★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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4/29秋田行き
 今日は秋田の角館行きである。角館の桜を見に、と言いたいところだが、実はわらび座からの招待があって行くのである。
 そこで、朝から一生懸命、ネットで新幹線を押さえようとした。早朝から、である。わらび座の是永さんには朝8時28分の東京発で出て、11時51分、角館と伝えている。しかし、まったく押さえられず。そういえば、ゴールデンウィークに突入しているではないか!私はまるでそういうのに縁がないので、さっぱりなんである。
 次々と調べるが、夕方まで満杯。仕方なく、是永さんに電話し、さてどうしたものか?と伝える。では、盛岡まで来てください。盛岡まで迎えに行きますよ、と。そこで再び盛岡行きを調べるが、こちらも全然チケットが取れない。やっとひとつぽっかりと空席が出たのが13時30分発の盛岡行きのグリーン車で、もうこの際、グリーン車?ぎょぎょ!!なんて言ってられず、ともかく、乗るしかなくなった。

c0036263_17464850.jpg 盛岡、16時40分。
 そこから秋田、角館近辺のわらび座まで、車で約1時間強。途中、ミズバショウ群生地に寄ったが、実に美しい。空気が澄んでいて、腹の奥の隅々まで、染み渡るような清涼さに包まれた。みずみずしさでいっぱいであった。ほんわり、ほんのりと水に揺れる様を見ていると、こちらまでがうっとり、ふんわりとしてくる。

 わらび座に着く。すごい。劇団からはじまった産業コングロマリットである。株式会社わらび座は、ふたつの部門を持つ。劇団わらび座と田沢湖芸術村。田沢湖芸術村の方では、実は、3つのホテル経営、地ビール醸造、民芸品、温泉、モーションキャプチャーを核とした舞踊符作成・・などをやっていて、それはどれも黒字であるそう。一方、劇団わらび座だけが赤字部門ではあるが、こちらにしても、ここで年間280ステージ。全部で5班に分かれ、他の四班は地方周り。ここの劇場、すなわち、この田舎にポツンとある劇場だけで、年間の動員数が7万人にも上ると言う。それ以外に、財団法人民族芸能研究所というのがあって、ここは日本の民族芸能を研究する機関で、日本中の民謡やら舞踊ビデオやら揃っていると言う。そしてそれはここにしかないものも数多いそうである。

 こういう話を含め、わらび座の方法を聞きつつ、是永さんと食事。
 と、途中で、首藤さんという方と、上記モーションキャプチャーをやっている長瀬さんを紹介される。首藤さんという方は、何でもわらび座と組んで映像事業を行なっている方と紹介されたが、話は面白かった。短時間のつもりで話をしていたが、結局23時過ぎてまで話をしていて、延々何時間になってしまったのだろう。
 
 酒が旨かった。きりたんぽが美味かった。豆腐が、天ぷらが美味かった。もう美味いものづくしの夕食であった。
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by kikh | 2005-04-30 17:45 | 日々の記録
 
4/28 日常の空洞
 早朝、中野で会議。会議にN氏が来ない。無駄は極力排するに限る。

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 9時過ぎには慌てて出て、多摩美で授業。
 相変わらず、みな、語らず。今までもそうだったが、みんな実に舞台のことは知らない。当然かな。おれもそうだったもの。舞台なんてさ、縁遠いものだったからね。だから、子供の頃から舞台芸術に親しむ方策が必要なのだ。これ、大至急、なんとかすべきである。でも、分かってない人が多いからなあ。

 舞台というのは、実は深いのだ。何でもできるだけに深いのである。そこにどこまでみんな、気付いてもらえると嬉しいのだが。

 
授業を終えて、ふらふらと多摩美内を歩く。別にどこにでもある風景にも見えるが、なにか変な感触をいつも持っている。たとえば、ここに載せた写真。これなども、どこへ行くのか、行っていいのか分からなくなるような感触を僕は持つのだ。多摩美内にはこういう場所がいくつもある。

 戻ってきて、再び会議がいくつか、夜中まで続く。
 「Heart of GOLD」販促会議。
 「三人姉妹」ツアーについて。
 楢崎から金のことは言うな、とたしなめられる。しかし、おれは分からないのだ。おれの場合は、予算がこれだけです、と言われた方が遥かにやりやすい。アイデアを出しやすいのである。でも、アーティストはそういうものではないと彼女は言う。ううむ??わからん。

 今日も朝から深夜までよく働いたねえ。
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by kikh | 2005-04-29 01:13 | 日々の記録
 
4/27 東京戻り
朝4時半にホテルを出る。
7時のフライトで帰国。成田着15時。機内ではともかく寝る。
帰宅17時半。
それから「はらのおと」にも書いたけれど、飯を炊く。今日は飯だけで食うのだ、と飯を味わうことにしたのだ。タイ米ばかりを食っていると次第に日本米への欲求が高まってくる。この飯を食う前に、じんわりときんつばを食う。ほどよい適度な甘さでうまい。ともかく、小豆好きなのである、私は。
飯をひとり、ああ、うまいと言いながら食う。うまい、ほんとうにうまい。
それからはずっとメールを書く。

あ、明日は多摩美の教えだったのを思い出した。ちょっと準備しなくては。
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by kikh | 2005-04-28 00:51 |
 
アフリカの熱風(シロッコ)
c0036263_3163525.jpg先ほど、ダイアリーを書いたのだけれど、どこに消えてしまったのか、見あたらず、再び書き直す気力が今はないので、まずは写真だけアップしておく。
これは64階の野外にあるシロッコという店の風景です。いやはや、すごいところもあったものです。僕が飲んだのはマッカラン12年もの。



c0036263_0401843.jpg見つかった。ダイアリーが、である。だから、このままアップする。



 今日は午前中に再び台本を軽く見直し、サイアムシティホテルをチェックアウト。再び初日と同じイースティンホテルに戻る。

 台本が一応は上がっているので、別のエッセーを書こうと思った。しかし、ここはタイである。出歩かなくてどうする。イースティン界隈は実は下町的な匂い漂うところであったが、BTSまでが遠い。これが安い原因なのだろう。それでも、いくらタクシーを使ってもこちらの方が安くなる。昼間、よく見れば確かに少し汚れがある。でもそんなことはどうでもいいのだ。25階に泊まっているが、この真下をハイウェイが走っていて、何本もの高速道路うねっている。そこをひっきりなしに車が走る。その様を見つめていると不可思議な幻惑に襲われてしまう。目玉がくるくる動きまくって、そのまま固定してしまうような幻惑だ。おれはアリか、トンボか?

 アリが次々とやってきて、とどまることを知らず、アリの行列の一員となったかのように、ただただ、機械的に動きまくっている、そんな幻想が漂うのだ。
 おれはトンボである。トンボの目玉である。目玉がその様子を見つめている。二重の目玉によっておれはおれの存在箇所を確かめたくなってくる。
 
 外に出て、近辺を歩く。駅周辺に行ってみる。ううむ。ちょっと見、同じだ。こりゃあ東京とかわりゃしないなあと思うが、やっぱり違うから面白い。インドあたりとはまるで違う。あの強引さ、生々しさはここにはない。だから、熱帯地方に位置するタイの首都バンコクが、東京に近く感じられるのかもしれない。

 そこでせっかくだから東京の青山みたいなところで、高級そうな美容院に入ってみた。450バーツだから、かなり高い。とは言っても、日本円に直せば1260円くらいか。伸び放題の髪だったので、切ってもらうと実に爽快。シャンプーも丁寧だし、切ってくれた美容師もたぶんタイでは先端を行っているのだろう。いろいろな若者に指導している。その当人も若者だから、美容文化はまだまだ育ち始めたばかりという感じで面白かった。

 それからバンコク先端に位置しているというカフェと食い物屋に行ってみる。まあ、どうってことない。飯も珈琲もさほど美味いわけではない。だが、こういう西洋風の店が出てきていて、注目されている。数年前までは考えられなかった。あったのかもしれないが、数はきわめて少なかったのだ。それがまるで違う。バンコクはきれいになった。静かで落ち着く店が多くなった。静けさが得られるというのは、思えば画期的なことで、それだけ金持ちというか中産階級が増えたということなのだろう。
 
 パッポン通りをぶらつく。まったく相も変わらず。面白いともまるっきり面白くないとも言える。おんな、見るだけ。マッサージ、マッサージ。何のマッサージだよ、おっさん。チッと舌打ちし、手で振り払うだけである。それもだんだん面倒になって、何も答えない。
 ゴーゴーバーのお姉ちゃんたちは、田舎から出てきているのか?それにしても少女たちがずらりと並んで踊っているのが通りから見える。これも何も変わらない。写真を撮ろうとすると制止される。珍しい。何をしようが制止が入らないところなのだ、タイは。この少女たちはこれからどこへ行くのだろう。バンコク出身者は数少ないと聞く。みんな、少し稼いだら田舎に戻るのだろうか?

 で、有馬温泉というところでマッサージを受けることにした。素晴らしい。2時間で330バーツ。約900円で天国である。すぐ手抜きをするマッサージ師が多い中、実にうまいマッサージ師で、一切手抜きなし、感動ものだった。だが、周りがうるさい。隣りにいた日本人駐在員とおぼしきは、マッサージ師に日本語を教えて得意げであり、向かいにいたアメリカ人はアメリカを吹聴して得意げであった。そうかと思うと、遠くから「OK牧場」なんて叫んでる日本人がいる。パッポン通りの近くには日本人通りがあるのである。タニヤ通りという。ここは日本語の看板ばかりだ。寿司屋、居酒屋が目白押し。不気味この上ない通りだ。

 それから地元海鮮料理を食いに行く。蟹肉をたんまりと食う。

 それから川縁の64階にあるバー兼地中海料理屋に行く。場所も空中都市のようですごいんだが、値段もタイにしては、ものすごく高い。最低の飲み物代が290バーツであるから、こりゃあ高いなんてもんじゃないのだ。25バーツあれば飯が食えるのである。で、突然、思い出した。一年前、タイに来たとき、楢崎から是非、行った方がいいと勧められていた店であった。シロッコという名。遠くから見ても、このビルは光り輝き、タイの豊かな様を表わしているようである。
 この風に吹かれる空中都市からは、チャオプラヤ川が真下に見え、見上げると黒人ジャズバンドがジャズを演奏している。なかなか巧みな演奏である。だが、演奏は完全なバックミュージックと化し、多くの西洋人客たちは、まったくそんなものに見向きもせず、少々かわいそうであった。自己紹介をし、バンドメンバーを紹介しても、おれしか聞いていない。ということは普段は誰も聞いていないに近いのだろう。
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 それにしても不思議な体験であった。タイ、バンコクのイメージが大きく変化した空中都市体験であった。そしてホテルに戻るともう1時半。こりゃやばい。4時過ぎには出なくてはならないのだ。ドンムアン空港に向かって。
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by kikh | 2005-04-27 03:17 |
 
第一稿・書き上がる
今日は、午前と夕方で、「Heart of GOLD」台本第一稿を仕上げる。やっぱり、全然、集中の仕方が違う。まるで違う。
とは言え、もう少し、考え抜く必要があると思っている。だから第二稿、第三稿と続くことになるだろう。でも、第一稿が上がってほっとした。

昼11時に国際交流基金の運転手がホテルまで迎えに来てくれ、基金事務所へ。所長の須藤さん、内田さんと話をする。それから何人もで食事に行って、タイスキをごちそうになった。これが実に美味かった。
それからタイ文化センターの下見を内田さんと。特別に公演が決まっているわけではないのだが、やるならばここしかないだろうと言われて見に行った。誰にも何も言わなくともスイスイと入っていける。セキュリティも糞もあったものではない。誰でも簡単に入れてしまうのだ。1800の劇場と400の劇場を見る。やるならば1800の方だろうなあ。

楽しい食事時間の後で、台本書きをチョットロムに数件あるうちのひとつのスタバで行なう。が、このスタバ、一軒家を改装したとかで、実に居心地が良かった。これなら、毎日でも来たくなる。だが、スタバ味、飽きるのだよなあ。もうひとつ深みがあればいいのだけれど、いまいちなんだよな。
ここで書き上がる。ホテルに戻ってきて、もう一度、読む。まあ、一応、第一稿としての上がりである。

時間は21時半になっていたので、慌ててアジアホテルに行く。こんなことができるのも、一応、書き上がったからである。ほっとしているのである。
アジアホテルまでは近いのだ。アジアホテルは昔の巨大な豪華ホテル。今ではかなり落ちてきてはいるけれど。ここのカリプソというキャバレー?で行なわれているおかまショーは評判を取っている。噂に違わず、これはとても面白かった。きれいなおかまばかりではなく、不気味なのもいるが、ともかくショーとして飽きさせない、そのプロ根性に頭が下がる。ダンスは決してうまいとは言えない。だけど、これはショーなのである。総合的に見せるショーであるから、ダンスだけで評価できるものではない。昨日見たパトラバディシアターでの公演より、はるかに客のことを考えて作っている。まあ、ショーだから当然なのだけれど。そして彼らは女より遥かに女臭い。いや、女よりというより、本物の女ではないから、女であることの研究には余念がないということなのだろう。
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最後にずらりと彼らが並び、客を送るのだけれど、近くで見ると、確かになかなか不気味ではある。舞台上ではあれほど美しく見えたオカマが、結構すごかったり、逆に舞台ではどうってことなかったのが、きれいに見えたり、やっぱり舞台は魔物が住んでいる。


c0036263_3305767.jpgこの後、飯を屋台で食っていると夜中だというのに、象に乗った男が通った。もうすげえ。やっぱりタイだなあ、ここはと実感した次第。
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by kikh | 2005-04-26 03:31 |
 
パトラバディシアター
 午前中、そして午後2時頃まではは台本書きに専念。
 それから街歩き。ウィークエンドマーケットなんぞに行ってみるが、たいして面白くはない。買いたい雑貨などはあるのだが、こんなもの買ったって、重いし、自宅に戻れば置き場がないと思ってしまうと、買うことにためらいが生じ、結局、諦めることになる。

 バンコクもまた、他の東南アジアの都市と同様にどんどんきれいになっていく。良くも悪くもタイらしさが消えて、東南アジアのどの都市にいるのか、まるで分からなくなってしまっている。世界は本当に均質化に向かっている。均質化に向かえば向かうほど、そのスタンダードはアメリカを意識せざるを得なくなり、あるいは反アメリカを標榜するか、そのどちらかになってしまうのだ。悲しいかな、それが現実である。
 その現実を打破し、新しい動きを作り出すためには、実は文化意識を持たなくてはならないが、文化意識を育てるのは、実は容易ではない。目先のことが文化だと思っている連中の方が圧倒的に多いわけだから、仕方がないとも言える。しかし、生活は、もっともっと伝統性と先進性、その両方を意識した方が、軽快感が出るのであるが。

 それからトンローエリアをぶらつく。まあ、どこでもいいのだけれど、もっと古い街並みを見たいと思っているけれど、なかなか行き当たらない。ここもまた、ジャパンタウンと言っていいほど、日本語が溢れているエリアだ。

 大急ぎでホテルに戻る。国際交流基金の内田さんが、パトラバディシアターで行なうチケットを取っておいてくれ、おまけに迎えに来てくれるからだ。パトラバディはこちらの大金持ちで、何かあると話に出てくる舞台芸術家でもある。自分自身で劇場を持ち、学校のようなものも持っているという。篤志家である。内田さんは、基金の公演課の課長だったときにつき合いが少しあった。
 公演はまあまあ、であった。だが、問題もたくさんある。これは今のタイ舞台芸術界の限界かな、とも思う。要はもっともっと学ばなければ、まずいだろうということだ。

 終わってから内田さんとビールを飲む。それがいつの間にか食事になってしまった。写真は内田さんとのチャオプラヤ川のほとりのパトラバディシアターのカフェでの食事風景である。左側に見える寺院は、三島由紀夫の有名な「暁の寺」であるとのこと。月は満月。もう少し左手には、実はエメラルド寺院がライトアップされているが、この写真には写っていない。内田さんと暁の寺をクローズアップ、である。内田さんは、堅苦しい人だろうと思っていたら、意外にとても楽しい人だった。なんでも奥さんがタイ人で、基金の派遣ではタイは三回目なんだとか。
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by kikh | 2005-04-25 01:07 |
 
4/23 バンコク二日目
 昼にチェックアウトし、ホテルを変わる。もっといいはずのホテルにした。確かにサービスは良さそうだ。部屋もこぎれいである。しかし、比べても仕方ないのだけれど、こちらの方が部屋は狭く、バスタブも小さい。だけど、なんとも素敵なホテルである。
ホテルというのは面白い。格のようなものがあって、それは全体から滲み出るものである。気品とでも言えばいいか。どんなに部屋が広く、良さそうに見えても、フロントの対応ひとつ、壁の染みひとつで、どの程度のホテルか分かってしまう。一年のうち、3分の1くらいはホテル住まいしている身としては、どうしてもそのホテルの気品は気になるものだ。しかし、高いホテルだからと言って気品があるとは限らない。だから面白い。老舗だからと言って気品が出るとも限らない。新しくても十分に感じられるホテルもあるのである。それはホスピタリティの精神とでも言えばいいか。

さて、今日は、きちんと書くという仕事をする。
そしてきちんとタイ古式マッサージに行く。いやあ、気持ちええ。まったく一日一回は行っておかなくちゃ、タイでは。だからタイはいいのである。飯はうまい、マッサージは気持ちええ、人は穏やか、ノンビリしていて、またおおらかでいい。

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そうそうアップした写真。これ、露店である。露店ボンデージショップ。面白かったのは露店大人のオモチャ屋なんてのもあったりする。こんなのはタイ以外では見たことがないのだ。
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by kikh | 2005-04-24 02:06 |
 
バンコクへ
 結局、日本にいると雑用に追われまくって、全然、書く方に集中できない。なぜなのだろう。やることが多すぎるのもあるけれど、いないとなれば諦めも付くが、いるならば、よろしく、とどうしてもなってくるのである。今日だって、本来は日本のどこかへ脱出してしまって書こうと思っていたが、やっぱり楢崎と会って話をしておかねばまずいだろうってんで、結局、新規BARの話をすることに。

ゴールデン街は深夜1時~3時ころが一番、人通りがあるという。本当?なんだろうか?9時では早いと楢崎。ともかく、何か生み出さねばならないのだけれど、無理を重ねて、そして何もなくなったでも仕方がない。要は慎重に、かつ大胆に、だ。おれが時間があったら、数日、通うのだけれどなあ。一日中ではなく、夜から朝まで。おれは深夜1時~3時には寝る時間となっているので、この時間帯に起きている人間の生態を知らないし、ゴールデン街華やかなりし頃もまるっきりダメになってしまった頃もわずかに知っているが、今、再び息を吹き返した、ということがどうも昨日見ただけでは納得できないでいる。

さて、今日はもうすでに今、バンコクにいる。
やっぱり脱出し、集中しなくては。これさえできれば書くことはすぐにでも可能となる。明日、明後日くらいで目処を付けてしまいたい。そんな意気込みでいる。脱出がいいのは、飛行機に乗ったときから、もうモードは日本ではない。バンコクでもないが、どこか宙ぶらりんの中間領域にいる。
こうやって何かあると海外に来れてしまうのも、すべてはマイレッジのおかげである。飛行機代が無料だから来れるのだ。そしてタイあたりにいれば、金はたいしてかからない。空港まで東京でタクシーで移動したら15000円くらいはかかってしまうが、バンコクならば300バーツだから830円くらいだろう。距離が近いというのもある。だから、時間が空いたら海外脱出を図る。とは言え、そうそう脱出できるものではない。6月からはもう、何もできなくなるほど忙しい時間が待っている。今、である。今しかない。が、要は前回のインドでの失敗を繰り返さないようにきちんと書くことに専念する必要がある。とすると、そこそこ気持ちが良く、かつたいして面白くないシンガポールあたりがいいのだが、突然、エアーチケットがバンコクまで取れたので(というのも、ユナイテッドのマイレッジで直前にバンコクへなんてのはほとんど不可能に近いのだ)、やってきてしまった次第。

で、今日は初日、深夜着だから安いホテルで我慢して、明日からましなホテルで気持ちよく書こうと思い、EASTIN HOTEL というホテルにしたのだが、入ってみてびっくり、これが3800円のホテルというくらい凄い。凄いなんてモンじゃない。部屋が空いていなかったので、アップグレードをしてくれたようでデラックスルームになったのだけれど(同じ値段だ)、まあ、言うことない。しまった、これならここにずっといて、浮いた金でマッサージ三昧といけば良かったと思ったが、後の祭りだ。インドの失敗を繰り返さないために(書くという意味のみにおいて、である)、全部予約してきたのである。さて、写真の部屋がそうであるが、これ、一部しか写っていないのが残念。

今は深夜1時。時差が2時間あるから、日本は3時である。

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       疲れ切ってますねえ。早く寝なくては。
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by kikh | 2005-04-23 03:40 |
 
4/21 ゴールデン街
 11時10分に多摩美に着いて、さあ授業と思ったら、あれれ、閑散としている。いや、もう授業はとっくに始まっている時間だという。ええ、11時10分開始では?と聞くと、今年から10時40分に変更になったんです、とは担当助手のあざみ君。

 また、今年も授業が始まった。しかし、問題は今年、どう変えるかである。教室には学生が溢れかえり、椅子に座れない学生までいて、なんでも人気授業らしいのだけれど、いつものことながら、単なる概論なんて語りたくはないし、では、どうやったら概論を越えた概論とすることができるかを探りたいと思っているのである。
 みなに、昨年に引き続きアンケートを取ってみると、やっぱりあまり舞台のことについて知らない学生が多い。舞台と言われてもピンと来ない、そりゃあそうだ。おれもそうだったものなあ、と振り返る。来週はなぜ舞台を始めるようになったかを話したいと考えている。教えるのが苦痛だと思ってしまうとどんどん苦痛になってくるので、楽しむ方法をもう少し探りたい。

 それからはずっとミーティングが続く。声が最後は出にくくなっている。
 山田真由美という昔のP.A.I.の生徒がやってきて、オランダの学校へ行きたいので推薦状を書いてくれと言う。まあ、いいよ、とさらさらと書いたが、彼女とは4年会っていなかったけれど、4年も会わないと、20代の女性は変わるものだなあとつくづく思ってしまった。まあ、4年間の大半は海外にいたそうだから、ずっと日本にいたよりも良かったのだろう。日本にいると堅苦しくなってくる。息苦しくなるような面を多く持ち合わせている。でも、日本にだけいるとそれが分からない。だからどんどん詰まらないことで苦しむことになる。ことばなんて分からなくてもいいから、どんどん別世界へ出ることだろうと思う。それは内的なことでもいいのだ。読書は内的体験と言うではないか。しかし、その内的体験を体験と感じられるには、感性と身体感覚が必要になる。それをどうやって養うかだ。

 楢崎に促されて、新宿ゴールデン街へ行く。今、ゴールデン街に再びブームが・・・と言うことだったのだけれど、どうも人が歩いていない。夜19時半くらいに行って、あまりに人がいないので、近くで餃子を食い、21時頃に再び訪れたのだが、ほとんどの店は閑古鳥が鳴いている。ううん、楢崎さんはいったい何をもってゴールデン街が面白いと言っているのだろうか?今の段階ではさっぱり分からない。
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by kikh | 2005-04-22 11:02 | 日々の記録
 
4/20 Heart of GOLD~「百年の孤独」より~
 今日、私は直接は知らないのだが、私のマネージャーとして動き出したオークボ有花がよく知っている岡本敏子さんが亡くなった。岡本太郎の養女ということになっているけれど、
実際は奥方だった。オークボと打ち合わせを行ない、時間が来たので、つくば財団の方々とのミーティングを間に挟んで戻ってくると、大泣きしている。スタバで大泣きしているから、なかなかの注目度ではあったが、まあ、そんなことはどうでもいい。泣きたいときは泣けばいい。あたり構わず泣けばいい。
 岡本敏子さんの功績は非常に大きい。岡本太郎は、大阪万博以降15年くらい前までは、単なる奇人のゲイジュツカというような扱いであった。「芸術は爆発だ」の変なジジイくらいにしか見られていなかったのを、ここまでの地位に引き戻したのが、敏子さんである。その敏子さん、先日までは元気で、私にもいろいろと声をかけてくれた、とはオークボの弁である。それが突然、今日、誰かが行ってみたら亡くなっていたのだとか。苦しまずに昨日まで元気でぽっくりと逝く、これはこれで理想的な死に方だろう。だが、79歳。まだまだとも言えた。冥福を祈る。

 それからサンアドで葛西さん、安藤さんとミーティング。急遽のMTG。
 私の熱い思いを伝えた。「Heart of GOLD~‘百年の孤独’から」というタイトルにしたい、と。やっぱり僕には「百年の孤独」が「0」では弱かったのだ。ずっと考えていて、「Heart of GOLD」こそがふさわしいととても意を強くした。これで決定である。

 葛西さんにはそのあとパレスホテルのうまい中華料理をごちそうになってしまったが、その場でも、もう「Heart of GOLD」のオンパレードとも言っていいくらい、このことばを喋った。今はキンタマがなくなっている。キンタマシイこそが今からを救うのだとか、なんとか、喋った。「Heart of GOLD」はカラダの問題とも直結してくる。カラダの感覚不在に陥って、どうして「Heart of GOLD」なんて分かるものか。分かるはずがない。なぜなら、心の中心はカラダと大きく連動しているからだ。しばらくぶりに長々と話をしたが、とても楽しかった。
 
 オークボと楢崎もその場にいて、ちょうど僕の向かいに座っていたのは瀬戸内寂聴さんであった。僕だけが気付いていたみたいで、あとでオークボからは何で教えてくれなかったと文句を言われる。そうか、今日は岡本敏子さんが亡くなったのだから、瀬戸内さんに手を合わせたかった、と。そう言われればそうなのだけれど、死んでしまったならば、もう、あとは自分が何を引き継ぐか、である。それこそが最も大切な点だろう。オークボよ、岡本敏子の「Heart of GOLD」をきちんと引き継ぐことが一番の冥福を祈ることになる。
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by kikh | 2005-04-21 00:07 | 日々の記録


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