★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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12/30-31
 大晦日となってしまった。
 大晦日の今日は、昨夜の「下町兄弟」さんと一緒の忘年会疲れか、なんともゆるりと過ごしている。
 昨夜の忘年会は面白かった。
 下町さんと門前仲町で忘年会をしよう、という話になっていたのだが、その会場を探しに下町さんが門仲をプラプラしていたら、ジャズ評論家の青木和冨さんに偶然、会い、その青木さんから勧められたのが、ある餃子屋であったのだとか。

 忘年会には青木さんも同席(僕ははじめての邂逅。でも、昔からのジャズファンとしては青木さんの名前だけは知っていた。)、なんでも青木さんの仲人をしたのが、マルケスの「百年の孤独」を翻訳した鼓直さんだと言う。
 面白い偶然。

 そして、この、どうということもないギョウザヤ。ところが、入ってしばらくすると、白子の天ぷらが出て来、それから最高に美味い刺身(なんせ活きのいいアワビまで入っている)、そしてやっと餃子。しばらくして、スキヤキとアンコウ鍋、とギョッとするよな贅沢きわまりない餃子屋であった。
もう、足は冷え冷え、あまりに普通のラーメン屋、ギョウザヤ!こいつが一皮剥けば、こういう仕掛けになっているとは!驚き、びっくり、唖然、であった。

 下町さんは、実にいい男だ。こういう人が今でもいるのだととても勇気づけられるが、同じようなことを下町さんも言っている。

 カラオケ屋に行き、歌を歌い、自宅戻りが朝3時半過ぎ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、今年を振り返ってみると、やりたい放題の年であった。
 それも気持ちよくやりたい放題だったので、すごく長く感じた一年でもあった。
 新作2作品。そのうち1本は「HOG/百年の孤独」だから、充実を通り越し、テンションが上がりまくりではあった。
 大きな初写真展開催。
 小さな写真展を3回、開催。
 人生初ライブを敢行。
 カナダ、チリ、ブラジル、韓国、ポーランドツアーを行なう。
 
 来年は、明日、元旦にでも書こう。
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by kikh | 2005-12-31 23:59 | 日々の記録
 
12/29 寒風
昼過ぎから巣鴨。
巣鴨などにはほとんど降りたことがない。
たまおとMTG。

そして、ある出版社に行き、パパ・タラフマラと小池博史の本を出す算段をする。
まだ確定ではないが、出そうという方向で動いている。

終わって、ブラブラと、とげぬき地蔵へ。
入り口あたりに巨大地蔵が鎮座していたので、そこがとげぬき地蔵だと思ったら、違っていた。とげ抜き地蔵とは何であろうか?とげを抜く地蔵?

地蔵を辞書で調べてみると、地蔵菩薩の略とある。そして、地蔵菩薩とは「釈迦の付託を受け、その入滅後、弥勒仏の出生するまでの間、無仏の世界に住して六道の衆生を化導するという菩薩」とあった。とすると、とげぬき地蔵とは、六道の衆生の心にある棘を抜き、化導する菩薩のこと、なんだろうか?

赤いパンツやら赤い下着がたくさん売られている。赤パンツは健康にいいのだとか。
とても面白い光景。すべて赤くならんだパンツやら下着やらは、なんとも不思議な感慨をそそる。奇妙に歪んだ劇的空間となっている。

とげぬき地蔵とさよならし、恵比寿ガーデンプレイス39階の東天紅というチャイニーズレストランに行く。一望の下に見渡すことができる夜景。これは凄い。
ポーランド大使館の副大使から、スタニェフスキーさんを囲んで太田省吾さんと僕が招待された次第。飯は美味かった。話も楽しかった。
2007年度の話をする。ポーランドとの間に何か起こすことになりそう。
面白かったのは、ここに来る直前に寄っていた出版社で太田さんとの対談はどうですかね、と相手の編集者から、何も言っていないのに話が出た点である。楽しい偶然だった。
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by kikh | 2005-12-30 01:30 | 日々の記録
 
12/26 会議漬け
朝から夜まで会議の連続。
しかし、風邪を引いたようで、かなり辛い。
声が出なくなってきている。

会議も準備のない会議ほど辛いモノはない。時間ばかりが浪費される。

あいかわらず、日本にいらだつ。
感性の欠如した声のでかいヤツか、文章好きのおたくばかりがもてはやされる。
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by kikh | 2005-12-27 09:52 | 日々の記録
 
12/25 クリスマスの日
ネットで調べものをしていて、何かの拍子に「HOG/百年の孤独」の批評をしている人のサイトに入ってしまった。
こういうのはヤベエと思ってすぐに抜け出す。なぜなら、結構、不愉快なことを書く人が多いからだが、時間があることもあって、読んでしまった。
なんでもその人は30歳のアーティストであるらしい。
30歳のアーティストが、「新しいことは意識して作り出すのではない、ということだけ言っておきたい」などと偉そうなことを言っている。まあ、あと10年やってから言いな、なんである。30だよ。まだ、大したことをやってないじゃないか、分かったようなこと言うんじゃない。そういう断定こそが衰退の始まりということを忘れない方がいい。

若いから生意気であるのは許そう。そして生意気でないと若いとは言えまい。しかし、若くして「意識して作りだそう」という気概もなく、なにがアーティストか。人の批判をするのだけは得意なアーティスト、あるいは批評家にはなって欲しくないのである。あるいは人の言葉を丸飲みにする人にもなって欲しくはない。そういう輩がなんとも多い。自分の好みと好みじゃないものでしか判断ができない、そして自分の好みの文脈でしかモノを見ることができない人たちが何でこの国にはこんなに育ってしまったのだろう、と思う。
ともかく、内向きだ。内向きでしか判断がきかない。そしてそれこそがトレンドである。トレンドだから、仕方がない。だが、それでいて、今の岡本太郎ブーム。岡本太郎が言っていることは、正反対である。しかし、太郎は権威となったから許せるのだと思う。

すべては意識するところからしかはじまらない。
「HOG/百年の孤独」の何が新しいか分からない、という人もいるだろう。それは、そうだ。わかりやすい要素が入っているし、新しいかどうかはどうでもいいからだ。しかし、僕自身の中では新しい。なぜなら、「百年の孤独」を舞台に載せることは到底不可能だったからだ。不可能で、それを可能とするためには、絶対に新しい言語が必要だったのである。嘘だと思うならやってみればいい。絶対に出来ない。絶対に不可能だ。面白く見せられるなら、見せてみろ。無理だよ。

こういうことを、実に経験値の浅い人たちが、いかにもモノを知った風に言うのは、僕にはとても不愉快だ。やってみな。君にしかできないことをやってみな。権威から外れて、トレンドからも外れてやってみなはれ。
おい、若い君よ。と、肩を押してあげたい。


以下は山口情報芸術センターで公演した際の「HOG/百年の孤独」に寄せてくれた作家の天童荒太さんの文章だ。
天童さんとは東京での公演後に会って話をしたが、とっても素直なクリアーな言葉が返ってきて、実に楽しかった。だが、意識がすっきりと素直でないと、以下のような見方もできない。できるはずがない。なぜなら最初に知識ありき、という人では無理だからだ。


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幸福の共有 ?パパ・タラフマラ公演に寄せて? 天童荒太


価値観を拡げる幸福

山口へ飛んで行きたい。パパ・タラフマラが、山口に滞在して作品を創造し、その地で世界に先駆けて発表すると聞いたからだ。
人にとっての幸福は、様々な考え方がある。多くの人と心を通わせ、互いにつながりを感じ合って生きること。他人の痛みに注意深くなり、離れた人々の悲しみにも心を添わせて生きられる自分に成長すること…。そして、小さな島国の、さらに小さな町や村で育てた価値観を、いろいろな体験で拡げたり、ひっくり返したりして、内面の景色を豊かなものにしてゆくことも、幸せのひとつだと思う。
パパ・タラフマラの舞台を観ると、自分のこわばりかけた価値観を、拡げられ、ゆるめられ、もっと伸びることを教えてもらえる。


混沌から立ちのぼる美

たとえば、今年発表された「三人姉妹」は、人間の愚かさ、いとおしさ、環境に左右される人の怖さと滑稽さ、けれど根っこに持っている性の躍動、生命力の力強さを、優美かつ激しい踊りと、選び抜かれた言葉と音楽、想像力を刺激する空間表現とで、伝えてくれた。観終わって、日常の暮しへ戻る帰り道、高揚する想いのなか、風景までが違って見えた。
知らない方々に、じゃあパパ・タラフマラって何と尋ねられたら、ダンスと言い、演劇的と言い、練られた言葉が飛び交う詩だと言い、音楽の芸術性が高く、美術や衣裳も鮮やかな色彩と卓越した造形力で楽しませてくれ、声楽もあり、笑いもあり、人間にとって大切な性が描かれ、なおかつ上品、なおかつ猥雑、この世界と、そのなかで懸命に生きる人々の姿まで、確かな目でとらえられている…と伝えたい。何もかもだ、と戸惑われるかもしれない。そう、本当に何もかもが入っていて、それが美しさに昇華されている。だから、こちらの価値観の幅も伸びてゆく。


瞬間に立ち会う奇跡

今回は、ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」を題材に表現されるという。紙に書かれた文字が、空間に起こされ、どんな世界が目の前で展開されていくのか、歓びの期待に緊張さえする。テレビや映画は、ビデオやDVDでも見え、本もいつでも読めるが、舞台だけはその日そのときに観るしかない。 かつて寺山修司という天才がやはり「百年の孤独」を題材に東京の外れで舞台を上演し、当時学生だったわたしは、なけなしの金をはたいて、雨のそぼ降る寒い埠頭へ観にいった。絢爛豪華な人間博覧会のごとき豊穣なる空間表現は、こちらの幼い価値観を砕いてくれる夢か幻のごとき舞台だったが、それを観ることのできた幸福な人間の数は限られ、そして二度と観ることはかなわない…。

幸福を得るには、時間と場所と心身の状態がタイミングよく合うという奇跡が、ときに必要ではある。だから12月、会場に来られるチャンスがあるなら、どうか逃されないようにと思う。せっかくの幸福を、できれば多くの人と共有したいため、親友の背中を押すような想いで、勧めたい。
ああ、山口へ飛んで行きたい。
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by kikh | 2005-12-26 00:30 | アート
 
12/24 帰国
昼前に帰国。

日本航空に乗ってスチュワーデスの動きを見ていると、これほど親切丁寧な対応をするのは、やっぱり日本の航空会社だなあ、と思ってしまう。

このJALの前に、ベトナム航空でダナンからホーチミンまで来たのだが、このとき、ダナン空港に止まっていた機内で、スチュワーデス(おっと、フライトアテンダントと言わねばならんのだったな、今は)と観客とのもめ事があった。一切、スチュワーデスが、引かない。何を揉めていたかは分からない。ベトナム語だったので。
しかし、日系だったら、いかにも下手に、済みません、済みませんと言いつつ、相手に身を引かせるみたいな対応をするだろうけれど、この直接、顔を鬼にしてやり合ってしまうスチュワーデスがいるのだとびっくりした次第だった。
けれど、まあ、たいていはこっちの系列で、日系のスチュワーデスの方が珍しい、世界的には。

日本からベトナム入りするとき、JALのあるスチュワーデスが、コーヒーをこぼしたのだな。そしたら、もうその後が凄い。次から次へとやってきて、客に対し、済まない、済まないと連発し、客が大丈夫、ありがとうと言っているにもかかわらず、上司が出てきて、不具合をしでかしてしまい・・・とまた、下手。もめ事を起こさないことが、何と言っても美意識のトップに位置する日本人らしい思考が透けて見えた。

これは決して非難されるべき態度ではない。しかし、俺なんぞは、もう一回いいって言ったんだから、うるせえんだよ、と思ってしまう。何度も何度も、なんで謝るのだ、適当にヤメロヨ、と言いたくなってくる。

僕はエマージェンシーシートに座っていて、シンガポール人スチュワーデスが、その前の席に着陸時、着席するとき、済みません、失礼します。と言って座ったのだ。なかなかきれいなスチュワーデスであった。とまあ、それはさておき、この人、まず、こういう習慣のないところで、育っていたにもかかわらず、JALに就職。社内教育で、「済みません、失礼します」と言って、座れ、と教育されたのだろうなあ、と少し寂しく思うのである。
これが日本流のコミュニケーションの取り方とは言え、シンガポーリアンが、物腰を日本流にし、顔つきも日本人の如く静かなたたずまいで、「済みません、失礼します」と言っているのだ。座ることは、当然のことである。着陸時なんだから。そしてそこに座るのも通常のことである。それをいちいち「済みません」と挨拶する。これって奇妙だとなぜ思わないのか。これぞ、日本なんだろう?しかし、馬鹿丁寧だ。柔らかな微笑み、軽い会釈くらいでいいだろうと思うのである。

日本では未だにお歳暮やお中元が幅を利かせている。効果的だからお中元、お歳暮なんだろう。人間関係とは目に見えないところにある、というのも最もである。それは心を伝えることでもある、と言うのも。昔の連中は蕩尽を行なったではないか。しかし、この蕩尽とは見返りを一切期待しない蕩尽であった。見返りを期待する蕩尽はなんか、嫌だ。

帰国し、外の空気に触れると、寒さが一気に襲ってきた。ベトナムも寒かった。日本はもっと寒い。しかし、日本には暖房がある。ベトナムは寒くても扉を開けはなっている。暖房など一切ない。
どどっと鼻水が流れ落ちる感じ。
やべ、風邪か?
昨夜は寝られなかったから、少しでも休息しなければ。ベトナムが休息であったはずなのに。
そう、確かに。だが、ベトナムは休息であると同時に、何か戦いもあった。
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by kikh | 2005-12-25 17:12 |
 
12/23 MY SON Sanctuary
朝、起きて、さてどうしたものか?今日は。ダナンでノンビリ。いやいやホイアンでのんびり?と考えていた。なんせガイドブックをなくしてしまったために、こちらの人に聞いて、どうするか考えようとしたが、どうも要領を得ない。英語がみんな怪しい。分かったのか、分からないのか、はっきりとしない返事を寄こす人がとても多くて困った。
で、まあ、ホイアンがなんだか分からないので、本屋で英語のホイアンガイドを買ってみると、My Son Sanctuary という世界遺産に登録された遺跡があるらしいので、急きょ、見に行くことにする。
ホテルのフロントやトラベルエージェントに聞いてみると、どこも朝8時半に出発し、昼の1時には戻ってくる、という。そのときは、もう11時だった。タクシーならいくらかかる?US$で25$だという。とんでもねえ、25$?じゃあ、いいや、バイクタクシーと交渉だ、というので、バイクタクシーでかなり安上がりにMy Son 遺跡に行って来た。それにしても寒さに震えた。片道1時間10分もバイクに乗っていると、ガタガタとふるえがくる。自分で行くか?いや、俺は道がわからないので、乗っけてってよ。じゃあ、いくらいくら?いや、たけえ。ダメ。じゃあ・・・・。いいよ、もう。いや、・・・・と、交渉し、6$で行ってもらった。

面白いのは遺跡もそうだけれど、バイクに乗りつつ、生の風に当たり、田舎の人々の姿をたくさん眺められることだ。これがバスに乗ったり、タクシーに乗ったのではこういうわけにはいかない。
ベトナムは、こちらの色彩感覚がおかしくなったのではないかというくらい、気味悪いほど、原色に近い、濃いパステルカラーを多用する。学生たちのアオザイの制服は、あれは戒めなのではないか?ついつい、色が氾濫してしまう性向を白い制服でしっかりと固定する。

それにしても郊外に出ると、いかにここが穀倉地帯であるかを知ることになる。田圃、田圃、田圃が続く。まだまだ機械化されているわけではなく、活躍するのは牛である。天秤棒を担ぐおんなたちの姿がたくましい。顔つきも、たくましい。思えば、日本は食を外国に頼る国になってしまった。これは、危機以外の何ものでもない。何も起きないとは限らない。これも重要なリスクヘッジだと思うのだが、そういうことにはこの国の指導者たちは意識が向かないらしい。

My Son遺跡は、確かにすごかった。僕が行ったのが、もう昼1時を回り、ほとんどのツアーが終了した後であったことが幸いし、人がほとんどいなかった。これはまさに正しい遺跡との対面の仕方である。観光客は邪魔でしかない。
何も知らずに行ったが、この遺跡はなんともさまざまな宗教が混ざり合っているようで、不思議な感覚に陥った。ヒンズーと仏教、それ以外にも多くの宗教が混じっているのではないか。そして、この山の中。こんなところになにゆえにこのような遺跡を作ったのだろうか?
風が吹き抜け、時間がゆったりと流れ、遺跡と草に飲まれそうな気分だった。どんよりと曇った空であったが、まるで見えない雲が空から降ってくるように感じて、軽さと重さの狭間、ちゅうぶらりんな感覚の中に僕はいた。

しばらく山の中を歩き、寒いバイクでホイアンに戻り、ホイアン料理の代表的レストランというところで遅い遅い昼食を摂り、大慌てでダナン行きのローカルバスに飛び乗る。
面白かったのは、このローカルバスステーションまで、バイクタクシーで行ったのだけれど、ダナン行きのバスが出たばかり。バイクはこのバスを追いかけ、クラクションを鳴らし、手を振り、とやっているとバスは止まったのだ。
バスに乗る。
なんか、一時間ばかり走る。繁華街らしいところに出る。そろそろかな。ダナン行きと聞いていたのでラストストップまで行けばいいだろう、ってな具合で乗っていたのだ。だが、繁華街を通り過ぎ、どんどん寂れた方へと移動していくが止まらない。おいおい、ダナン行きだろ?って、いろいろ聞くが、誰も英語を理解しない。仕方なく、降りた。

いったい、どこだ、ここは。
人通りはあるが、誰も英語を理解せず、さて、どうしたもんか。もう暗闇である。
途方に暮れつつ、とぼとぼと歩いていると、必ず声をかけてくる人がいるものなのだ、ここベトナムでは。なんせ、みんな稼ぎたいのである。おいおい、バイクタクシーだぜ。
と、英語を理解するジイサンであった。で、とりあえず、ダナンのダウンタウンまで行く。
ダウンタウンではコーヒーショップを探す。見つからない。
と、今度はぴったりとトクトクが側に貼り付いて、離れない。いくらいいと言っても離れない。このおっさんがなんとも愛らしい顔をしているので、まあ、いいや、と追い払いもせず、一緒に歩く。
いや、俺は歩き、オッサンはトクトクで乗れ乗れ、と言ってくる。
おっさん、おいおい、フライトタイムが迫っているんだから、こんなところでカフェなんぞを探していないで、エアポートへ行った方が身のためだ、みたいなことを言ってくる。
そりゃあ、そうだ、と結局、20分、歩いて見つからないので、おっさんのトクトクでゆるゆると空港へ向かう。

ダナン発19時40分。ホーチミン着21時。
24時発の成田行きに乗るために、いま、ホーチミンの空港で書いている。そして、ここではワイアレスランが使えるのだ。
だから、つれづれなるままに今日のことを一筆。
日本はもう1時を回っている。ここは今、23時1分だ。
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by kikh | 2005-12-24 01:03 |
 
フエ→ホイアン
朝、フエからホイアンへ移動。
まだ、かなり湿っぽい。
ホイアンへ入っても湿っている。
やっぱり太陽が見たいが、もう望めそうもない。

いくら静かなところがいいと考えていても、山奥かビーチでもない限り、車の騒音は絶えない。
フエではリバーサイドのホテルに泊まり、河を眼下に見ながらの宿泊となったが、雨がしとしと降っていて、川に浮かぶ小舟を見つつ、雨の中、川で労働する人たちを見下ろしていると、なんとも晴れやかでない気持ちになってくる。しかし、ではホテル内はぬくぬくとしているかというとそうでもなく、なかなか寒い。川は曇り、すべてが曇り、ああ、やっぱりビーチが良かったなあ、なんて気持ちが横切っていく。けれど、でも、薄く煙る時間をゆっくりと過ごしているのも決して悪いものではない。寒さだけが難敵で、出歩き、一服しようと腰を下ろすも、すべての店はオープンエアーで、なんでこんなに寒いのにオープンエアーなのかさっぱり理解しがたく、時期的にそういう時期なんだろうと思いつつも、毎年のことなんだから、扉くらいつけりゃいいだろうに、と思ってしまう。けれど、こっちの人はみんな、サンダルだ。寒くてもサンダル履きだ。サンダル履きでバイクに乗り、しばしば事故を起こしては足を引きずり、揉めている光景を見る。どう見ても危険である。バイクにサンダル履き、信じられないし、しょっちゅう事故が起きているのに、それではヤバイ、という感覚がないのだろう。ベトナム版の「みんなで渡れば恐くない」なんだろう。ヘルメットなんぞを被っている人たちはひとりもいず、なので、僕もここではヘルメットを被らずにバイクタクシーなんぞに乗っているのだ。しかし、保険制度がまるで整備されていない東南アジア諸国では、事故が起きたら、損をするだけである。事故を起こした側に支払い能力がほとんどないからだ。だから揉める。悪くないと主張する。そう思わなければやっていられないのだろう。必死でやり合う。それでもホンダ、ヤマハは人気者で、こぞって老若男女、バイクの購入に走る。今日、朝、ホテルのフロントで話をしていたお兄ちゃんは、いかにヤマハのバイクデザインが優れているかについて熱く語っていた。ここ、ベトナムではヤマハが大人気なんだとか。どうもよく分からない。ホンダとヤマハのデザインの何が違うのか?どれもこれも似たようなスクーターである。ちょっとケバイ装飾の施してあるスクーターだ。大していいデザインだとも思わないのだが。思えば、インドで見たホンダバイクのテレビコマーシャルは不思議だった。なんせ、火の中からバイクに乗った男が出てきて、いかにマッチョかをアピールする。バイクからも火が噴き、こりゃあ爆発するんじゃねえの、でも、まるで何事もなく、力強く走り去るマッチョ。そこに美女がニコリと微笑む。歌を歌う美女。こういうなんともヘンテコなコマーシャルであった。まあ、国によって美意識も違うし、トレンドも違うだろうが、あまりにオカシナコマーシャルだったので、よく覚えている。

バスでフエからホイアンへ入る。
ホイアンは確かにこぢんまりした素敵な街ではある。だが、ほんの少しで飽きが来るだろう。時間があったら、こういう観光地巡りではなく、車かバイクでひとりで移動したいのだ。一番面白いのは移動過程の、誰も見向きもしないような場所である。好きな場所で好きな時間を過ごすのが最も望ましい。
とは言え、ホイアンにはゆっくりした時間が流れている。カフェも多い。この街で本を読むのに苦労はしない。なぜなら、時間がゆったりと流れ、ゆったりとした景色が移りゆくからだ。
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夜、食ったインド料理は美味かった。ベトナムでここまで美味いカレーを食えるとは思っていなかった。インド人が調理しているのだろうか?見なかったけれど、最高に美味かった。ビールとエビカレー(実はカレーじゃないのだけれど、料理名を忘れた)、ガーリックナンを食うと腹一杯で、これで700円くらいのもの。安いか高いかと言えば、ベトナムでは相当高い。けれど、かなり満足。
夕飯を、ホテルで紹介されたホイアン料理の老舗みたいなところで食おうと思っていたのだったが、ここが早くも8時半には閉っていたので、インド料理となったのだ。明日はホイアン料理だ。

まったく食う楽しみで移動しているようなもんである。
フエへ行こう、ホイアンへ行こうと思ったのも、ひとつは飯の楽しみがあると聞いたからである。
明日はベトナム最終日だ。
疲れは取れたか?いや、取れたというより、こちらに来てから、どうも目が霞む。
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by kikh | 2005-12-24 00:03 |
 
12/21 寒いベトナム
ベトナム人の意識の中に、どの程度、ベトナム戦争が入り込んでいるのだろう。
たまにひやりとした目の男を見かけることがある。若者ではない。もう老年の域に達しようかという人たちばかりだ。
そうは言っても、毎日の生活があり、その生活に時間を捧げているとどんどん風化していくとは思う。しかし、血は決して忘れない。忘れた方がいいのに、忘れない。

ベトナムではアメリカドルがそのまま使えたりすることがしばしばある。自国通貨に対しての信頼がないと言うことの裏返しである。もし、日本でアメリカドルがそのまま使えたら、なんと屈辱的だろう。だが、屈辱も何も、そちらの方が信頼が厚いのだから仕方がない、そういう論法だ。慣れとは恐ろしいもので、たぶんベトナム人たちは、US$でくれ、ということになんの抵抗もないように感じる。しかし、これも血だ。決して血は忘れない。こうやってUS$を使用した心は血肉になって刷り込まれていく。

フエに来て、しまった、との思い。
なぜなら、雨降り、寒い、暖房がない、という、いったい何しに来たのか、寒さに震え、雨に濡れつつ、傘もなし、ビニール合羽を被って歩くがあまり気持ちのいいものではない。しかし、いいことがひとつ。あまり観光客が出歩かないということだ。
寒さと雨の中、セーターを着、フリースを着て、まるで東京と同じような格好で王宮に行く。雨に照り映える王宮がきれいだった。

下の二枚の写真だが、上はホテルの部屋から撮影。下は王宮。
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つくづく思うのは、結局、ベトナム文化とは中国文化の縮小版だろうということだ。雑種混血文化であるのは分かるが、その中でも最も強い影響は中国から受けている。しかし、決して凄みがあるわけではなく、ソフィスティケートされている。今日の昼は王宮料理なんぞを食ってみた。味自体はまあまあであった。ただ、量が半端じゃない。昨日のフエ料理もまた量が半端じゃなかった。それはコース料理を頼んだせいもあるだろう。でも、日本の定食くらいの値段で、コース料理が食えるのだから、ここぞとばかりに食わないでいられようか。

王宮でガイドブックを置き忘れた。20分後に戻ってみると、なくなっている。守衛に聞いてみるが、シラナイという。どう考えても、嘘だ。あれは観光客が持っていって足しになるモノではない。そこに置き忘れたのは確実だった。なぜなら、後で写真を見返してみると置き忘れたガイドブックがちゃんと置き忘れたまま写っているのだから。
実に意地の悪い人間に多く出会う。なんとまあ、不思議なほどで、これは共産国家だから、市場経済は導入されたが、どうなんだろう、そういうことか、と思うようなことが次々と展開される。
ガイドブックはあるにこしたことはないが、なくなってもどうということはない。
フラフラ歩いて、気に入った店に入る。それでいいのだ。観光客ではなく、ただ、時間をふらりと過ごすためにやってきただけなのだから。

明日はホイアンに行くことにする。
ホイアンで一泊し、ダナンに入り、そのまま帰国である。まだ、なんか緩んでいない。逆に首のあたりに痛みが出てきた感じである。疲れが今頃になって出てきたということだろうか?
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by kikh | 2005-12-22 01:04 |
 
hue 入り
朝7時半にホテルの前の電気屋がガンガンとスピーカーを外に向けて、音楽を鳴らし出し、その音によって起きた。不愉快なんてもんじゃない。なにゆえにこういう行為をホテル側は許しているのだろう。ここまでうるさかったら迷惑だろうくらいのことはホテルだって察するだろうに。

ベトナムの麺をフォーという。フォーを朝から食う。昼もフォーだ。
麺の中にモヤシやらなんやらかんやらと生の野菜をぶっこんで食うんである。これはそう言えば、北部タイの麺の食い方と同じである。うめえんだこれ。

古都、フエに入る。

寒い寒い。空港に降りた途端に寒気が襲ってきた。
風邪ではない。寒いのだ。フリースを着たけれど、それでも収らない。
思えば、この辺はホーチミンの熱帯地帯とは違って、たぶん亜熱帯に属しているのだろう。とは言え、寒い。

古都の感じはまだ明確には分からない。しかし、なんとなくたたずまいがそうである。ホーチミンあたりとはまったく違う。

夕方、フエ入りしたので、よくわからず。
で、楽しみはまたまた飯。

うんまい!!!

ビール、春巻、豚のバーベキューみたいなやつ、焼きそば、エビの炒め、イカ炒め、ライス、フルーツ、お茶・・・・・これだけ、たっぷりと出てきて、さて約1000円である。半端な量ではない。そして美味さもまた格別。

戻ってきてからホテル側とスッタモンダ。
お湯が出ねえじゃねえかよ。待て、待て、と延々と待たせた挙げ句、結局、部屋を変われとさ。ともかくこれを繰り返し、1時間半も浪費。
結局、湯は出ず。
まったくもう、何が3星ホテルだよ。おい。
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by kikh | 2005-12-21 01:31 |
 
12/19 サイゴン/ミトー
 大急ぎでゆるめるために、今、ベトナムにいる。
 神経をゆるめてあげないとまずいんである。パンパンに張ってしまっていて、だから、ひとりでポーッとできる場所、何と言っても海外に出るに限る。それも僕は東南アジアが一番、気楽でいい。
 考えないためなんで、本当はパソコンなんて叩かない方がいいんである。
 
 アジアは、いつもアジアだなあ、と思う。そのおおざっぱさがなんとも言えず、気持ちがいい。
 
 今日はサイゴン、今はホーチミンシティと名前を変えたが、そのサイゴンからメコンデルタ地帯のミトーまで行ってきた。片道2時間。フラフラとダラダラと歩き、ダラダラとメコンクルーズなんぞをして、メコン川に入り込んできた。
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 母なるメコン。果たしてこれは河か?湖より広く、海のように対岸すら見えず。ドロドロの泥色に染まったメコンは、昔から来たかったところだ。だが、この広さ以外には大した感慨はない。
 とは言え、この広さがもたらした感覚はとっても大きいのだろう。人々は川にすがっていき、川と共に生きてきた。インド人がガンジスに感じるような崇高さを持ち合わせてはいないが、もっと現世的で、それはベトナム人の宗教と同じように、混沌としつつも共感を持って生きている、そのような優しい肌触りを感じるのである。

 とは言え、生っぽい商売根性ばかりが透けて見えることも多く、なんとも愉快さからは遠いが、インド人に比べたらかわいいもんだ、とインドを経た身にとっては、大したことではない。
 ただ、アジアに出たら覚悟しなくてはならないのは、日本人は吹っかけられる存在だということだ。日本人と分かった途端に、料金が上がる。何でも日本人料金、韓国人料金というのがあるそうだ。一番高いのが日本人料金、次が韓国人料金。しかし、これもアジア人料金で、この上に、欧米料金というのがあるそうな。でも、日本人は「ハイハイ」と聞いてしまうからギョしやすいんだろう。アメリカ人だと言っておくと、相手は面倒と思うらしく、黙ってしまいがち。
 俺はしょっちゅう、人種を変えている。どうせわかりっこないと思っているが、仕草等で、日本人とばれることはある。慎重にならねばならんね。

 あ、驚いたことがひとつある。
 それは下の写真を見てもらえれば分かるのだが、田舎に限らず、ここミトーでは、家の庭に墓を作っているのである。全部の家庭ではない。たまに見かける。ギョッとするのである。庭に墓??ううん!死と共に生きているねえ。
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 今日はしばらくぶりに相当歩いた。ミトーからの帰りのローカルバス内には、周りのバイクやら車の排ガスの匂いが充満し、たまらんかったけれど、それでもウツラウツラ。 
 
 戻ってきて、ベトナム料理屋に行って、一息入れる。
 なんとも気持ちのいいベトナム料理屋で、最高に美味かった。
 ベトナム料理とは中華料理のさっぱり版と僕は認識している。台湾料理も中華料理のさっぱり版ではあるが、方向性がずいぶんと違う。ベトナム料理の方がずっとさっぱりしている。なぜなんだろう。春巻きひとつとってもベトナムでは生春巻きでしょ。このようにさっぱりなんですな。
 
 明日はフエに行くことにした。古都である。本当はビーチでノンビリと思っていたんだけれど、人と時間の匂いに惹かれて、フエに行くことに決めた。
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by kikh | 2005-12-20 01:33 |


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