★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
カテゴリ:アート( 42 )
 
パパタラファイナル美術館
パパ・タラフマラ ファイナル美術館が始まった。8/10までなので、お忘れなく。

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by kikh | 2011-08-03 06:58 | アート
 
発起人
それからパパタラ・ファイナル・フェスの発起人に二人加わった。

是枝和裕さんと木佐貫邦子さんだ。

是枝さんとは水曜日に会って話をすることになっている。しばらくぶりで楽しみだ。
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by kikh | 2011-07-10 20:13 | アート
 
韓国人ダンサー
 今はベルギーで活躍するダンサー、イェヒョースンと一緒に何本か作品を作っているが、あの男はすごかった。身体が自分の速さに悲鳴を上げるのである。つまり自分自身のコントロール以上の速さや切れを持っていた。それでいてひょうきんさも持ち合わせ、韓国社会では逆にはじけ出される奔放さもあったから、僕とも気が合ったし、すぐに韓国を飛び出し、ベルギーに行ってしまったのだろう。韓国は面倒な社会だが、であるがゆえに、そこに安住した人にとっては、守られた社会ということになる。
 日本はそこまでではない。だが、ふやけている感触がすごく強い。
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by kikh | 2010-07-17 07:44 | アート
 
海外での作品制作
 この前、インドネシアで実施した「ガリババの不思議な世界」の報告は、国際交流基金が発行する(実際に書店で販売されている)「をちこち」という雑誌に書いた。一番の主眼点は、このような作品制作がいかに他国のアーティスト、そして文化を超えたコミュニケーションに有効であるか、ということである。今も、アラタマはしょっちゅうインドネシアの連中とチャットをしているという。みんな、非常に懐かしがり、またやりたいという気持ちを強く持っているとのことである。これは嬉しいことだ。しかし、それ以上に、何をしたか、それを自分たち自身で検証し、次に繋げていく動きを作って欲しいというのが僕の望みである。僕は僕で、当然、文化圏の違うアーティストと一緒にやると、別個のベクトルを持って動かざるを得ず、これが何とも面白く、そして世界はやはり広いと思わざるを得ない。世界は一様ではない。もちろん個人も一様ではない。文化はきわめて多様であることが活力に繋がる。

 思えば、日本では、このような動きに対して、いったいどんな意味があるのか?などと言う方々も多い。しかし、世界はそうではない。その意味を必死になって探し、何とかして文化の豊穣さを取り戻し、次に繋がる動きを作ろうとする人たちは非常に多いのだ。
 昨日、トビーがまた、バンコクで作品制作をする気はないか?と聞いてきた。どうなるか分からないが、可能性はもちろんある。同時に今、アイルランドでの作品制作を実施すべく動いているが、ヨーロッパの経済悪化の状況により、難しくなりつつあり、困った、と思っていたら、韓国側との話が進みつつある。日本は本当に内向きで、どうすれば世界が良くなるか、もっと我々は真剣に考えねばならないとヒシヒシと感じるけれど、でも多くは安穏とし過ぎている。
 目を開かねばならない。
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by kikh | 2009-08-25 12:39 | アート
 
7/23 ワークショップ
 広州でのワークショップは連日50名近い参加者がいた。
 昨日のワークショップには不可思議な連中がいて、なんじゃありゃと思ったら、今日、話しかけられ、結局、韓国人で、なにもボクが言っていることが分からなかったらしい。16歳の通訳のシゼンちゃんは日本語⇔北京語の通訳だからだ。それならやっぱり英語⇔北京語の方がこういう場合は良いのかも知れないなあ、と思った次第。
 であるが、この韓国人ダンサーはイェヒョースンに似ていると言うと、あいつはオレより10歳も年下だよ、と言っている。そして「Ship in a View」をSIDANCEで見て、感動したと言う。サンフランシスコから来ているコレオグラファーもまた、来年のサンフランシスコ公演にはすでに見に行けるようにチェックを入れた、と言っている。まったく世界は狭い。

 ワークショップは2日間で約90人を相手にした。しかし、2時間ずつなので非常に短いWSで、すると、どうしてもやっているボク側にもフラストレーションが溜まる。もっとなんとかできるだろうという思いがある。
 だが、中国人は面白いなあ、と思ってしまった。なんだろう、これは。なにかあると思わせるものが確かにあるのだ。えぐっていくといろいろと出てきそうな気配が漂う。ウーン。やっぱり日本人よ、フンドシを締めてかからねばならない。ネイションステートは終わりそうで終わらない。中国のように国を拡大することを目指しても、もはや意味がないが、そうは言っても、実際は違う。違うと言うことが一般化されない限りは、意味を持つ。もちろん崩れてはいるけれど。

 パパ・タラフマラ人気はなかなかスゴイものになった。
 ぼく自身も、いったい何人にサインをし、一緒に写真を撮ったことか。こんなにサインをしたことは生まれて初めてだ、というくらいのサイン攻めである。
 
 シゼンちゃんは、16歳だが、将来は映画監督になりたいという学生からの質問があったあとで、「若いですねえ」なんて言っておる。いやいや、いやはや。なんとも早熟。

 夜にはあらた真生もソロで出演するソロ特集の公演を見た。
 3つの公演。どれもそれなりに楽しめるが、もうひとつ欲しいという感じだった。香港、日本、イタリアからの出演者たち。

 終わってから、広東モダンダンスカンパニーの芸術監督である藩さんと飯を食いに行く。
 彼は香港のCCDCに長くいた人で、香港出身。NYCではジュリアードにいて、NYには5年いたという。彼も同じく、「三人姉妹」を堪能した、そこで、すぐに是非ともコラボレーションプログラムを作っていきたいという依頼だった。広東モダンダンスカンパニーの連中の技術的力量は相当高い。さすがに半分はNationalだけのことはある。
 オレが広東でダンスカンパニーの連中とワークショップをし、作品を作り、パパ・タラフマラの連中がやってきたり、広東の連中がパパに来たり・・・・と、そのようなプロジェクトを即刻進めたい、ついては・・・・と具体的な話になった。
 おまえのウチだと思ってくれ、いつでも歓待する、好きなときに来い、とまで言ってくれる。夜中1時まで飯を食い、酒を飲み、しかし、そのフラフラの身体で車を運転して送ってもらうことにあり、いやはや恐い恐い。こちらでは飲酒運転はどうなのでしょうねえ。

 まったく話を聞くだけでも、日本の状況がいかに最悪であるかが分かる。金のことなど、比較にならないほど、パパ・タラフマラよりも持っている。
 彼らは少なくともボクたちの年間予算の7~8倍はあるだろう。日本の文化行政の拙さは、必死で対応しないとどんどん悪くなってしまう。まったくモノを作っていくに、苦し過ぎだ。本格的に動き出す必要があると感じた。
 
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by kikh | 2008-07-24 16:43 | アート
 
ヤノベケンジさんとのMTG
 ある知人がロンドンに4,5年は住むことになる、と連絡してきた。思えばロンドンの物価は信じられないくらい高い。今や地下鉄初乗りは900円くらいするという。

 日本では常に、核武装反対と核武装賛成がせめぎ合う。
 人類という視点で見れば、核武装反対は絶対に正しい。みなで核武装して墓場に入りましょう、遅かれ早かれ、という視点でいるなら、さっさと核武装し、どうやって北朝鮮や核保有国と渡り合えるか考えればいい。しかし、常に必要なのは希望だ。短期的には、核武装は有効手段だろうが、長期的に見たら、核放棄しかないのだ、我々には。ところがどっこい、人間は厄介で、それが人間と言えるのだけれど、人は一方では欲望の塊であり、権利を主張する生き物であり、所有欲の芽生えが起きて以来、行き場がなくなってしまっている生き物である。そしてそういう所有に成功した者を讃えてきたのが人間である。
 今でも同じだ。まったく同じだ。今の日本も、結局、努力して金を儲けられる構造を作りだした人たちに引っ張ってもらいつつ、日本経済全体を上げようと言う発想が、格差をさらに生み出している。その市場主義的発想が世界中に格差を生み出して、怨嗟を生んでいく。世界は怨恨の塊と化しているが、その雪解けをどうやって計ればいいのか?目には目をの発想が可能だったのは、小さな武器でのやり取りしか出来得ない時代のことで、核武装した今、目には目を、では、もう死に行く塊と我々は化すしかなくなってしまう。

 今日は大阪に来て、ヤノベケンジさんの「トラやんの大冒険」展を見、そしてそのまま、打ち合せに入った。ヤノベさんとは次の「ガリバー&スウィフト」で美術で関わってもらうことになっているので、その第一弾としての初顔合わせである。
 この展示を見た時点で、「ガリバー・スウィフト」に彼に入ってもらおうと考えたのは正解だと思い、実際に会って、話をしてみて、ますます確信した。夜行バスで大阪入りしていたオークボは強烈なヤノベファンでもあって、この人に言わせると僕もヤノベケンジさんも、妄想の塊なのだという。塊かどうかはともかく、すっきりと非常に気分の良い時間を過ごした。意気投合したと言ってもいいと思う。
 で、なぜ、上記のようなことを書いたかと言うと、「トラやんの大冒険」は、そういう人の心にある核問題みたいな問題を扱っているように思ったからだ。それはぼくもまったく同じで、ところがオレの場合は、たぶん10年くらい前までは非常に誤解されたまま伝わっていたのだろうと感じるのである。そこで核心に触れられなかった方々はパパ・タラフマラの舞台を見るという行為から去っていったのかな、と思わざるを得ない。

 さて、それはともかく、楽しい時間がこれから10月に向かって始まる予感がたっぷりあった。
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by kikh | 2008-01-12 13:14 | アート
 
BAM・ホームページでのShip in a View映像
http://www.bam.org/events/08SHIP/08SHIP_video.aspx

現在、NYC、BAMのHP上に「Ship in a View」の映像宣伝が載っている。

数人から、BAMのプログラムを見たが、素晴らしかった、というコメントが届いている。
プログラムを手に入れるのは大変だろうが、是非、この映像を見てみてください。
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by kikh | 2007-06-14 23:31 | アート
 
5/31 アートカレッジは
 昨日、遅れ続ける、という話を書いたが、そう、いつも気になって仕方がないのは、朝の地下鉄の遅れである。毎日、毎日、同じように飽きることなく、遅れて申し訳ありませんでした、とやっている。この常套句は聞く度に不愉快になっている。申し訳ないと思っているなら対処しろよ、なんだが、これが単なる挨拶だと、対処する術はない、ということになる。取りあえずの方便である。方便を使われているウチに乗客は慣れっこになっていく。慣れてもらえたら、怒る人も出てこないから、まあ東京メトロとしては安泰である。
 政治でもなんでも、方便である。役所が「善処します」と言ったら、なにもしないのと同じなのだが、そういう方便的不愉快さが日本国内には蔓延っている。こういう風習は僕はまったく好きになれない。それが文化なのだが、しかし、もっとすっきりとした文化の場所に身を置きたいと思ってしまう。

 多摩美で授業を行なうが、いったいどうしたら、寝ぼけ眼の学生たちに勢いを付けられるのだろうと思う。授業には出なくていいと言っているのだから、出なければいいのに、きっちりと出てくる学生が多い。それでいて、半分は寝ぼけ眼である。だから、彼らには生きる力を与えたいなあと思いながら授業をするのである。半分暖簾に腕押し状態だが、けれど、そのうちの2割から3割は、実に真剣に聞いている。俺の力は2割から3割か、と思うと少し残念だが、2割もきちんとしていたら上出来と思わないでもない。
 学校での授業など、たいした意味はない、と僕は思っている。舞台の話を聞いても、どうせほとんどの学生には不必要だろう。しかし、舞台の凄みは、そんなことではない。身体を使ったマルチメディアのアートだということである。それを、やっぱり分からせたいのだ。そうでなければやっている意味がない。そもそも八王子まで出向くのは、そういうことへの期待でしかない。
 美大の学生はもっともっと伸び伸び、好き勝手にやっていいのだ。イヤなら授業など出なければいい。自分のためのアートカレッジである。人のためでも親のためでも就職のためでもない。それがアートカレッジの最も大切な点だろうと私は考える。だから、僕はせめてそれでも出てくる学生たちには、人はなにか?舞台の凄みとはなにか?境界とはなにか?いかなる生き方をするのが望ましいか?・・・そんなことを分かって欲しくて、ずっと喋っている。

 暖簾に腕押し、か、ふうん、なかなか大変だ、これは、パパ・タラフマラは、日本を相手にすると・・・などなど考え、いやになってくるなあと、珍しく考えていたときに、ある音楽家からメールが入る。次の、10月のパパ・タラフマラの新作公演を見ることが楽しみで、それまで頑張れます・・・とあった。まったく、そうだな、こういう人もいるのだなあ、と思うと勇気が出る。俺がやっていることは、こうやって勇気づけたりできるのか、と改めて思う。

 演助の木野とスタバで、ミーティングというか、考えの書き取りをやってもらう。木野は回転が速いので本当に楽だ。助かった。半分以下の時間で済んだ。それでも2時間かかった。キッタナイ顔をしたり、突如、ヘチャムクレ人形みたいな顔をして目くらましを行なうのが玉にきずではあるが、なかなか優秀。
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by kikh | 2007-06-01 01:46 | アート
 
4/22 台本
 今日から「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」の台本書きを進めることにした。
 全キャストが決定し、スタッフもほぼ決定したので、やっとスタートラインに立てたと言った方が良いだろう。
  
 どうにもこうにも、しかし、雑用が多く、集中できない。電話やメールで思考が途切れる。だから、海外に行ってしまった方がはるかに集中度は増すのであるが、まあ、仕方がない。最終的には、シンガポール公演後に集中して書けばいいのだから。
 それにしても、夏のツアーが決定しない。いや、マニラ、ヘルシンキ、クアラルンプールは決定しているが、オウル、タンペレ(どちらもフィンランド)、そして香港あるいはマカオ、がなかなか確定しない。頭が痛い。時期的にも最も航空運賃の高い時期で、それもまた、頭が痛い。秋の公演もBAM等は決定しているが、次々と動きがあって、あるいはギャラの問題等でなかなか折り合いがつかない。インド公演も確定ではないが、まあ、こちらはほぼ確定するだろう。そんなこんなで、次から次へと情報がもたらされ、橋本や南波を鍛え込まなければならず、なかなか大変である。
 
 台本書きは、いまのうちに、可能な限りはやっておいた方が後々楽である。中川さんにも少しでも早く渡す必要がある。葛西チームにも、である。

 
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by kikh | 2007-04-24 09:45 | アート
 
12/25 クリスマスの日
ネットで調べものをしていて、何かの拍子に「HOG/百年の孤独」の批評をしている人のサイトに入ってしまった。
こういうのはヤベエと思ってすぐに抜け出す。なぜなら、結構、不愉快なことを書く人が多いからだが、時間があることもあって、読んでしまった。
なんでもその人は30歳のアーティストであるらしい。
30歳のアーティストが、「新しいことは意識して作り出すのではない、ということだけ言っておきたい」などと偉そうなことを言っている。まあ、あと10年やってから言いな、なんである。30だよ。まだ、大したことをやってないじゃないか、分かったようなこと言うんじゃない。そういう断定こそが衰退の始まりということを忘れない方がいい。

若いから生意気であるのは許そう。そして生意気でないと若いとは言えまい。しかし、若くして「意識して作りだそう」という気概もなく、なにがアーティストか。人の批判をするのだけは得意なアーティスト、あるいは批評家にはなって欲しくないのである。あるいは人の言葉を丸飲みにする人にもなって欲しくはない。そういう輩がなんとも多い。自分の好みと好みじゃないものでしか判断ができない、そして自分の好みの文脈でしかモノを見ることができない人たちが何でこの国にはこんなに育ってしまったのだろう、と思う。
ともかく、内向きだ。内向きでしか判断がきかない。そしてそれこそがトレンドである。トレンドだから、仕方がない。だが、それでいて、今の岡本太郎ブーム。岡本太郎が言っていることは、正反対である。しかし、太郎は権威となったから許せるのだと思う。

すべては意識するところからしかはじまらない。
「HOG/百年の孤独」の何が新しいか分からない、という人もいるだろう。それは、そうだ。わかりやすい要素が入っているし、新しいかどうかはどうでもいいからだ。しかし、僕自身の中では新しい。なぜなら、「百年の孤独」を舞台に載せることは到底不可能だったからだ。不可能で、それを可能とするためには、絶対に新しい言語が必要だったのである。嘘だと思うならやってみればいい。絶対に出来ない。絶対に不可能だ。面白く見せられるなら、見せてみろ。無理だよ。

こういうことを、実に経験値の浅い人たちが、いかにもモノを知った風に言うのは、僕にはとても不愉快だ。やってみな。君にしかできないことをやってみな。権威から外れて、トレンドからも外れてやってみなはれ。
おい、若い君よ。と、肩を押してあげたい。


以下は山口情報芸術センターで公演した際の「HOG/百年の孤独」に寄せてくれた作家の天童荒太さんの文章だ。
天童さんとは東京での公演後に会って話をしたが、とっても素直なクリアーな言葉が返ってきて、実に楽しかった。だが、意識がすっきりと素直でないと、以下のような見方もできない。できるはずがない。なぜなら最初に知識ありき、という人では無理だからだ。


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幸福の共有 ?パパ・タラフマラ公演に寄せて? 天童荒太


価値観を拡げる幸福

山口へ飛んで行きたい。パパ・タラフマラが、山口に滞在して作品を創造し、その地で世界に先駆けて発表すると聞いたからだ。
人にとっての幸福は、様々な考え方がある。多くの人と心を通わせ、互いにつながりを感じ合って生きること。他人の痛みに注意深くなり、離れた人々の悲しみにも心を添わせて生きられる自分に成長すること…。そして、小さな島国の、さらに小さな町や村で育てた価値観を、いろいろな体験で拡げたり、ひっくり返したりして、内面の景色を豊かなものにしてゆくことも、幸せのひとつだと思う。
パパ・タラフマラの舞台を観ると、自分のこわばりかけた価値観を、拡げられ、ゆるめられ、もっと伸びることを教えてもらえる。


混沌から立ちのぼる美

たとえば、今年発表された「三人姉妹」は、人間の愚かさ、いとおしさ、環境に左右される人の怖さと滑稽さ、けれど根っこに持っている性の躍動、生命力の力強さを、優美かつ激しい踊りと、選び抜かれた言葉と音楽、想像力を刺激する空間表現とで、伝えてくれた。観終わって、日常の暮しへ戻る帰り道、高揚する想いのなか、風景までが違って見えた。
知らない方々に、じゃあパパ・タラフマラって何と尋ねられたら、ダンスと言い、演劇的と言い、練られた言葉が飛び交う詩だと言い、音楽の芸術性が高く、美術や衣裳も鮮やかな色彩と卓越した造形力で楽しませてくれ、声楽もあり、笑いもあり、人間にとって大切な性が描かれ、なおかつ上品、なおかつ猥雑、この世界と、そのなかで懸命に生きる人々の姿まで、確かな目でとらえられている…と伝えたい。何もかもだ、と戸惑われるかもしれない。そう、本当に何もかもが入っていて、それが美しさに昇華されている。だから、こちらの価値観の幅も伸びてゆく。


瞬間に立ち会う奇跡

今回は、ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」を題材に表現されるという。紙に書かれた文字が、空間に起こされ、どんな世界が目の前で展開されていくのか、歓びの期待に緊張さえする。テレビや映画は、ビデオやDVDでも見え、本もいつでも読めるが、舞台だけはその日そのときに観るしかない。 かつて寺山修司という天才がやはり「百年の孤独」を題材に東京の外れで舞台を上演し、当時学生だったわたしは、なけなしの金をはたいて、雨のそぼ降る寒い埠頭へ観にいった。絢爛豪華な人間博覧会のごとき豊穣なる空間表現は、こちらの幼い価値観を砕いてくれる夢か幻のごとき舞台だったが、それを観ることのできた幸福な人間の数は限られ、そして二度と観ることはかなわない…。

幸福を得るには、時間と場所と心身の状態がタイミングよく合うという奇跡が、ときに必要ではある。だから12月、会場に来られるチャンスがあるなら、どうか逃されないようにと思う。せっかくの幸福を、できれば多くの人と共有したいため、親友の背中を押すような想いで、勧めたい。
ああ、山口へ飛んで行きたい。
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by kikh | 2005-12-26 00:30 | アート


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