★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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1/29 尺八・・
 まるで疲れ、取れず。南米病みたいなもので、確かに南米から戻ってくるとがっくりと疲れていることが多い。やはり40時間以上も時間をかけて行くのは健康に良くないということだろうか?その割に、南米好きなのだけれど。
 
 戻ってきて、「三人姉妹」ではなく、中村明一コンサートについて考えている。中村さんの尺八をずっと聞き続けているが、尺八という楽器の厚みの前でたじろいでしまう。尺八一本である。他に何の楽器もない。しかし、それは常に揺らぎ、揺さぶり、地の底からはい上がってくるうような音を出したかと思うと、風に紛れてしまうような音になる。地の底からやってくる音は、するりと風に紛れ、大地の隙間に入り込んでしまうかすかな音に変換していくのだから畏れ入る。尺八の音を聞いて、実は人間の身体も同じようなものではないかと思った。ところが、そのような揺らぎを持った身体が消えてしまっている。身体は実に情けない、弱々しい、あるいは人造人間的存在へと変化してしまっている。いや、そう思いこんでいる。さまざまに揺らぐ身体、そして身体から発する思想をやっぱり取り戻し、獲得し直す方法を模索しなくてはいけないなあ、と改めて尺八音は教えてくれる。

 昼頃、たまおと打ち合わせ。来年度からのP.A.I.に関してである。P.A.I.は10年やってきた。10年を経過したところで、別の指針を持たせようということになった。同じ事をしていても面白くない。週3回の平日コースと土日コースに分けることにした。土日コースは舞台芸術家を育てようというコースではない。まさに身体を改めて見つめ直してみるというコースである。頭もまた身体の一部である、声も身体の一部である、そういう視点から、一般に開いたコースである。そして半年コースとし、月に一回は土日まるまるの休みを取る、そういうフレキシビリティに溢れたコースとした。カラダの再生は緊急の課題だ。難しいことはないコースである。だから入所試験もない。

 
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by kikh | 2005-01-30 10:40
 
1/27 疲れにまみれる

 しばらくぶりに、どっと襲ってくるような疲れに動けなかった。
 やらねばならないことがたくさんあるのは、その通りなのだけれど、ぐったりとしたまま、身動きが取れない。やっぱり40時間も移動に時間をかけるのは疲れるものだと改めて感じた。とは言え、今年はあとブラジルにも行かなくてはならないから、また疲れることになる。でもブラジルは楽しいからいいのだ。セイゲンがブラジルに行っていたはずだなあ。サルバドールに行きたいとなんとなく思っている。バイーアの州都がサルバドールである。バイーアに行きたいのだ。バイーアで音楽に浸りたいと思っている。ブラジルは大きなキーを握っていると考えている。いや、ブラジル的な思考方法だ。

 日本のテレビを付ける。何の発見もない。不在だった間にNHKと朝日新聞の戦いがあったのだそうだ。NHKと朝日。まあ、どっちもどっちだ。朝日もNHKもどうも権力を持っていると思っている嫌らしさがつきまとっている。
 朝日には舞台芸術賞というのがある。読売にもあるな。演劇賞だったかな。パパ・タラフマラは候補にすら登らない。そりゃあ登るはずもない。審査員を見ればわかる。賞というのは所詮、賞にすぎない。だから賞をもらったって特別、嬉しくはない。(パパ・タラフマラはただし、海外の賞だけはいくつか取っている。国内は何もない。)しかし、国内の賞は助成金に結びつく。そして観客は賞をもらっているならば、さぞかしいいものだろうと思う。そういうものだ。審査員になるには、年を取り、それなりに分かっている人でないと難しい。しかし、「分かっている」というのが厄介だ。一般的に「分かっている人」でなくてはならない。パパ・タラフマラは境界を突き進んでいくことこそが肝心だと思っているカンパニーである。境界を進まなくては意味がない。なぜならそれこそが文化であり、最も新しさを発見できる方法だからだ。しかし審査には、新しさは苦手である。ちょっと一歩先でないと厳しいだろうなあ。
この前、大谷さんとの話で書いたことではあるが、やっぱり日本の観客は、どんどん一方的になっているように思えてならない。総体を捉えることができない人がどんどん増えているということだ。総体とは何か?まるごと感じ取る能力である。「感じ取る」能力が落ちればどうなるか?細部を見る。細部しか見ることができなくなる。だからわかりやすさが非常に重要な鍵になる。どうすればいいのだろうと思う。日本人に合わせた作品が重要なのだろうか?
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by kikh | 2005-01-28 12:18
 
1/26 帰国

 慌ただしく夕方、帰国。
 帰国後すぐに事務所にて、中村明一コンサートの打ち合わせを舞台監督の武川さんと。予算との折り合いが難しい。
 
 終わると、もうふらふらで、いつ戻ってきたかすらはっきりしていない。
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by kikh | 2005-01-27 09:43
 
1/25 時差と日付変更線の中の誕生日
また、年を取った。何とも嬉しいことではある。年を取るというのは、もうそれだけでいいことだ。と、そう思っているのだけれど、いつも女性に対し、年齢を聞くのは失礼と言われる。でもそうかなあ??私には分からないのだ。年齢を重ねる、ということはそれだけで結構なことじゃないかと思うし、年齢を重ねることができた自分自身や周りに感謝しなくてはならない、ということと繋がっていく。だから、年齢を聞くのは、一種の敬虔の念からなのだけれど、それは失礼なこととされる。いつからなのだろう、年齢が失礼になったのは。

ともかく、1月25日はブエノスアイレス空港で明け、いつ去ったのかは分からない。まだ、トロントでは25日で、トロントを飛び去って、たぶん太平洋上空で26日になったのだろう。

本当に、今年は良くしたいと思っている。この一年、「百年の孤独」のツアーを来年の今頃はアメリカでやっているはずだ。楽しく、明るく、敬虔な一年となることを。

今日はメルマガ創刊号が発刊された。編集長の大久保有花さん、おつかれさん。
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by kikh | 2005-01-27 09:42
 
1/24 サンチャゴ、そしてブエノスアイレス
サンチャゴ最後の日。
昼まで寝ていて、ゆるゆると起きだし、白井、たまお、関口と日本食を食いに行く。反省会というような重いモノではなく、一応の区切りをつけるためである。これで日本に戻ったらすぐに52分バージョンの稽古に入る。私は、と言えば、すぐに「百年の孤独」台本をもう一度、見直し、書き直さねばならない。帰国日に寿司を食ってもしょうがねえだろうと思いつつも、待ちきれないのだ。酢飯のうまいこと。みそ汁のうまいこと。
寿司屋のあんちゃんは日本人で、なかなか変な、強いて言えば、昔、パパ・タラフマラにいた関口ケンジみたいな奴であった。しゃべり口調がそっくりで、少々不気味な寿司屋。気っぷを売りにしなければならない寿司屋であるはずが、どこかベトベトした口調であったけれど、寿司はなかなか美味かった。するとそこにカオスの面々と永利さんがやってきて、店はパパ・タラフマラ&HRカオスでの貸し切り状態となった。いつの間にか、永利さんの娘のユメちゃん(まだ1歳)は私のフィアンセということになっていて、あと15年後には姑になるのは嫌だあ、とは永利さん。確かに。たった1歳の女の子の私を見る目が甘い。ふうむ、この甘さはいったい何なのだろう。1歳の娘である。ふうん、どう捉えたものか?前世かな??果て?
みなと別れ、パパ・タラフマラ&上島グループで帰国。エアーカナダ。さて、このエアーは実はブエノスアイレスでトランジットなのだとか。ああ、残念。ブエノスアイレスに降り立ちたかったなあ。ブエノスアイレス。タンゴの街、ブエノスアイレス。いやあ、そのうち、来よう、と思って、空港を見て回ると、いい土産がたくさん。あんなにサンチャゴではなかったのが、ブエノスアイレスに来たら、どどっと押し寄せてくるよう。楽しくてゴソッと買ってしまった。
再び、飛行機に乗り込む。今度はブエノスアイレスからトロントへの旅である。しかし、機内に入ってから故障が見つかったとかで2時間も待たされる。その間に私とたまおは誕生日を迎える。今年の誕生日はブエノスアイレス空港の機内で迎えたことになる。ハッピーバースデー祝いは、実は昨夜、白井&関口で、打ち上げ会場で皆を交えてやってくれた。だから今年は実はとても多くの人たちに祝われたことになる。大きなケーキを買ってきてくれた。嬉しいものだねえ。
と、こうして24日はブエノスアイレス空港でいらいらしながら過ぎ去った。
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by kikh | 2005-01-26 18:37
 
1/23 サンチャゴ二日目
サンチャゴはどうも特に印象付けられるようなところではない。土産を探しても土産らしい土産が見つからない。面白くないと言えば面白くない。しかし、南米らしい時間感覚や南米らしい気楽さはそこかしこに見られる。みんなやたらと親切である。単なる垂直的な時間で生きているのではなく、水平思考をもった時間感覚で生きているように感じられる。それが南米の面白さだ。

チリ公演二日目。今日は南米の多くのプレゼンターが集まる日、ということであった。「三人姉妹」終演後には、多くのプレゼンターに囲まれた。エクアドル、ベネズエラ、ブラジル、チリ・・・みんな呼びたいと言ってくれる。こちらのスタッフ連中も終わると、強い拍手で迎えてくれた。終演後にチリ文化省の方からインタビューを受ける。チリ文化省の方とは知らず、ついつい役所的発想の問題点を指摘してしまう。この英語・スペイン語の通訳をしてくれたダンサーはつい二ヶ月前までモントリオールでダンスをしていたのだとか。モントリオールはサンチャゴの前だったので、何とも奇妙な感覚であった。チリ文化省のジャーナリストと名乗ってはいたけれど、彼女もまた、いろいろなコミュニケーションプログラムを行いたいという。呼んだら来てくれるか?とジャーナリスト。もちろん、と私。コミュニケーションプログラムほど重要なものはない。単なる作品を見せるというよりも、もちろんそれも大切なのだが、同時に、いかにして人間の深層に触れていく旅ができるか、それが最も求められると私は思っている。こういう発想こそが次代を作っていくし、次代を作って行かねばならないと、僕も強い使命感にとらわれてはいるのだ。

終演は、昨日は23時40分。今日は23時20分であった。それから打ち上げを1時過ぎから行う。このような四つものカンパニーが集まっての打ち上げなんてやったことがないから楽しかった。そもそもパパ・タラフマラとHRカオスが同時にやっている打ち上げなんて想像できるか?できるはずもない。それに千日前&上島グループもいて、4時半まで打ち上げは続いた。なんとも楽しかった。

永利さんからは、10年前の話を何度か聞かされた。私は忘れてしまっていたことだった。10年前、ニューヨークで永利さんが私に、身体のある、良いダンサーはいっぱいいるから、こういう人を使ってやってみないか、提案してくれたのだそうである。そのとき、僕は、自分自身が明確な言語として捉えられていない要素はまだ使えない、と言ったと言う。せっかくいい演出家が出てきて、一方では良い身体はあるけれど、ダンサーは心がない、それをミックスしてくれれば、と思ったのだそうである。僕はしみじみ、ああ、若かったのだなあ、と思った。若かったなあ、と同時に、真実だと思った。なぜなら、やっぱり身体は獲得し、発見していくことが多々あるからだ。今は何でもできますよ、と言える。しかし、十年前ではやっぱり無理だったと感じる。なぜか?つくばでの経験や、海外のアーティストとの数多くの仕事はとても大きな何物かを私にもたらしてくれ、それがあってこその今の私なのである。確かに10年前、果たしてパパ・タラフマラとカオスと千日前と上島グループ、モントリオールを混ぜ合わせれば、黒田育代ちゃん、金森ジョー君、森山開示君・・等々と仲良くやれたか、やっぱり怪しいモノだ。今なら、いろいろな表現があり、いろいろな身体があり、そのバリエーションこそが舞台芸術の豊かさをもたらしていく、とはっきりと言えるのだけれど、昔はとてもとてもそんな余裕はなかった。自分のことで精一杯であった。

千日前の振付家の紅玉さん、まあ、大阪のダンスボックスのプロデューサーと言った方がいいか?本名、大谷さんにパパ・タラフマラをどう見るかという話をされた。びわ湖ホールでやった「Birds on Board」は6割がダメ、と言い、3割がすごくおもしろがる、という状況だったそうだ。これは面白いと感じたと同時に考えさせられた。なんせソウル、釜山では熱狂的な迎えられ方をしたからである。なぜなのだろう。不思議この上ない。大谷さんは、演出されすぎているのではないか?洗練されすぎている、と。だからびわ湖の観客を明確に分けたのではないか、という。しかし、それならなぜ、韓国の観客たちは一様に熱狂的であったのか?BBは東京、つくば、びわ湖、ソウル、釜山で行っている。日本の観客は日本のモノには厳しくなる傾向がある。それもそうだろう。大谷さん自身、今回「三人姉妹」を6回も見ている。千日前のダンサーたちも一様に、見ていて飽きない、見れば見るほど発見があり、面白いと言ってくれる。そこが問題とも大谷さんは言った。通常の観客は一回しか見ないのです、と。それはそうだろう。しかしながら、これもやっぱり疑問である。なぜなら、世界中、どこへ行っても、興奮を持って迎えられるからだ。一回は永遠である、などという感覚は日本は消えたのだろうとも感じてしまう。モノを見る見方が、全体的に見るという方法を取らず、部分で見る方法しか熟成させてこなかったのが、明治以降の日本だと言うこともできよう。まるごと捉える。それができないと、確かにパパ・タラフマラの作品はおもしろがれないのかもしれないとは感じるのだ。だから、ボンクラ批評家や阿呆な学者には、受け入れられないのだろうとも感じる。「ボンクラ」「阿呆」を持続し続けることができるのは完全な知識先行型だからである。知恵がない。知識が先行すると、すべてを分断化して考えようとする。分断化していいことなど本来はないはずが、今では分断することがあまりに当たり前になってしまっているがゆえ、その奇妙さに気づかない人々が圧倒的多数なのだ。しかし、こんな風で日本に未来はない。頭のガチガチ状況は変えていかねばならない。

チリでは朝4時以降、酒類を販売しているとその店は営業停止になるのだそうだ。4時10分に、多くの警官がやってきた。ごっつい腕をした7人の警官たちが腕組みをしているサマは異様でもあった。即刻、退散。もうふらふらである。が、しかし、楽しい一夜であった。カオスの白河直子さんともしばらくぶりにゆっくり話をした。

と、目を覚ました翌朝、書いている。
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by kikh | 2005-01-24 12:34
 
1/22 サンチャゴ初日
サンチャゴでの公演、初日。
今回は公演とは言っても、パパ・タラフマラ初のショーケース出演なんである。だから全編バージョンではなく、22分バージョンではある。しかし、モントリオールでの公演から相当変えた。少しずつ完成に近づいている。
今回は、千日前青空ダンス倶楽部、上島雪夫ダンスワークス、HRカオス、そしてパパ・タラフマラである。今回のキュレーターの永利さんからは何回か、アメリカのプレゼンター連中から、何でチリでパパとカオスが見れるんだ、どうして東京ではこういうことが起きないのだ、と問われたという。本当にそうかもしれない。東京にいると、いつの間にか、パパ・タラフマラもカオスも老舗風を吹かせるようになってしまっているということなんだろう。
さて、公演が始まって、12分が経過した時、すべての電気が飛んだ。あらゆる電気が落ちたので、停電以外の何物でもなかったけれど、唖然。大劇場と言っていい劇場であったが、まったく驚いた。
面白かったのは、皆、落ちた瞬間は何も言わないことだ。ざわともしない。落ち着き払って、というよりも、事態を把握できないと言った感じで、呆然、だった。結局、最初からやり直すことにして、再開。終演と同時にどわー!!という強い反応が返ってきた。

そんなこんなでチリ公演の初日が明ける。
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by kikh | 2005-01-23 12:30
 
2005/1/20 バルパライソへ
 今日はバスに乗って、ひとり、バルパライソに行く。
 永利さんからは、在チリ日本大使館からの招待での食事会の話があったのだけれど、もう今日を逃すとどこにも行けないので、この役割を白井に代わってもらい、朝早くサンチャゴを出て、バルパライソに向かった。
 バルパライソである理由は、単にサンチャゴから近く、あまり観光地化されていない場所ということで選択したが、ただユネスコの世界遺産にも登録されている場所なのだとかで、それなりに美しいところであろうと想像はした。
 しかし、その想像は、いわゆる「美しさ」ではなく、貧困や地形的不備ゆえの「美しさ」となって現れているもので、通常の観光的な美しさを想像するとまったく違った印象を持つだろう、そんな風な美しい街であった。
 バルパライソはチリ最大の港町だという。しかし、平地が少ない。港があって、ほんのわずかばかりの平地があり、すぐに山というか、丘である。だから家々はほとんどその斜面の上に立っている。しかし、遠目にはきれいに見える家々だが、近寄ってみると、トタン屋根のバラック作りであったりして、崩れかけた家も少なくない。あるエリアでは、近寄ろうとすると、人々がわさわさと動きだし、入れることを拒むような動きをしていたりする。こりゃ、ヤバイってんで、すぐにそういう場所からは退散するが、この町全体に、親近感と拒絶感が入り交じったような感情を内包している、そんな感じを抱いた。
 どこの街にでもいる馬鹿者が街を闊歩している。彼らの開放的なこと。今の日本からは消えた風景だ。日本には酔っぱらいはいても馬鹿者が大手を振って歩ける自由はまったくなくなっている。こういう街に来るたびに、そう感じる。
 バルパライソはサンチャゴに次ぐ都会らしいのだが、都会という雰囲気ではなく、田舎町が大きくなった、そんな感じである。貧困も大きく影響しているのだろう。至るところに懐かしさが混じりあい、人々は開放的でありつつ、どこか排他的である。カメラを持って歩いていると、何人かに注意されたが、危険だという。必ず首に掛けて歩け。すぐにひったくりに遭うぞ、という仕草をする人たち。英語はまるっきり通じない。スペイン語しか通じない。しかしながら、一方でとっても人なつっこく、笑顔が豊かであった。
 と、町中を歩いていたら、街のど真ん中に完璧な廃墟が現れた。これには驚いた。ど真ん中である。外観はそうではなかったが、内部はまるで火事にでもあったかのようにすすけ、そこかしこに焼け焦げた木材が転がっている。これはたぶん火事にあって廃墟になったのではなく、廃墟化した後で、内側で何かを燃やしたのだと思われた。
 僕にはなんとなく、この廃墟化した空間が街を象徴しているように感じた。思い出の街。現在に生きてはいても、内側で何かを激しく燃やしつつも、次第に朽ちていく街のようなにおいが漂っている。世界遺産に登録された、というのも面白い。何でこんな街が世界遺産なのか、さっぱり理解できないけれど、朽ちる過程を感じさせる街、という意味では、確かに世界遺産かもしれない。

 写真を撮りまくって、楽しい時間を過ごし、サンチャゴには夜7時半に戻ってくる。夜とは言っても、こちらは夜9時過ぎまで明るいのだ。だから、まるで夜という感じはないのだけれど、地下鉄の終了時間が早い。夜10時半には終わってしまう。だから明るさが消えたと思ったらもう地下鉄の足はなく、あとはタクシーだけである。
 8時に劇場へ行く。昨日も見た劇場ではあったが、また、なんともだだっ広い間抜けな、ショーを行うような空間であった。入り口で待っていたら、誰も来ず、ここは南米だからなあ、なんて思っていたら、そうではなく、みんなもうとっくに入っていたのだとか。
 劇場を出て、ひとり、肉を食いに行く。肉はやっぱりアルゼンチンだよねえ、なんて思っていたら、このレストランの肉は最高に美味かった。昼飯は海産物の山盛りマリネで、これもいけていたけれど、ビーフ肉はめちゃくちゃ良かった。値段は確かに・・である。しかし、同じモノを日本で食したら3倍は取られると思うと、ここぞとばかりに食ってしまう。これでサラダを食い、ワインを飲み(このチリワインが最高だった)、おっと、ポテトがうまかったなあ、これで日本円で1700円くらいか、この程度の贅沢は許されるだろう。

 戻ってくると、事務所からメール。
 2月12日と13日のアフタートークの相手が決定したとか。12日は中沢新一さん。13日は港千尋さんである。中沢さんは僕は今の日本の最高の知性のひとりと思っている。本当に嬉しい。港さんは写真家であり、美術評論家?であるが、彼も本当にいい文章を書く。港さんに最後に会ったのはいつだったろうか?もう15年以上も前になるだろう。パリで会い、国立のジャズ喫茶であったなあ、と思い出す。
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by kikh | 2005-01-21 08:59
 
いつの間にかエロ四姉妹形成
モントリオール公演も終わり、今日は昼からミーティング。来年、オタワのナショ
ナルアーツセンターで「Ship in a View」の上演を予定しているが、そのディレク
ターであるキャシーレビさんと話。彼女はパパ・タラフマラの稽古を1990年に見てい
るのだとか。パレードだったね、と実に良く覚えている。私はまったく忘れてしまっ
ている。ここでやれるかどうかの問題は、単にファンディングの問題であって、あと
障害は何もなさそう。キャシーはやる気満々であった。

 終わってすぐ、こちらの今回の主催元のUSINE C に行く。ディレクターのダニエル
とアシスタントディレクターのマークに会う。同じように来年の「Ship in a View」
の話である。ただ、同じくモントリオールでは別のオーガナイゼーションが「Ship
in a View」を行いたがっているので、ちょっと難しい。なぜなら、このUSINE C は
元ジャム工場で、すごく面白い空間であるのだが、その面白さは劇場として、「Ship
in a View」がやりやすいとはならないからだ。実に、この場所で新しい作品を立ち
上げる方に遙かに興味は移る。

 ふらふらと歩く。
 もちろんカメラ片手に、である。たまおが「おもちゃを持っている子供みたいです
ね」と言っていたけれど、まったく楽しい。子供だろうがなんだろうが、いいのであ
る。昨日は暖かく、1度か2度まで上がって、なんて暑いのだ、とまで感じるに至って
いたし、この1度か2度の気温で半袖で歩く人たちまで出始める、そんな環境にあっ
て、再び、今日は寒さが襲ってきた。それでも零下15度程度。これで寒いと感じる。
0度まで行けば、暖かいなんてもんじゃない。思えば15度の差は、20度が5度に下がっ
たようなもので、その差は極端に大きいのである。その寒さもなんのその、いつの間
にか、カメラ小僧になっている。まったくデジカメさまさまだ。金がかからないとい
うのは素晴らしい。もちろんかからない訳じゃないのだけれど、フィルムに比べると
格安で楽しめる。でももっともっと進化すると、どうなんだろう、やっぱりデジカメ
じゃなんて言っているのだろうか?技術の進歩が速いのだろうか?しかし、アナログ
のレコードと同じで、やっぱりアナログじゃないと味わいが出ない、と言う人たちは
消えてなくならないだろう。僕自身そうだ。アナログレコードは実に滋味深い。レ
コード針をレコードの落とすことが楽しい儀式なのである。まだ自宅には500枚の
アナログレコードが残っている。これを聞くのはたまにしかないのだけれど、それで
もたまに聞くとしみじみといいなあ、と感じてしまう。

 それから千日前青空ダンス倶楽部の面々、アンクリのと一緒に、ダンスを見に行
く。タンジェンという小さなNPOであるが、ケベック大学と結びつき、そしてアーカ
イブまで持っている組織である。さまざまなプログラムが組まれていて、興味深い。
千日前青空ダンス倶楽部のディレクターである大谷さんは、大阪でダンスボックスと
いう組織を運営している方でもあるので、強く興味を引かれていたようだった。大谷
さんはもともと北方舞踏派の出身らしいが、とても紳士的な雰囲気を漂わせた方であ
る。そもそもがこの千日前青空ダンス倶楽部は、このダンスボックス運営のスタッフ
たちに大谷さん(紅玉さん)が、何ができるだろうか、というので始めた舞踏集団?
であるらしいので、そのスタッフたちでもあるから、みんな興味津々であった。
 作品は、ううん、なんと言ったらいいか、というようなモノであったけれど、この
ディレクターはフランス人であるそうな。クレイジーなフランス人とはディレクター
の・・・さんの弁であるが、やっぱりケベックは、まさにフランスとの連携の深い州
であり、カナダはそうなんだと改めて認識し直した。言語の中心もフランス語なのだ
から。

 それから大谷さんたちと深夜1時過ぎまで飯を食い、飲んだ。実に楽しかった。昨
日はなぜか、ノイズムの連中と遅くまで飲み、いつの間にかエロ四姉妹が形成されて
いたけれど、なんとも楽しいツアーとなっている。思えば、こういう楽しさは単独の
ツアーではあり得ない楽しさである。
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by kikh | 2005-01-14 00:00
 
見本市
寒い。
 こんな寒さは味わったことがない。気分は冷凍庫である。しびれるような寒さ。
しゃきっとする寒さ。どころではない。瞬く間に冷える。しんしんと冷える。あっと
いう間に凍り付く、そんな感じ。
 しかし、そんな街にも浮浪者たちがいる。周りにたくさんの犬をはべらせ、たぶん
犬で暖を取っている浮浪者もいる。考えられない。この、下手をすると零下40度近く
にもなるという街で、外で暮らす人がいるなどということが、だ。彼らは凍死しない
のだろうか?どうなっているのだろうか?何か、凍死しないうまい方法があるのだろ
うか?これに比べれば、東京の冬など甘いものだ。
 
 モントリオールはケベック州だが、まさにここはフランス語圏の州であることを実
感する。英語ができない人も結構いるらしい。オランダの方がはるかに英語は上手。
英語を話す人たちも、強いフランス語なまりがある。何でもフランス語圏の世界第二
の大都市らしい。第一位はパリである。レストランに入っても、英語メニューがない
などということも珍しくはない。だから、2週間くらい前に、三人姉妹の台詞をどう
するか、という話が出たとき、最初、カナダでしょ、だったら、英語の翻訳があれば
いいじゃない、と言ったところ、フランス語がなければダメだ、と言われたのだが、
それがどういうことか、実感する。
 ここケベックでは独立運動すら起きている。カナダは英語圏と思っている人たちが
多い中、ケベックはまるで違う。同一の国家の中で、ケベックはフランス語圏なの
だ。だから独立運動。

 今回の公演ツアーであるが、公演と言っても、モントリオール、サンチャゴともに
見本市出演である。とは言え、やっぱり公演を行う。22分くらいの作品を私たちも見
せることになる。今回、こちらで一緒になっているのは、Baticとか金森君のノイズ
ムとか、森山開次君とか、千日前青空ダンス倶楽部だとか、みんな若い。千日前の紅
玉さんは、私より上か。こちらは舞踏系である。サンチャゴではHアールカオスと上
島雪夫ダンスワークスが一緒になる。
 見ていると、本当にいろいろな作品があると感じる。そしてみんなうまい。そして
どこまで強烈なオリジナリティを感じさせるかが問われている。その強烈なオリジン
性をどうやって作り出すか、こそが、最も重要なのだと思っている。あとは世界観か
な。まだ若いうちは世界観は大した問題ではなかろう。極私的な作品でも全然構わな
い。それは時間が解決したり、時間によって淘汰されたりしていくと思われる。
 
 公演は満席の客席で、かつ、入りきらない人たちが入り口にたむろしているような
状態で始まった。反応はどれもいい。「三人姉妹」の三人エロ姉妹もまた、奇妙その
もので、面白い。
 終わってから、ロビーで軽く一杯。軽くのつもりが、次第に酔ってくる。
 いろいろな人と話をする。今回の主催元のUsine C は来年、パパを呼びたいそう
だ。来年の2月にアメリカ、カナダツアーを「百年」と「Ship in a View」で計画し
ているが、たぶん「Ship in a View」になりそうである。ここのアシスタントアー
ティスティックディレクターのマークは、ストレンジ&クレイジーを連発していた。
 終わってみると、なぜかノイズムのダンサーたちと仲良くなっている。彼らの中で
「日曜日・・」から始まるパートが受けていて、彼らはもう「水曜日まで作った」と
言っていた。
 なかなかに楽しい夜は更け、外に出てみると飯を食うところがない。結局、マック
へ行って、何人かで楽しい会話。暖かい。だんだん、今日は夜になるに連れて、暖か
くなった。氷点下ではないのではないだろうか。これは凄いことだ。夕方はびゅう
びゅうと寒かったのだ。
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by kikh | 2005-01-12 00:00


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