★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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6/29 サッカーと熱情
 サッカーの準々決勝に進むチームが出そろう。
 面白いほど、意外性がない。意外性がないというところにシビアさがにじむ。どのチームを見ても、タフな身体である。そして歴史がある。サッカーの歴史があって、力量が作られるのだと思うが、優勝を重ねているチームはとても少ないという。
 繰り返し思うが、やっぱり身体を作らねば、この戦闘には勝てまい。サッカーとは戦闘であると心得るべし、である。どんなキレイなサッカーをしようが戦闘である。この認識が絶対に必要なのだと思う。そして頭だ。
 世間では柳沢批判が渦巻いていると聞く。しかし、柳沢が悪いというより、柳沢しか選択できなかったジーコの問題であり、柳沢しか得ることができなかった日本選手の総体としてのメンタリティの問題である。昔、日本がメキシコオリンピックで銅メダルを取ったときは釜本がいた。釜本は凄かったのだ。釜本の顔を見てみればわかるが、ひとつもひ弱な顔ではない。獰猛さを持った獣の匂いがする選手だった。そういう獣らしいヤツがいるだろうか?中村の顔などは、どう見ても追われる兎とか羊の顔である。あの顔は肉食動物の顔ではなく、草食動物の顔である。
 だが、果たして、サッカーに熱狂するのはいいとして、日本人にサッカーが向いているかどうかとなると首を傾げたくなる。身体能力としても別の分野に向いているだろう。やはりサッカーとは遊牧を主体として、野山を、平野を駆け回っていた産業地域から出てきいている競技である。足を大地にふんばって大地を耕す民族に向いている競技とは思えない。まだ、韓国人の方が向いている。韓国は立派な遊牧を主体とした民族であった。
 が、しかし、それでもこの世界的スポーツに熱狂するのは、構わない。いったい何が突然変異化するかわからないからだ。ひとつ外れると、次々と変異する。

 朝、多摩美の授業に行く。今頃になるともう1/4以下になり、相当やりやすくなっているのが常であるが、今年は減らない。受講者総数の半分以上は毎回来ているのではないか。これをどう考えればいいのだろうと思ってしまう。不思議な現象が起きている。毎回100人以上もの学生を相手にしているのは疲れるが、さて、キャツラはなにを考えているのか?出欠など取っていないから、出る必要はないというのはわかっていると思うのだけれど・・・。今年、手を抜かないようにはしているが、でも特別なことをしているわけではない。ただ、やっぱり情熱は失いたくないと思ってしまう。結局、サッカーでもそうだが、熱なんだな。熱をいかに感じるか、なんだな、と思う。だから熱だけは伝えようと思っている。その熱こそが愛情だろうと思うのだ。人に教えているときは愛情を注いでいるつもりにはなっている。
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by kikh | 2006-06-30 01:22 | 日々の記録
 
6/27 ストレッチ
 毎回、ストレッチを行なっていると必ず眠ってしまう。
 変な体勢になると寝てしまうというのはどういうことなんだろう。特に反り返っていると、スッキリしてきて気持ちよくなって寝てしまうのだ。

 年末に行なう予定の「シンデレラ」の公演場所がまだ決定していない。まずいのだ。
 公演場所の候補のひとつ、六本木のスーパーデラックスに行く。面白い。この雰囲気とシンデレラが合わないところが良い。変にぶつかる。なにも空気感が合うばかりがいいとは限らない。
 ただ、問題はいつものことながら、予算である。予算的に対応できるかどうかが問われる。さて、どうしようか。

 会議を行なった後、一人稽古。まだまだ、重い。ううむ。重い。
 稽古をこっそりと覗いていくパパ・タラフマラの面々。覗くな、と言っても覗く。こっそりと覗く。
 南波に、仕方ないので見せる。南波、「カオが、すご~いですねえ」だってさ。

 最終で帰宅。
 
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by kikh | 2006-06-28 16:35 | 日々の記録
 
スポーツ記事四つ
今朝の日経新聞のスポーツ欄を見ていて気になったこと、4つ。

1,沢木耕太郎のワールドカップ街道という欄
2,ジーコのインタビュー
3,ア・リーグのタイガース監督リーランドのことば
4,ベッカムのゴール

スポーツは面白い。
なぜか。まったく正解しか出てこないからだ。奇跡も含めて、正解しか出ない。それは積み重ねであり、管理がいかなるものかを知るからである。

1,沢木耕太郎さんの文章には、首を傾げた。
彼は、ワールドカップに出場した選手たちに感謝したいという。夢見させてくれたからだ、と。確かに、それはあるだろう。ノンフィクション作家ならばそれでいいのかもしれない。だから、沢木耕太郎は人気作家でいられるとも言えるだろう。批判より肯定の方がいつでも口当たりはいい。
しかし、今回のワールドカップの日本選手たちを見ていて、これでは将来はないと思わなかったのだろうか。将来は常に危機感とともに成長を見、そして存在するのである。危機感がない中で、夢ばかり見ていても、そんな夢は無惨に散るだけである。作家ならばいい。だが、現実に動かし、何とかワールドカップで勝つことを考えるならば、とても今の中田英寿や川口や中村に感謝したいという気持ちがあるのはいいとして、僕には口にはできない。感謝は言葉に表さなければいけないというのは分かっている。でも、それより、何が悪く、何が良く、では、どうすれば良かったのか、そして今後、どうしていくのか、それを徹底分析することからしか始まらないだろう。表面的に一所懸命やった選手をねぎらう気持ちを持たねばならないならば、なぜ、もっと方法論を模索しないのだろう。どうすればいいかを語ることしか次には繋がって来ないだろう。次に繋げることが重要なのか、それとも、今、ねぎらうことが重要なのか。こんなときしか、徹底して叩けまい。叩くことからしか、次は生まれないと思うのだ。それが悔しさに繋がり、バネになる。もし、バネにすらならない選手や協会ならば、もうお話にならない。人は褒めて育つとはよく言われることだ。褒めて育つ人もいるし、また、最近は褒めなければ育たなくなりつつある。ダメと言われることに慣れていない。
もし、沢木耕太郎さんが今後とも感謝し、夢みたいならば、もっともっと厳しくならねばならないのだろう。日本代表には批判の嵐が押し寄せるだろうと書く。僕は、無視されるより、叩かれた方がよっぽど気持ちいいと思うのだ。優しげな言葉は真綿で締め付けるようなものだ。だから、もっともっと批判は押し寄せねばならない。ただし、それは単なる批判ではあってはいけない。批判するだけなら、誰でもできる。簡単だ。結果論で語ればいいだけだからだ。それは方法論へと飛翔せねばならない。方法論を語ること。具体的対策を語ること。語った上で、自身が常に責任を負う意識を持つこと。
だが、一方では必ず、沢木さんのように、優しげな素振りを見せる人がいる。優しいのはいいが、勝つことを目的とするのか、日本国内で夢見ていればいいのか、それによって、対応はまったく変わってくる。

2,ジーコのインタビューにはうなずいた。
敗因は「体格の差」と言う。これは名言である。まったくその通りである。身体の大きさではないと思う。体格とは、強さを感じさせる身体かどうか、だ。例えば、中村を見てみれば分かるが、やはりとてもサッカー選手の体格ではない。いや、世界と渡り合ってできるほどの体格とはとても思えない。顔にも強さがない。強さのない顔の選手ばかりではないか。こんな顔で勝とうと思っても、まったく無理だろうと思うのだ。やはりイチローにせよ、松井にせよ、顔に強さがある。松井はひ弱さも感じさせるが、たぶん彼は努力によって成長するタイプで、その歴史が彼の顔には刻まれている。ところが、だ。サッカー選手たちの顔を見よ。やっぱり弱い。何かが足りない。その何かをどうやって作り出していくかが問われるだろう。体格という言葉は、けだし名言である。からだはすべてを語る。日本のサッカー選手たちももっと顔を磨かなくてはいけない。顔とはからだである。

3,リーランドも野村だよ。
ア・リーグ、中地区でトップを走るのはタイガースである。タイガースは何でも12年連続負け越しが、今年はトップだという。理由は監督だ。沢木耕太郎の文やジーコの話にも結びつくが、要は、トップがまともならば、ある程度はまともな結果は残せるだろうということだ。楽天がいいとは言っても、まだまだパリーグ最下位ではある。が、これは仕方がない。首になりそうな選手ばかりを集めて作った球団である。そんなに簡単に上昇気流に乗れるはずもない。だが、そこは野村の手腕で一気に勝つ楽しさを覚えたと見える。首の掛かった選手たちだから、変化し得たのだろうとも思う。これが安定した球団だったならば、誰も危機感を抱かないまま、まあ、負け越しはするけれど、最下位ではないし、Bクラス上位だからいいじゃないか、とならなくもない。
記事しか見てないし、知らない。この記事によれば、リーランドは熱い。2連勝ののち、大敗したタイガースの選手たちが顔に薄笑いを浮かべるのを見て、リーランドは言う。「私は2連勝したら、必ず3連勝を狙う」と。
熱さと理論をきちんと持っている監督ならば、チームは必ず上昇気流に乗るだろう。監督とは船長である。船長が誤った判断を下している限り、チームは決して上昇しては行くまい。ジーコのまずさは、先先を読まなかったがゆえ、と思える。自主的判断を下していくサッカーこそが必要という理想は分かる。しかし、それができる連中かどうかは、見ていれば分かるはずだ。できなければ、手法を変えていかねばならない。

4,イングランド、ベッカムはただのミーハー好みではない。
体調不良のベッカムが挙げたゴールは、まさにプロの鏡である。ここぞと言うときに、体調不良だろうが何だろうが、力を発揮するのがプロである。何でもベッカムは吐きながらプレーしていたそうだ。それでも挙げるときは挙げる。やるときはやる。精神力を最大限、保つ。その期間だけでも保つ。弱音を吐かない。プロの意地と、プロであるためにどうすればいいかを分かっている。体調不良は攻められるだろうが、不良であるときもあるのが人間である。ならば、いかに不良状態と付き合うかが問われる。どんなことがあってもプロはプロであるという意識を持っていなければいけない。

スポーツはマジックがない。マジックと言われる采配があるが、決してマジックではない。それは経験と認識と順列組み合わせによる判断である。その意味では、株や経営とも似ているだろう。要は、さまざまな状況的な要素を集めてきて、判断していく必要があるということだ。ジーコが攻められるのは、トップだったからだ。それは経営責任者であると考えればとてもよく分かる。経営に失敗した会社の社員たちには誰もねぎらいの言葉などかけてはくれないのだ、ということを認識すべきだと思う。まあ、ジーコを辞めさせるより、川淵会長が辞めるべきなのだ、まっさきに。それが次に繋がる。保身は常に組織をダメにする。もちろん川淵会長がいかに尽力してきたかは十分認識しているが。
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by kikh | 2006-06-27 12:06 | うひょひょ!
 
6/25 日々の暮らし
 朝、P.A.I.の授業。そろそろ皆、疲れが出てきているのかな、という感じ。
 舞台芸術の話をする。が、いったいどこまで分かってくれているのだろう。まあ、この世界も足を深くつっこめばつっこむほど、しんどくなっていく世界である。底なしではある。が、その底なしを楽しめればいいのだが、底なしは地獄でもある。同時に、底なしは至福でもある。さて、ひとりひとり、どういう道を歩んでいくのだろうと、今日は皆の顔を見ながらそんなことを考えていた。
 
 一人の研究生はデザインの仕事をしているが、彼は葛西薫さんの大ファンとかで、今回の「僕の青空」ポスターがエラク気に入っていると言う。今から、購入します、約束しましたよ、と言っている。今までのパパ・タラフマラポスターで一番気に入っているとも。今回はそういう人が結構いる。確かに「僕の青空」のポスターはいい。パパ・タラフマラのロゴタイプは今回、初お目見えで、これも葛西さんのデザインであるが、これまた、いい。すっきりしていて、ちょいと情けなくも見えて、そしてカッコウイイ。やっとできたロゴである。前から欲しいですねえ、と葛西さんとは話をしていたが、やっとできあがってきたので、感慨もひとしお、である。それがいいのだから、言うことはない。

 夕方から「僕の青空」の美術MTG。
 その後、全体スタッフミーティング。初顔合わせが何人かいる。
 ともかく、やっと船出した、という感じだ。まだ、稽古は始まってはいないが、始まったら怒濤の如くだろう。特に僕自身の体力が心配である。もちろん少しは稽古を始めたが、まだまだ、長時間の稽古に耐えられそうもない。もっともっと何とかせねばならないが、いかんせん、突然やってもいいことはなにもない。逆に故障してしまっても仕方がない。上半身はまだいい。だが、下半身が重い。簡単に言えば、下半身の筋力が落ちているということだ。もちろん、僕はダンサーとして出るわけではないが、もっと下半身を鍛える必要があるだろう。下半身は、まだ動きに慣れていないと言っている。バランスを取るのも厳しいし、足や股関節が固くなっているのが気になる。これを柔らかくしていく必要があるのだ。
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by kikh | 2006-06-27 00:56 | 日々の記録
 
6/25 香港→東京/オシム
 朝5時起きで、空港へ。
 そして東京。
 最近は長いフライトが多いせいか、あっという間に着いてしまった、という感じ。うとうとウツラウツラしていたら、もう成田であった。この間、パソコンを開いて、少し文字を打ったけれど、ほとんど何もしないままの成田空港であった。
 からだじゅう、何カ所もダニに食われてかゆい。これは最初のチョンキンマンションで食われたのか、次のいいホテルで食われたのか?ちょいと布団が湿っぽかったからチョンキンだろうとは思う。最近は、ゲストハウスも5ッ星のホテルも、どれでもいい、というくらい何でもOKになりつつある。チョンキンからペニンシュラへ行って涼んでいるのもいいし、ペニンシュラやマンダリンホテルに泊ったあと、チョンキンで両替し、じゃあチョンキンに泊ろうって泊ったってまったく構わない。
 今回チョンキンのあとは上環のホテルに泊っているが、上環は海鮮物の問屋街があったり、燕の巣屋が多かったり、歩いていて気分のいいところである。うまい麺屋もたくさんある。

 さて、戻ってきて、少し休憩をしたあと、中野でオークボと打ち合せ。もう少しスピードアップしようぜ、とアドバイスを贈る。どうも僕とはスピード感覚が違うので、とってもゆったり我が道を行くであるが、このスピードでは簡単に取り残されてしまう。ヤバイ。

 事務所へ行くと、バレエをやっている。俺は少し稽古をしようと思ってやってきたが、23時過ぎても終わらず。仕方がないので帰る。ストレッチをしながらパソコンを見ていたが、ガクッと顔の上にパソコンが降ってきて目が覚めたり、なんとも無理な体勢でパソコンを開いていた。と、次は日本のサッカーの監督にオシム、という名を見つける。

 もっともっと早く切り替えていればいいものを。川淵会長は、ジーコサッカーの継続ができる監督ということでオシムの名を挙げているようだが、オシムの方が遙かにジーコより上だ。僕は演出家であるから、ついついリーダーで見る癖がついている。オーストラリアがベスト16に行ったのはまさに監督ヒディングゆえだ。
 今の仙台楽天を見てみるといい。野村監督の力量以外のなにものでもない。野村は阪神と夫人の件でケチが付いているが、野村の野球分析能力はたいへんなもので、この人のテレビ番組の解説を見てから僕は野球とはなんと面白いものだろうと初めて感じたのだった。この能力をもってして、やっとあのお荷物楽天が、勝つ楽しさを感じだしていると言っていい。
 ジーコで、首脳部はそもそも勝てると思ったのだろうか?思ったとすれば、阿呆だ。やっぱり総退陣こそが望ましい。
 オシムには相当な期待をかけることができる。が、しかし、オシム自身が言っている通り、確かに年齢がネックだ。気力が保てばいいが、とは思う。だって、次のワールドカップのときにはもう70に手が届く年になる。
 しかし、オシム。彼なら期待大だ。なんとしてもオシムの頭脳で、もう一度、期待を日本全体に持たせて欲しいと思うのだ。こういう積み重ねしかないのである、日本全体が力を得ていくためには、だ。能力、身体のキャパシティを超えたところで勝負させられ得るには、実は冷徹な分析力が必要で、それにはオシムはうってつけと言ってもいい。
 ダメだ、日本は、と言うのは簡単だが、どうしても期待したい。オシムさん、お願い。
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by kikh | 2006-06-26 00:18 |
 
6/24 香港は今日も暑い
 うだるような暑さ。
 
 朝から町をぶらつく。町歩きは楽しいが、暑くて、どうしようもなく次第にからだが重くなってくる。着ていたTシャツがグッショリと濡れて、もうダメってんで、スタンレー行きのバスに乗ってしまった。スタンレーは、昨日、クックが、昔、死ぬ前までテレサテンが住んでいたところだ、と言っていたのを思い出した。

 スタンレーで海を眺めて、と思っていたが、あまりに気持ちよさそうなんで、バババッと服を脱ぎ、パンツ姿のまま、海に飛び込んでしまった。ああ、気持ちいい!プウウ!が、海は、決してキレイとは言えない。マレーシアの東海岸の、あの驚くほど透明な海を思い出した。

 少し暑さをぬぐい去って、再び歩き回る。もちろん写真を撮っている。

 それにしても香港はここ20年間で大きく変わった。僕が最初に香港に来たのはもう、20年近くも前である。そのとき興奮した、ボロボロに崩れ落ちそうなビルディング群はキレイに変わって、今では何もかもがスッキリとしてきた。トイレも前は汚くて当たり前だったのが、今じゃ、キレイで当たり前になりつつある。公衆便所もたくさんできている。中国というより、東京だし、シンガポールだ。
 相変わらず、香港の匂いはある。何だろう、この香港臭は。前はずっと腐ったモノの匂いだと思っていたが、これだけキレイになっても臭っているのだから、きっと食い物の匂いなのだろう。韓国へ着いた途端にニンニク臭でむせかえりそうになるのとちょっと似ている。しかし、この匂いは、上海や北京、台北にもない匂いなのである。なんだろう。知っている方がいたら、是非教えて欲しい。

 今日は何が何でも福臨門海鮮酒楼という香港一の広東料理店(日本にもある)に行こうとして、結局、疲れ切って行けなかった。日本で食うと数万円かかってしまうので、行けないのだ。
 ともかく美味いと聞く。ああ、行ってみたい、と昔からずっと思い続けている。ならば、さっさと行ってしまえ、なんだが、疲れがヒタヒタと押し寄せ、とても、ワンチャイかチムシャーツイまで行く気は起きなかった。

 でも今日は、なかなか素敵なカフェ周りをした。ちょいと調査している。
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by kikh | 2006-06-25 17:50 | 日々の記録
 
6/23 香港は暑い
 真夏の香港。
 昼飯を一緒に取ったクックが、今日は今年に入って、最も暑い日だ、と言っていた。確かに汗がただただ吹き出てくる。

 ワールドカップの状況を知らぬまま、夜まで過ごしたが、テレビをつけたら、日本・ブラジル戦を放送していた。
 まあ、予想通りで、何が起きるか分からないサッカーではなく、予想通りの惨敗であった。見ていて、この日本サッカーの姿は、僕は日本そのものの姿とダブって仕方がなかった。それは、今、大相撲界でおきていることがそのまま、サッカー界にも当てはまるなあという思いを強くするばかりでもあった。
 前回はフィジカル面とメンタル面について言った。もちろん選手たちの力量のなさこそが大きな問題だろうとは思っている。大相撲と一緒だ。ひ弱なのである。大相撲にしても、朝青龍のような関取は日本人関取にはひとりもいない。いなくて当然だ。それがスタンダードだからだ。いくら栃東や魁皇を応援しても、結局、最後の局面で萎えてしまう。これが今の日本スタンダードである。だが、ひ弱がスタンダードになってしまえば、中田みたいな人間は浮き上がるしかなくなってしまう。やられ出すとバタバタと堰を切ったようにやられまくる姿は、精神力の弱さゆえであろう。そして、また、それは日本全体に覆っている病でもある。いや、病というよりも、全体レベルが下がったがゆえに起きている事象で、正しい方が浮き上がってしまうのだ。
しかし、最も大きな問題は、日本サッカー協会の川淵会長と監督ジーコだ。ただ、ジーコについては、どうにでもなったはず。とすると、問題の根幹は川淵&日本サッカー協会のお偉方連中ということになる。どこでもそうだが、官僚的になると、見えない病ではないが、徐々に徐々に悪くなる。官僚、役人とは問題が起きないことを欲する人たちであり、同時にあわよくば、自分の欲得を満足させたいと思う人がとても多い。もちろんどこでも良心を持った人はいるので、全員ではないことだけは言っておく。が、役人的感覚を持つ連中が、だんだん増えてきた。その役人根性が一般的になってくると、まったく住みにくい世の中に変わっていく。しかし、見えにくい。問題がないように扱うのがうまいのが役人だからだ。だから病巣はどんどん大きくなる。

今の話は首相コイズミにも言える。恥ずかしくはないのだろうか。なんのために「改革」を唱えたのだろうか。なんのために政治家をやってきたのだろうか。なんのために首相になったのだろうか。そういうことを問い返したことがあるのだろうか。もし、あったとするなら、自分が終わるからと言っていい加減なことはしないだろうし、できないはずである。が、しかし、今のコイズミ氏の態度は、ああ、なるほど、と思わせるものがある。こんな最低の政治家に今まで平気で任せきってきた日本人とはいったい何か?実に、驚くほど、同じ穴の狢ではないか。
ところが、だ。みんな、他人のことだけは分かるのである。だが、もしかして自分も同じではないか、と問い返してみるといい。そして根幹は何かを問い返してみればいい。いつもやっていることはその場しのぎである。なんとなく、根幹を忘れ去って、いつも表面だけを正しく、問題がないように振る舞っている。それですべて問題は先送り。あるいは忘れた振り、あるいは死んだふり。そして表面だけは仲良しであるかの如く、振る舞うのである。

舞台芸術界だって似たようなものだ。これをあまり書くといろいろな方面からお叱りを受けるが、まったくケツの穴の小さい連中が多くて嫌になる。
昔、榎本了壱さんと話したときに、「リージョナルなものがインターナショナルになんです」という話があったが(榎本さんがケツの穴が小さいと言っているわけではないので誤解なきよう)、僕は、少々、言い方を変えないとまずいのではないかと思っている。「リージョナルなモノのほとんどはリージョナルなモノに過ぎず、そこからほんのわずかの確率でインターナショナルになり得るものが出てくる」ということを忘れてはならない。インターナショナルを目指す必要はないが、インターナショナルになるためには、文脈を変える考え方をしなければまずはダメである。日本だけで通用するジーコジャパンを見ても分かるではないか。僕らはリージョナルで満足していてはいけない。そのためにはいかなる教育が必要で、いかなる育て方が大切かを知らねばならない。サッカーだって一緒である。もし、本気で育てるつもりがあるならば、本気で誰が適任かを考えねばならない。指導者がいかに重要かを認識せねばならない。根幹に意識の働く責任者でなくては意味がない。そして自己を投げ打つ覚悟のない人間は僕はやっぱりダメだと思うのである。うまくやることばかり、覚えるな、と声を大にして叫びたいが、しかし、うまくやるヤツがありがたがられる世の中でもある。ということは何も変わらないということである。けれど、これじゃダメなんだ。
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by kikh | 2006-06-25 00:14 | 日々の記録
 
6/22 大急ぎ
 朝、多摩美で授業をやり、少し自宅に戻ってパッキング、成田空港から香港行き。

 今はもう香港にいる。クックにちょいと謝っておく必要があるからだ。

 今日はゲストハウスでいいやってんで、チョンキンマンションにいるが、なんでもここのオバサン、沢木耕太郎の「深夜特急」をやったときの香港編のホテルらしく、大沢たかおが泊った部屋を取っておいたよ、と言っている。あんたは特別だ、と言っているが、いったい何が特別なのか、さっぱり分からない。

 今はその大沢たかおが寝たであろうベッドの上で書いている。309号室、あんたは特別。繰り返すオバサン。でも、まあ、3000円もしない部屋だから、こんなもんだろうけど、シャワーもトイレも付いている。きれいでもあるから、良しだ。

 と、メールを見ると、カナダのトロントの舞台芸術賞である「Dora 賞」に、僕がベストコレオグラファーとしてノミネートされた、との情報がトロントのプロデューサーから送られてきた。
 喜びのコメントを送れ、とも。
 嬉しい、というより、先日は「島~Island」がニューヨークのベッシー賞にノミネートされるのではないか、という情報も入っているし、なんとも、なんでまあ、日本ではこんなに賞から遠いのだろうと思えてならない。理由ははっきりしている。日本は田舎だ、ということだ。
 まったくもってもう、ウンザリするくらい田舎もんである。

 ちなみに、田舎を軽蔑しているわけではありません。たとえです。田舎とは、保守で、がちがちで、既成の概念こそがベストと信じて疑わない人たち、並びにほんの少しそれを変えようとしている人たちの集合体である、という意味で使っているのです。

 おっと、葛西薫さんチームの「僕の青空」ポスターが素敵だ。とっても素敵である。
 葛西さんも安藤さんも、本気での賞狙いらしい。
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by kikh | 2006-06-23 01:43 | 日々の記録
 
6/20 パパ・タラフマラ写真
 朝、ダンス雑誌のDDD取材。
 
 昼過ぎから、パパ・タラフマラの25年間の写真整理を行なう。松島のスケジュールに合わせて予定を組み、それに則ってみんな自身の予定を組み直したら、当の松島が始まってすぐにすぐに打ち合せで抜けると言う。いやあ、いかにも松島らしいので、みな、ダンマリ、そしてガックリと力が抜ける。
 今日の朝は朝で、突然、仲島からDDDの取材があるという電話が入り、こちらも突然の予定組み直し。
 ホンマに、みんな、きっちりとやって欲しいモノだ。

 25年の写真が、散乱していて、大変なことになっている。これを作品毎に纏めていくのだが、半端な量ではない。ポジフィルムだけで、何十冊になり、これに紙焼きやらネガフィルムやら、と纏めていくと、もう、凄い量だ。
 ついつい懐かしくて眺めてしまう。ああ、みんな、なんとまあ、若かったことか。20年以上も前の作品からは、みな、若々しさとともに、少年、少女の匂いが残っていて、自分自身の年齢を実感することになる。
 こうやって見てみると、大きな流れがあるが、美術的な舞台であることはどの時代にもはっきりと現れている。そして人間くさいと思ってしまうが、これは僕にはそう見えているのであって、ある時期は、そんな見方をまったくされなかったことも思い出す。単に美術舞台としか思われなかった、そしてユニセックス的な人物たちであると言われていたなあと思い出す。人の匂いがない、とも、パリの土の下には人の血が染みついていることを思い出せ、みたいな批評を書かれたことを思い出す。表面的に見れば、そうかもしれない。さらりと流し、決して濃厚さを表面にはまったく漂わせなかった時代のことだ。

 パパ・タラフマラは約8期に分けられる。自分自身の変化がそのまま作品に現れている。写真はなんとも生々しく時代を思い起こさせる。それら時代に帰りたいとはまったく思わないが、あのとき、この人が、あの人がいなかったら、と思うと、当然、表現の方法は変わったろうなあと思う。今の表現は、今の条件があって初めて成り立っている。そういうことを思い起こすとともに、さて、では、どういう方向へ進んでいこうとしているのか、決めるでも決めないでもなく、さまざまなバランスと理念と確固たるアイデアで、進行させれば、と改めて思った。
 時間が経過するのは早いのだ。

 夕方、「僕の青空」オブジェミーティング。
 前回は「HOG」だったから、あの壮大な企画へ向かっての、ああでもない、こうでもないという面倒くさい話もあったけれど、今回は実にすっきりしている。小さい作品の良さはこういうところにもある。全身全霊で向かう作品と楽に肩の力を抜いて向かう作品では、自ずと感触は変わってくる。だが、どちらも結局は同じになっていってしまうのだが。どんな作品でも、そんなに簡単にできるものではないのだ。

 夜、「僕青」のひとり稽古。まだまだ、動くだけでシンドイ。
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by kikh | 2006-06-21 14:13 | 日々の記録
 
6/19 コイケ展&パパ展
 「僕の青空」を9月に公演するが、それに関連して、コイケヒロシ写真展とパパ・タラフマラ展を渋谷、下北沢のギャラリー等5箇所で、順次開催することが、ほぼ決定した。
 3箇所はギャラリーカフェ。1箇所は完全なギャラリー。それに映画館ギャラリーである。
 このうち、3箇所が写真展。渋谷のギャラリーはパパ・タラフマラ&小池展。もう一箇所はポスターを中心としたパパ・タラフマラ展、ということにしようと思っている。

 もちろん開催スペースによって、雰囲気を違えた作品を展示する予定である。
 1,人間の生々しさがグッと面に現れ出る作品群の展示
 2,「僕の青空」イメージ写真を中心とした展示
 3,少々軽めの写真を中心とした展示

 パパ・タラフマラ展では巨大アリを中心としたオブジェ&パパ展にしたいと思っている。

 ポスターは葛西薫さんのポスターを中心に、サイトウマコトさんのポスター等のパパ・タラフマラポスターを展示する予定だ。

 これは大変だが、面白くなってきそう。ワクワクである。
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by kikh | 2006-06-20 09:09 | 日々の記録


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