいということではないですか?」という質問。
 それから自己満足とはなんであるか?ということについて考えている。自己満足でない作品とはどういう作品を指すのか?誰もが楽しめる作品だろうか?だが、誰もが楽しめる作品とはどういう作品を指すのだろう?劇団四季みたいな作品なんだろうか?映画で言えば、ハリウッド映画こそが自己満足に陥っていない作品で、その“とき”に合致した作品であるということだろう。
 しかし、誰もが楽しめる、という言葉は非常に危険性を孕んでいる。つまり後ろ向きだ、ということである。あるいはマーケティングに則った作品ということだろう。何が受けるかを考え、どうすれば客が入るかを考え、どうすれば客の要求に添った演出になるかを考える、そういう作品である。
 今では、ゴッホは巨匠である。しかし、あの当時、ゴッホはまったく売れない画家で、しょうもない厄介者でしかなかったはずだ。だからと言って今ではゴッホを自己満足ばかりやって、という人はいないだろう。ゴッホの画を見て感動する人たちはどこにでもいる。なぜなら、ゴッホの画には存在の凄みがあるからだ。
だが、舞台芸術はそれではいけない。なぜなら、興行だからである。まったく売れなければ、作品の発表などまったく不可能になる。ひとりならば画を描いてもいられるだろうが、舞台芸術は相当数の人間が動くのだから、金が必然的について回ってくる。
 だが、それでも僕は舞台芸術でありたいと思っている。単に楽しめる作品ではなく、何が「HEART of GOLD」であるか、追求したいと思っている。そして自己の満足しない作品ではしょうがないと思っている。
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by kikh | 2005-12-13 18:54 | 演出
 
12/10 マチネ&映像撮影
 本来は今日と明日はNHKの芸術劇場が撮影する日であった。
 しかし、これが飛んだのは1週間前の事である。突然、なくなった。版権の問題が残っているものを撮影できないというのが理由である。

 問題は「HOG/百年の孤独」は「百年の孤独」なのか、ということである。そうでありつつ、違う。ここが大切だ。名称は同じ名称を使っている。しかし、内容はあくまでも「百年の孤独」からインスパイアーされたものであって、「百年の孤独」ではない。
 そもそも「百年の孤独」などはできっこないのである。あの壮大な小説をいったい、どうしたら舞台化などできるだろうか?しかし、私は「HOG/百年の孤独」は「百年の孤独」だと思っている。なぜなら、その中心に位置する何かを私なりに捉えて、私なりの「百年の孤独」に変容させたからだ。しかし、その変容の仕方は半端ではない。

 だから、NHKの突然の撮影中止はきわめて痛い事態であった。なぜなら、私たちが撮影する準備などはしていなかったからだ。
 しかし、この作品は私の思いがこもっている。それをやはりきちんと残さないと悔いが残る。だから急きょの撮影を佐々木成明さんに頼んだのであった。佐々木君とはもう20年のつき合いになる。何をやりたいかも充分分かってくれている。問題は常に資金ではあるが。

 今日はしんどかった。
 公演後にアップリンクの社長である浅井さんとのアフタートーク。
 それから西日本新聞社の取材。
 それから数カ所の撮り直し。
 もう頭がグラグラだ。

 それにしても素晴らしい感想を寄せてくれたある写真家がいる。今日、見てくれた方だ。名前を伏せて掲載させて頂く。

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小池さん:

何とも味わい深い作品でした。
スタートのハイテクな躍動感は、ディズニーランドのジェットコースターに
始めて乗ったときのようにスリリングで、一瞬にして頭は日常のもろもろから
離脱していました。

ラップは『百年の孤独』の重い部分を払拭してくれました。
舞台に広がる世界は、ある時には自分の近くにあり、またある時には
浅い眠りの最中に見る夢の光景のように感じられるのでした。
もはや、私の身体時計は一定のスピードで音を刻むことを止めて、
魔法をかけられたようにして、直観の嵐が脳裏を駆け巡りました。
けれども、私の眼が追い続けるのは、冷静沈着に繰り広げられる
言語不在の空間マジックでした。
数々の色彩が断片で、または連続性で、関係性の余韻を孕みながら
文句無しのビジュアルセンスで現れては消えてゆきました。
美しい旋律の音楽も、ハートビートな音楽も、物悲しい調べをもつ
音楽も全ては視覚化されて、ある種の映像と化して、優しくそして
激しく、私の胸をうつのでした。
このようにして隔てられた場所にありながら、相手の肉体に触れること
もなく、その舞台上の身体から発散されるエネルギーによって
再構築され可視の世界へと変容する空間が、例えることのままならない
非日常的な速度で、けれども限り無いリアリティを持って迫ってきました。
もう耐えられない...そう思いかける瞬間に世界は変容していきました。
本当にどのくらいの時間が過ぎたのか、舞台を観ている間、私は心の開放感
を感じながらも、自分自身の心の発見をも繰り返していました。
ラストに降った雪は、まさしくピュアホワイトに空間を浄化していく風情の
真白にそ雪は降りける雪でした。けがれのない雪が、限り無い恩情をになって
私の心に音も無く降り積もっていくのを感じた時、涙がこぼれました。
潤沢な知性と、理知的な冒険心を携えた演出家が切り開く地平を、
限り無く純度の高い濾過装置となって見つめていました。
棺に灯る明かりは、魂の再生を意味するのではないかもしれません。
光に包まれた女性の姿も輪廻や再生を示唆するものではないのでしょう。
しかし、私は最後のシーンで、舞台から希望のバトンを渡されたように
感じたのでした。暖かい余韻に包まれるラストシーンでした。

言葉は本当に便利なものですが、体験を言語に置き換えるのは
とても難しいことです。それでも、私の中でこの最初のインプレッション
が変容する前に、小池さんに感動をお話したかったのです。
小池さんの才能に感動し、嫉妬もしました。

東京公演の初日を観た夫も大いに愉しみ、やはり希望を見い出したと
いうようなことを語っていました。
夫は都市の景観と建築を撮る写真家です。

まずは公演のご成功おめでとうございます。 

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なぜ、この文が素晴らしいかと言うと、身体で受け止めることの重要さを感じさせるからである。
昨日書いた朝日新聞の評とは正反対だ。
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by kikh | 2005-12-11 03:15 | 演出
 
11/2 新しい街の
稽古。稽古。
 稽古は続くよ、どこまでも。

 今日の通しは良かった。力を抜くことがいかに肝要か、認識して欲しいなあ。
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by kikh | 2005-11-03 02:14 | 演出
 
11/1 衣装合わせと稽古
 午前中は衣装合わせ。
 根幹から変えざるを得ないような時は失礼。


 今井さんが入る。下町さんも入る。しかし、下町さんとか、工藤さんとか、バナナさんとか、いろいろ呼び名はあるが、ここはゲンサンということにしようと決定。下町兄弟の工藤さんは、本名は玄実で「もとみ」と呼ぶ。よってゲンサンだ。

 ますます楽しくなる。どんどん楽しくなってくる。
 途中、たまおが抜ける。途端に空気感が変わる。どうもやっぱりひとりでも抜けると、実に難しくなってくる。

 通しは、まあ、こんなもんか、という感じ。たまがいなければしゃあねえんである。
 
 終わってから日経新聞のインタビュー。とは言え、もう夜10時を回っているので、結局、ファミレス。毎日毎日ファミレスである
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by kikh | 2005-11-03 02:12 | 演出
 
10/30 ワークショップ発表日
 本日、早朝より稽古。
 稽古は続く。疲れは、6日間稽古休みなしラスト稽古日なので、疲れはたんまり溜まっているだろう。
 朝、縫原とミーティング。それにしても音楽が大変なのである。アメリカと日本とのメールのみでのやり取りは。

 今日は下町兄弟が初稽古参加。まだ浮いているが、ダテに年を重ねているわけではない。シルベストレと対になるところなんざ、なんとも言えず、楽しい。
 
 関口が休みで、その状態で通しをする。やっぱり非常に難しい。関口は大きな、空気を作り出す役割を果たしているので、なんかスカスカするのである。舞台とは、実に細かなバランスで成り立っていることを実感。まあ、いつも実感に継ぐ実感なのだけれども。

 夕方、明日からのつくばでの写真展のための、最終写真チェックを行なう。結構、奇妙な雰囲気が醸し出せそうである。明日は、そう言えば、筑波大学での講義もあるではないか。いやあ、何も考えていない。まあ、たったの1時間15分なので、思いを語っていれば、すぐに終わってしまう時間ではある。

 それからワークショップ三日目。
 最終的には26分の作品になる。面白い。なかなか面白い。

 けれど、どうにもやることが多すぎて、追いつかない。次から次へと降ってくるようである。
 それをいかにしてこなしていくか?問われる。

 珍しく、0時ちょい過ぎに戻れる。とは言え、仕事だ。

 
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by kikh | 2005-10-31 01:18 | 演出


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