★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
カテゴリ:うひょひょ!( 75 )
 
サンアドHP
長く一緒にやってきた葛西薫さんだが、実はサンアドの副社長ではある。
さて、そのサンアドのHPにサンアド+パパ・タラフマラのポスター、チラシ特集が載っている。是非、ごらんください。

http://www.sun-ad.co.jp/work/feature.html
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by kikh | 2011-12-07 05:53 | うひょひょ!
 
鼻くそおじさん
 いやあ、驚き。

 昔々、つくばの芸術監督をやっているとき、たまにバスを逃してしまって電車で帰ってくることがあったが、そのとき、目の前にいた叔父さんがボリボリと鼻くそをほじくっては指でいとおしそうに丸めていたのだった。そして、そいつをどうしたか?ポイと口に放り込む、あれれ、とビックリしたが、それを何度も何度も繰り返していたからよっぽど凄い量の鼻くそが溜まっているのだろうと、その量にも驚いたのであったが、ポイと口に放り込まれる度に身体を捩るような気分を味わい、どうにも気分が悪くなってきた。見て見ぬふりをしつつも、目点状態。オレ自身の気分も悪くなってくるが、しかし、目が離せない。これはスゲエもんだ、この人はいっつも同じことをやっているんだろうか?乗客がいるにも関わらず、まったく無関心で鼻くそを食い続けるのである。その時、同じ車両にはオレ以外にはもう一人しか乗っていず、その人は気づかなかったようだったが、オレはあのとき以来、その光景はアタマにこびりついて離れず、あのような不気味人間もいるんだなあ、日本にも、と思っていた。


 と、先日、再び鼻くそ食い人間に出会ってしまったのだった。これまた電車内で、今度は朝方の結構人がいなくなった高田馬場~中野間のみではあったが、同じく丸めてはポイと放り込む。ですが、この人、前の人よりも味わい深そうに味わう男で、まだ女でないから良いようなものの、ついつい鼻くそ食い女がいたらどんな気分だろうと想像たくましくしてしまったのであった。

 この日もずっと胸はむかむか状態であったのだった。
 ああ、日本にはどのくらい鼻くそ食いを趣味とする人がいるのだろうか?二人もいたのだから、もっといるのだろう。ギョへええ。
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by kikh | 2011-02-04 08:27 | うひょひょ!
 
佐伯さんと田口さん
「風の旅人」編集長の佐伯さんと田口ランディさんの感想がお二人のブログに載っています。


http://kazetabi.weblogs.jp/blog/


http://runday.exblog.jp/15806865/
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by kikh | 2011-01-25 22:36 | うひょひょ!
 
uum
今日は稽古が休み。風邪を治す必要があったので、午前中は寝て過ごす。昼過ぎに起き出し、事務所へ行って、会議を開き、それから一月以上も前に購入していたロベールルパージュの公演を東京芸術劇場で見たのである。体調不良のため、ギリギリまで止めようかと思ったが、せっかく買ったチケット、もったいねえ、と行ったのだった。
さて、ルパージュ。さすがに日本でも人気のルパージュだ。ほぼ満席の劇場で、かつ、相変わらず実に巧みである。映像、装置の使い方の巧さは抜群だ。耳も良い。空間認識と音声認識が同時にできる演出家はそんなに多くはいないのである。彼の空間性、音声性は実に優れている。素晴らしい才能だと思う。だから、一見、面白そうに見え、素晴らしいものを見た気になってしまう。
だが、実際は違う。それは幻想だ。つまらない。なぜか。中身がスカスカ。スカスカなのに、大業である。もの凄い事が起きているかのような錯覚を演出によって作り出す。それは素晴らしい才能である。だが詐欺師の才能だ。ルパージュの作品はかなり見ているが、たいてい同じ感想だ。ただ、僕がつくばの芸術監督をやっているときに呼んだ「月の向こう側」という作品だけは面白かった。技術と彼の持っている資質が合体した気がした。やっていることは非常にチマチマしたことなんである。そのチマチマ感が僕にはいつもいらいらさせられる。
もっとチマチマを脱して、混沌とした状況を作り出せれば面白くなるのに、と思うが、どうも小さくまとめてしまう。整序され過ぎだ。けれど、どうだろう。表層だけ見たら、絶賛されるのだろうと思う。分かりやすいチマチマ感であるから、人は納得しやすいと言えるかもしれない。ただし、絶賛している批評家がいたら鼻で笑った方が良い。
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by kikh | 2010-11-12 22:40 | うひょひょ!
 
帰国&山での作品
ソウルから帰国する。
ソウルというか、韓国もまた、非常にマズイ状況に陥っているのが手に取るように分かった。
こういう多方面に広がるというよりも、一方的に同じ方向に流れてしまうのは、韓国も香港も台湾も同じで、こりゃあ東アジアの特徴かと思いきや、いやいや、世界全体の風潮なのだ。思考が画一化し、目指す方向も同じで、ある程度行けば安定志向に走る。エリートのレールが敷かれているような画一性を持った国が面白いはずがない。

ソウルから帰国して山へ行く。
多様な自然は身体をほぐし、力強さを与えてくれる。全身で身体を浸すと、場と身体が溶け合っていくのが分かる。しかし、これが東京へ戻ると瞬く間に元通りだ。元通りにならないためには、頭の中に自然を飼っておく必要がある。つまり、全身が自然体であることを求められると言うことである。
山から渋谷に戻ると、あまりに気持ちが悪い。人造人間のような人の顔が不気味である。自然からなんとまあ、遠い顔になっているか、本人は全く気づいていないから始末におえないのである。
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by kikh | 2010-08-19 13:39 | うひょひょ!
 
6/25 こざかしさを笑え!
思えば、パパ・タラフマラももう29年目に入り、来年は30周年だ。

サッカー日本代表の戦いを見て、つくづく感じたのは、やっぱり一朝一夕ではいかないということだ。

もう52作品もパパ・タラフマラでは作り、それ以外の作品制作を含めると100作品は制作している。これは自分自身でも大きな財産だと思っている。その蓄積がさらに次につながる楽しみを大いにかき立てていくからである。間違いなく「できる」範囲は広がっていく。だが、常に飽きが来る。一度やったことをまたやりたいとは思わない。常に挑戦だ。その挑戦する姿勢を失ったら、終わりだ。

その意味ではまだまだ全然大丈夫と思う。

「なんでそんなに生き急いでいるのですか?」などと聞かれることもある。「血圧は大丈夫ですか?」とか。血圧は至って正常。生き急いでいるとはまったく思わない。俺の年では、三島も寺山ももうとっくに死んでしまっているのだ。急激に日本は長生き国家になったが、ほんの数十年前だったら、死んでいてもおかしくない年齢に達している。だが、死なない。死んでも良いが死なない。

とにかく突っ走れ、と思いながらやってきている。突っ走り、突っ切り、強引にこじ開け、白井からはビルがあろうが、山があろうが、突き抜けていくなどと言われている。だけど、妙ちくりんなレトリックの弱さを知った方が良いと思う。みんな、こざかしい。

こざかしさを笑え!だ。
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by kikh | 2010-06-25 23:10 | うひょひょ!
 
ワールドカップ
 ワールドカップが始まった。昨夜も、ちょっとだけと思ってテレビを付けるとスイス×スペインの試合をやっており、スイスが先制したことで、優勝候補と見なされているスペイン側の焦りが手に取るように伝わってきて、非常に面白く見てしまった。ただ、司会のうるさいこと、うるさいこと。黙ってろと言いたくなるくらい延々と喋っている。途中からは声を消して見ていた。
 スイスの守りの強さは、驚くほどで、それがどこかしらほころびが出るものだが、ほとんど危なげない感じで、山ほどシュートを放つスペイン側にあった余裕が消えてしまって、最後の方は必死の空回りに見えていた。改めて人間のドラマだと感じてしまった次第である。人間のドラマ。つまり、フォーメーションを作り出す、それを形にして維持し続ける、一方では崩そうと試み、焦る、その隙間をついて、カンターで攻め込んでいくスイス。延々と心理戦を見ているような気分を味わえたのであった。

 そうは言っても実力がなければ、結局は敗れ去るだけである。スイスの大金星だろうが、守りの強さを改めて知ったのであった。城攻めを行う場合、きちっと守られたら、勝利を収めるには数倍の兵力を要するという。見た目としては確かに面白い戦いではない。でも、自身の実力を知っているならば、面白い戦いをして討ち死にするよりは遙かに良い。

 日本は開催地以外でのワールドカップ初勝利を挙げた。こちらも守りの戦いであったが、ただ、スイスのように鉄壁とはいかず、いたるところにほころびが見えた気がした。一瞬の判断ミスがオフェンス側に動くことの可能なスペースを与えてしまう。守りというのはオフェンスに仕事をさせないことが最大の目的でもあるから、ほころびが見えると精密なグループならそこをついてくるだろう。カメルーンは、その点、おおざっぱだった。アフリカンの良さでもあるが、そこがアフリカンの弱さでもある。
 そうは言っても、日本の初勝利は、これは単なる「勝利」というに止まらない。間違いなく、大きな進歩だ。昔はワールドカップは夢のまた夢状態であって、メキシコオリンピックでの銅メダルだけがなぜか燦然と輝いていただけだったのだから。これは僕がパパ・タラフマラというカンパニーを率い続けてきているからよくわかることでもある。カンパニーとしての実力を上げるというのは、非常に大変なことである。どれだけ地道なことか、と思う。ましてや代表メンバーばかりを集めたグループである。緻密な稽古など出来るわけがない。としたら、底上げを図っていくことがもっとも重要なことで、日本もJリーグが出来、下部組織が出来ていって、切磋琢磨できる環境が整い、そこで培った力をやっと披露し、ワールドカップでの一勝をもぎ取ったということができるだろう。
 一勝の重みをヒシと日本の政治家たちが感じてくれれば良いのだが、テレビでの発言などを聞く限り、相変わらず日和見主義的である。
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by kikh | 2010-06-17 06:45 | うひょひょ!
 
ガルジェニツァ二日目
 今更ながらワルシャワは堪えた。
 朝4時にイスタンブールで起床し、4時半にタクシーをつかまえ空港へ。イスタンブール→チューリッヒ。チューリッヒで3時間のトランジット。チューリッヒ→ワルシャワ。ワルシャワ空港着14時。
 まあ、ここまでは予定通り。
 しかし、空港でピックアップしてくれるはずの人が来ない。3,000円だけ両替し、待つ。3,000円がたったの60ズロッティにしかならない。1ズロッティが50円だ。さて、どうしたものか。緊急電話先に電話しようとしたが、電話の使い方が分からない。ツーリストインフォメーションで聞く方法でかけるが全然つながらない。間違っていないか?とインフォメーションのお姉さんに聞くが、頑として譲らず、さあ、どうしたものか、と思案していると、親切そうなお父さんが、いやそのやり方じゃかからない、かけ方はこうだよ、と教えてくれ、かつ、テレフォンカードまでくれたのだった。コインじゃ、ここはかからないんだ、壊れているからねえ、とも。
 電話がつながると、今から住所を言うからそこまでタクシーで来い、と言う。そこはオールドタウンだ、とも。タクシーの相場を聞くとだいたい50ズロッティだろうと。しょうがない、行くしかない、と思い、ちょっと足らないのでさらなる両替を、と今度は50ドル札を両替。すると、120ズロッティになる。もし、1ドル90円として、50ドルだと4,500円だ。つまり、ドルだと1ズロッティが37.5円。あまりに違う。日本円の低さが浮き彫りになった格好だ。
 そしてタクシーの運転手と交渉し、50ズロッティで行ってもらい、すると、このオールドタウンの道には入れないから、ここからは歩いていけ、と言われたが雨だ。もうすぐそこ20メートルくらいだよ、といかにも親切そうにタクシー運転手は言っていたけれど、いやはや、道はない。いろいろと聞きまくり、するとみんな、その道は知っているようで、ああ行け、こう行けと教えてくれる。どんどん雨に濡れ、疲れは増し、1時間近くもあっちに行き、こっちに行きしてついにたどり着く。と思ったら、最初の地点からはさほど離れていない。タクシー運転手の指した方向が間違っていて、90度左方向を指してくれれば、瞬く間に見つかったはずの道であった。結局、ずぶ濡れ。と、そこまできたは良いが、ここは単なるオフィスで、アパートメントは別の場所だという。今、ここで支払うか?どうする?とか言われたが、何にも知らない。かといって、拒絶するのも変な話だから、支払いを済ませて、アパートメントに行く。スタニェフスキーとは電話でそのオフィスで話をしたが、20時に誰かガルジェニツァの人間を送るから、全部そこで説明するという。結局、アパートメントに着いたのは17時近く。
 どんどん体調が悪くなる。あと3時間もあるから、と寝て待つことにする。と、19時にそのガルジェニツァのアクターがやってきて、カフェで説明を受ける。今日の21時半~、まずは二人のポーランド人があなたを夕食に招待したいと言っている、と言う。分かった、待てば良いのね。だったが、結局、現れず。もう踏んだり蹴ったりどころか、まるで何がなにやら分からないままに過ぎていった一日。
 翌日、昼前になって、その二人が現れ、昼飯を食うと、全体像が判明した。要はどこもかしこもミスアンダースタンドだらけで、混沌としていた次第。面白いなあと感じたのは、ここがゴンブロヴィチの国だということで、ゴンブロヴィチが描いたコスモスという小説は、まさに訳の分からないような矢印に従って進んでいくという話であったし、シュルツのストリートオブクロコダイルズもまた、同様に一種の迷宮に入り込んでいくような話であったのだから、最高に祝福された気分にすらなったのである。
 夕方、やっとスタニェフスキーが現れて、さあ、ガルジェニツァに行こう!と言う。自分はまだここで、ミーティングがあるとも。まあ、これも矢印のお導きだろうと考え、運命に従うようにしてガルジェニツァに来た次第。

 二日目もまた、少々、混沌としていた。なぜなら、ガルジェニツァのアドミニストレーターのチーフがガルジェニツァの2年後とルブリンの町を案内してくれたのだったが、この人、歴史専攻だったそうで、延々と細かな歴史の話をされる。途中からはチンプンカンプンなんだが、あまりに熱心なので、話をストップさせるわけにも行かず、なんとなく聞いていたけれど、さまざまな教会の話やら、逸話やら、歴史の事実やら、もう事細かにルブリンについて語ってくるのである。
 これまた、いかにもゴンブロヴィチの小説に出てきそうな人物で、なかなか見た目も奇妙で、ひょろりとし、楽しいというよりもおかしい。恋人たちがチュッチュチュッチュとやっている場所で、延々と歴史の講義を行うのである。

 すると彼に連れられ、また、別の建物で待て、と言われる。どうもよく分からない。2時間も待たされて、やってスタニェフスキーが現れ、さあ、ガルジェニツァに行こう、というまた、言う。
 ガルジェニツァに戻ると、即刻、リハーサルだった。だから話をするどころではない。
 しょうがなく、というわけではないが、リハーサルを見る。フムフム、面白い。彼は動物園の熊のようで、行ったり来たり、人の演出風景など、ほとんど見たことがない僕にとっては、ここまでしっかりと稽古を見たのは実は初めてかもしれないのだ。細かな積み重ねは見ていて気分が良い。そうこうして夜中1時を回り、やっとリハが終わって、やっとのことで、彼とは、彼自身の屋根裏部屋で話をすることができた次第だ。
 スタニェフスキーの日本好きは何だろうなあ?と思う。ここガルジェニツァにも日本庭園を造りたいと言っている。まあ、それはともかく、彼のようなサバイブの方法もあるのか、とずっと見てきて考えたことは僕にもあったけれど、ともかく、エクスチェンジプログラムを始めよう、と言う。まあ、世界のトップクラスの演出家だから、エクスチェンジして悪いことは何もない。
 もちろんポーランド人のメンタリティというか、時間感覚が上記のようなこともあるので、いらつくことも多々あるようには思うけれど。

 とにかく、動きを作り出そうと言うことで合意して、2時半過ぎに屋根裏部屋を出る。それからパッキングしなおし、3時半に寝て、5時に起き、5時半には空港に向けて出発し、9時に空港着。今はウィーン行きの飛行機を待っている。ウィーンでトランジット後、イスタンブールに入る。
 
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by kikh | 2010-04-30 17:10 | うひょひょ!
 
何を見せるか
 トルコ、アダナでの「Ship in a View」公演は観客総立ち状態が連日続いた。
 公演としては間違いなく成功と言って良い。だが、決して満足いくものだったかというと、首をかしげる部分もある。なぜか。十全な準備ができなかったこと。つまり、「十全」というのは、公演初日に向かって、ちゃんとやるべきことをやって臨めたかどうか、ということである。
 「Ship in a View」という作品は、通常、2日の仕込み期間を経て、公演日を迎える。どんなに有能なスタッフがいても、十分なクオリティを上げようと思ったら、この期間が必要なのだ。だが、今回は徹夜仕込みでの公演明けである。もちろん十分な仕込みなどできやしない。このフェスティバルはそういうシステムでやっているとフェス側は豪語するが、僕の作品はデリケートな部分の積み重ねで出来ていて、そんなに簡単に仕込めるものではない。
 では、そんな公演はやめればいいじゃないか、という人もいると思う。そうだ。やめればいいのだ、と言い切れない。なぜか。十分ではなくても、クオリティのエッセンスは伝わる可能性が非常に高いことを知っているからである。それが、結局、文化をいかに伝え、いかなるコミュニケーションの手段としていくか、ということと結びつく。
 舞台は技術が最高の状態に持っていけた方が良いに決まっている。だが、そうでないから、人は感激しないのか?と言えば、もしかするとラジカセだって音は良いということになりかねない。劇場という広さでは無理だろうが、その音質でも、あるエッセンスは伝わっていくのである。照明も今回はQ数を1/3くらいまで減らしていると思う。でも、僕はそれで良いと言ってしまいたい。作品はなんと言っても舞台に乗っている人が作るものである。舞台に乗っているパフォーマーが良ければ、他がダメでもなんとか見れるものになるのである。
 何を見せるのか?つまり、海外というのはそういうものだと思わなければいけない。最高以上のクオリティを持った舞台の60%程度しか出せかなったとしても、なんとか成立させうる可能性があるくらいまで、クオリティを上げておく必要は間違いなくあるのである。文化圏が違えば、相違ばかりだ。やり方だってまるで違う。だからといって怒っていたのでは、何にも成り立たない。妥協点を探ること。それしかないと思う。それが次への大きな一歩となる。私たちにとってばかりではない。日本にとっても大きな一歩となるはずである。
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by kikh | 2010-04-26 00:22 | うひょひょ!
 
アブダビ
 今、トランジットでアブダビの空港にいる。4時間半待ち。そしてトルコ入りすることになる。
 アブダビはアラブ首長国連邦の首都であるが、面白いのはアブダビの人口190万人のうちの75%は出稼ぎ労働者で占められるという点だ。オイルマネーによって、急激に膨れあがった都市である。空港内だからほんの少ししか分からないが、しかし、空港労働者の顔ぶれを見れば、いかにここがさまざまな人間たちの寄り集まりであるかは分かる。こんな風にして人は動き、ゴールドラッシュ現象を起こして人は去っていくのかな、と思わざるを得ない。将来、石油は間違いなくなくなるとも、亡くなる前に人類は全滅するとか、いろいろな説があって、何が正しいかは検証してみないと分からない。しかし、やはり資源の有無だけで、大きく左右されてしまう人の世は不健全ではあるなあと思う一方、ゆえに別回路の意識を育てなくてはいけないとしみじみと思う。あっちの水は甘くていいなあ、と指をくわえて見ていても、なんらこっちの水が甘くなることはないのである。しかし、こっちの水を甘くするための方法は、とにかく必死になって新しい方法、アイデアに立ち向かわなくては甘くなんかなりっこないことを強く知るべきである。

 日本という国はまさにサウジアラビアやアラブ首長国連邦などとは対極にある国だ。資源らしい資源のない国である。資源らしい資源がなければ、あとは頭しかない。手先しかない。そして勤勉さと先進性しかないのである。そこを強く知らねばならない。知る必要がある。それは文化と言ってもいい。文化の豊穣さの上で、付加価値を与えつつ、自分たちの場を確保していく必要があるのだ。だが、誰もが内向きで、いっさい、知らぬと言ってはばからぬ。あるいは頭が固いままで、何も新しく試みようとはしない。ほんの少し先の、ほんの少しの変化でよしとして、それをきわめて高く持ち上げるが、そんな程度じゃあ、日本文化はダメなんだと声を大にして言いたいのだ。

 もうそろそろフライトタイムなので、今はここで切り上げる。
 
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by kikh | 2010-04-21 12:49 | うひょひょ!


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