★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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28日~30日 
 ここのところ、演出と出演の狭間で汲々としていた。
 28日にタマオと熊谷が見に来る。膨大なダメだしをされる。こういうときは、実にマゾヒスティックな感覚に陥ってくる。ダメなのはそうなのだろう。そして、そのダメのためにやっているとも言える。ダメでなかったらやる必要性などまったくないのだ。ダメであることが発見に繋がる。ユリイカ!!と叫んじゃうぜ、と言いたくなりながら聞いている。
 ただ、分からないことも多々あって、そのダメだしは、果たして正解なのかどうか?である。この疑問も大切だ。正解であるかどうかを自分自身が確認しなくては先に進めないのだ。もちろん僕自身が稽古をしなくちゃいけないのは言うまでもない。バランスではあるが、今のようにまだまだどうなるか分からない段階で、一所懸命稽古に励むわけにもいかないのである。まずは演出的にどうするか?その演出面をクリアにしていかねばならない。
 28日にはタマオも熊谷もリズムが悪い。全部、同じリズムに見えると言った。しかし、悪いところもあるだろうが、そこまでヒデエかなあ?と言う疑問が残った。なぜなら、空間バランスと音のバランスがとても悪く見える可能性のあるところで(つまり稽古場環境の問題です)悪いと言われてもそうだろうなあ、としか言いようがない面があるからである。僕が演出に専念する場合は、すべてをさっ引き、バランスを取りつつ見ている。よって、今がどういう状態で、どういう風に持っていけば、行けるかどうかはだいたい分かっているつもりではある。
 とは言え、今回は専念できないのだから、こういう意見は実はとっても大切で、大きな検証のキッカケになる。

 だから、29日の稽古では、僕は一切、舞台上に乗らずに、リズムが変かどうか?悪いかどうかの検証を行なった。
 悪い面もあった。が、ほんの少しの修正で問題がないことがはっきりした。この確信こそが僕には大切である。確信が持てないのに、パフォーマーとして邁進することはできないんである。リズムとは何か?僅かの狂いで悪く見えたり、よく見えたりしてしまう、その大本である。その狂いとは音量もそうだし、言葉が聞こえるかどうか、もそうだし、空間バランスもそうだし、いろいろな要素が感覚を偏狭にしていくのである。
 ここまで30分。まあ、きちんとやっていけば問題はないだろう。という確信。これを得られたので、納得しつつ、本日に臨むことができた。

 あ、昨日は稽古が終わってから青山でタマオちゃんの結婚祝賀パーティがあった。みんな、末永くお幸せに、と言う。僕は、たいへんおめでたい、とは言えても、どうしても末永くお幸せに、とは言えないのである。この偏屈者!と言われそうだ。ううん、よく分かっている。偏屈ではいかん、と言うのもわからんでもない。しかし!!末永く幸せでありたいという気持ちは分からないでもないが、末永く二人で幸せであっても、なくてもいいんじゃないか?という気持ちもあるのである。二人で、というのが肝心だ。どういうことか?希望と現実は違って当たり前だし、幸せの方向性が移っていっても、それはそれで仕方がない。結婚というのは家制度をどうするか、という問題とも絡んでくる。そういう雑多な問題を内包しつつ、「末永い」ということがいいとも悪いとも言えないのではないか、と思ってしまう。なにがあっても結構なのが人生ではないか?二人が幸せであるならばそれでいい。けれど、二人が幸せであるために末永く一緒にいることが求められるとしたら、僕は辛いだろうなあと思うのである。人生は辛抱である、という生き方もあろう。それはそれで否定はしない。しかし、幸福=末永い共同の生活という図式はいまいち納得しがたい。もちろん短時間でいいとか、適当でいいと言っているわけではない。なんかさ、「末永く一緒に、幸せに」という言葉がいかに希望であり、願いであったとしても、それは当人たちが努力すればいいだけのこと。周りは単に「おめでとう」でいいんじゃないかな、と思うんである。めでたい。楽しくやれ。そして幸せならば、持続を考えろ。それがタマオの幸福になるなら僕は喜ぶぜ、と言っておきたい。
 こういうことを書くと、方便というのがあるでしょ、とか言われる。いくつになっているんですか?とか言われちゃうんだな。けれど、でも、言葉に出すのは、俺の理念でもある。だから、決して思ってもいないことを言ったりはできないんだな。

 今日は実に早朝から稽古。もう疲れがグッと朝っぱらから。
 とは言え、進める。

 稽古後、カフェで原稿を書こうと座った途端に、意識が遠のき、パソコンを開いたまま、ほとんど惚け状態。目玉は開いたり閉じたりを繰り返し、頭はあっちやらこっちやらへと移動し続け、意識は飛びまくり、よく分からない状態のまま、原稿をあげねばならないが、全然進まず。
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by kikh | 2006-07-30 23:06 | 日々の記録
 
7/27 ラスト多摩美とミュージカル
朝は多摩美の授業。
さて、この時期の補講になると、もうほとんど人影さえまばら、という感じ。
果たして、これで授業の出席者がいるんかいな?と思っていたら、結構、いたので驚き。
もちろん普段よりは減っている。が、思っていた数字の3倍~4倍近くはいた。
 まあ、最後なんで、ビデオを見せた。いろいろな舞台芸術のビデオ作品を見せようと思っていたが、話をしたり、パラジャーノフの映画を見せたりしていたら、あっという間に終わってしまった。
 終わってから学生数名と飯を食いつつ、話をする。
 みんな、メチャクチャ新鮮だったと言ってくれた。僕にとって当たり前のことでも、こういう世界があるのか?とエラクびっくりしてくれたようである。それはいいことだ。もっと実は美大では、アートカレッジなんだから、身体のことは深く検証すべきである。アートは身体と深く結びつく。そしてそれを知る、知らないでは、その根底がまるで変わってくる可能性だってあるのだ。
 一人の学生が、3年間のすべての授業の中で最も面白かった、と言ってくれたので、それは嬉しかった。まあ、授業とは言っても、僕はコミュニケーションを行なっているつもりでやっているから、伝わらなければ困るし、伝わりたい意思のないヤツはお断りとなんどか言っている。だから、出席なんかどうだっていい、その替り、出たい人はちゃんと出ろ、と言ってあった。
 生徒の評価がすべてではないが、僕はコミュニケーションの意思が通じたことが嬉しかった。俺もきちんと伝えようとしてきたからだ。

 その後、歯医者で歯石を取り、ああ、いてええええ、新宿厚生年金会館でホリプロの小松君に招待されてニューヨークのミュージカル「Moving out」なるものを見る。
トワイラサープの振付だという。確かに上手い。テクニックも相当なもんだ。音楽はビリージョエルのヒット曲だという。スタンディングも起きていた。が、しかし、ハートに来ない。終わった途端にすべて水泡に帰すような感覚であった。面白いが来ない。こりゃあ、ハリウッド映画じゃないか?面白いが、見終わったら何があったんだろう?とすべて忘れてしまう。これでいいのか?だ。もちろん楽しく、面白い部分もある。が、なんかスカスカした感覚である。

 小松と上海料理屋で話をする。まあ、いろいろな感想を述べる。
 彼は不思議な経歴だ。パパ・タラフマラにいて、鈴木忠志さんとやって、ホリプロでニナガワやミュージカルなどに携わっているのだ。そういう両極端を歩いてきているわけだから、なにかと面白い感覚は持っているだろう。
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by kikh | 2006-07-28 01:36 | 日々の記録
 
7/26 ほおお
 毎日が熱い塊のようになって飛んでいく。
 
 忙しいとは言いたくないし、忙しい状態が良いと思っているわけではないにも関わらず、どうにも時間は飛んでいってしまう。それも次から次へと押し寄せる波となって大洋に押し流されていくようである。

 今は確かにキツイ。みんなからはダメだしの嵐だ。しかし、今はまずは僕自身のこともそうだけれど、絶対に全体像を早めにあげなければならないという確信に基づいてやっている。舞台に関しては、たぶん僕の考えで間違いないはずだ。経験で何となく分かるものだけれど、それを分からなくするために、今やっているとも言える。ならば、なんだ。経験ではなく、甘い見通しではないか?と言われそうだが、いや、全然違う。甘さもあるかもしれないが、違う。俺の勘と言っても良い。まあ、外れないから大丈夫。

 今日の稽古場は暑かった。もう頭から煙が出そう。
 こういうときはシンドイ。もうドンドン衰弱する。
 しかし、その衰弱も良いもんだ。


 それから私のHPの冒頭にも出てくるけれど、「僕の青空」関連企画が決まった。
 以下の通り。
 是非とも時間を見つけて、足を運んだってください。

◆コイケヒロシ写真展 8/6~9/12 シネマアートン下北沢
           8/20~9/2  add Cafe(下北沢)
◆久保薗美鈴とパパ・タラフマラ展 8/12~18 アップリンクギャラリー(渋谷)(衣装中心)

◆パパ・タラフマラの「僕の青空」コイケヒロシ写真展 8/20~27 mois cafe(下北沢)

◆パパ・タラフマラポスター展 8/13~20 compound cafe(三軒茶屋)

◆パパ・タラフマラオブジェ展 9/3~9 ギャラリーコンシール(渋谷)
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by kikh | 2006-07-27 01:17 | 日々の記録
 
7/23 政治家というヤツは・・・
昭和天皇のメモが見つかって以来、靖国神社にA級戦犯を合祀すべきか、分祀すべきか、という話題が出てきている。とっても望ましい。今、外交を考え、今後の日本を考えるなら当然、分祀である。
腹立たしいことがふたつある。
一つは首相小泉である。この人は靖国神社参拝を8月15日に行なうと公約に掲げて、自民党総裁になり、首相になった男である。それが今、なんと言っているか。靖国参拝は心の問題で、行こうが行くまいが自由だ、などと宣うている。仮にも一国の首相である。このように、公約は心の問題だった、などと言われたのではたまったものではない。まったく我々はこのような人物を首相としていたことを恥じねばならぬ。こういう現実ばかり見せられる日本国民は無惨である。だが、その国民が選んだのが、小泉なのだから、なんとも皮肉なものだ。言葉はカラカラと軽く、羽が生えて飛んでいく。しかし、それは翻ってみれば、我々自身ということだ。
もう一つ。自民党若手議員による靖国参拝を継続する会、だったかな?正確な名称は忘れた。分祀論について言っている。分祀は技術的に不可能だ、と。仮にも国会議員である。それも若手の国会議員が分祀は技術的に不可能だ、などと宣うているのだ。まったく国民も舐められたものだ。俺は反対する、分祀に、ならばそれでいい。しかし、技術的に不可能とは呆れて物も言えぬ。技術的に合祀はたかだか28年前に可能となったものだ。それが28年を経てみると分祀は技術的に不可能なんだと。それを可能とするのが国会議員だろう。何をやっているのだ、国会で、と言いたくなってしまう。こういうレベルの低い議員が多くて、本当に嫌になる。

今日は稽古後、研究生午後部の発表であった。昨日の午前部に比べるとちょっとおとなしい感じはしたけれど、まあまあ楽しかった。
でも、みんな元気がいい。いいから楽しみだ。
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by kikh | 2006-07-24 01:03 | 日々の記録
 
7/22 P.A.I.第一弾
 昼間は原稿書き。
 
 夕方からP.A.I.の発表というか、パーティ。午前部の面々が自作品を発表するパーティである。
 みんな面白かった。
 もちろん、上を言えばキリがない。が、不思議な感じに溢れていて面白い。こりゃあいい、という感じであった。テクニックはもっとあった方がいい。
 ハンガリー人のナジはやはり日本人にない感性を出していて、やっぱり多国籍というのもいいなあと思ったのであった。
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by kikh | 2006-07-23 08:58 | 日々の記録
 
7/21 気は焦り・・・
 気は焦るが、なかなか身体は言うことを聞いてくれず。テエヘンだあ、という気分である。
 もちろん、そのテエヘンだあが、必要でやっているわけだけれど、それにしてもシンドイ。今はシンドイ。
 シンドイけれど楽しいんである。楽しいけど、くくっう・・体力が・・・てな感じ。
 朝から稽古。
 マイクを使った稽古。しかし、マイクの使い方が難しいんである。昨年、ライブをやったときは、あまり意識せずにやっていたが、どうも動いているとマイクが離れたり、一定の距離を保ってはくれないから、こちら側が保つ、あるいはコントロールする必要があるんである。

 終わってから歯医者。先日、歯石取りをしたら、そのあと、えらくしみるようになってしまっていた。こりゃあ虫歯が出てきたんじゃないか、と思っていたら、違ったようだ。何でも知覚過敏になっているのだとか。意味がよく分からない。知覚過敏とはどういうことなんだろう?虫歯なら分かるが虫歯でもないのに、知覚過敏になって歯が痛む????

 昨年出演したテレビ番組のパーティがあるとかで、丸の内へいく。ううん、どうもこういう社長ばかりの集まりは居心地が悪い。が、まあ、結構、遅くまでいたのである。いろいろと話しかけてくれる方々がいて、それなりに気分良く過ごすことができた。

 終わって、中野でオブジェ打ち合せ&写真選択。
 シネマアートンでの展示写真が決定した。よし。これであとは現像である。

 もうクラクラするほど疲れ切り、電車に乗ったら、いったいどこの駅か、判別できなかった。偶然のように降りたら、降車駅であった。
 あ、そう、電車内では、実は青江三奈を聴いていたのであった。伊勢佐木町ブルースをはじめとして、青江ブルースはなかなかにいいんである。この青江ブルースがあれば、車内でさえ、酒場のムード。目を閉じれば、一人酒場。よって、グラグラしてきてしまったとも言える。
 歌詞もすんげえ。考えられネエような歌詞が次々と出てくる。こりゃあ、今聴けばギャグである。
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by kikh | 2006-07-22 00:57 | 日々の記録
 
7/20 クロアチア料理/靖国神社問題
 昼に僕の大学のゼミの後輩で、今、読売新聞事業部にいる陶山君に会う。
 京橋にあるクロアチア料理店でクロアチア料理なるものを食す。クロアチア料理はそう言えばクロアチアに行ったときに食っている。味はまったく忘れてしまっていた。ロールキャベツを食べたが、まあまあうまかった。そしてこんな味のものを食べた記憶が少々、よみがえっては来た。
 陶山君に会うと、少々勇気づけられる。きちんとした文化意識を持った男なので、気持ちがよかった。新しい展開ができればいいなあ、と思う。
 
 午後から稽古。
 松島、池野ともに遅れてきたので、僕自身を菊地に見てもらう。
 最後には橋本とオークボが来ているので、ふたりにもダメだしを受ける。
 やっぱり単純に稽古量を増やしていくしかないようである。

 さて、今日は昭和天皇が靖国神社にA級戦犯を合祀しているのに反対の意を持っていたとのニュースが新聞一面を飾った。天皇制の問題はさておき、昭和天皇には私は正直言って、敬意を抱いている。男らしい男だなあと思うのだ。立派な、頭の良い男だと思ってきた。A級戦犯合祀の問題も、まったくその通りと思う。が、なぜ、今、このメモが見つかったのか?意図的なものか?それとも偶然のことだろうか?とても偶然とは思えない。今、このとき、だからだ。アジアの中の日本、世界の中の日本を考える際に、政治家の靖国神社参拝は決していい結果をもたらすとは思えない。A級戦犯さえ分祀しておけば、諸外国から余計なことを言われる必要もない。どんなに心の問題と言おうが、A級戦犯のいる神社を詣でる政治家は意図があると思われても仕方あるまい。さっさと分祀することこそが肝要だろうと思う。
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by kikh | 2006-07-21 00:04 | 日々の記録
 
7/19 稽古&都現美
朝から稽古。松島不在。と、どうしても効率的にはならず。代役で動かしていく。が、自分自身も出演せねばならない。しかし、最もやらねばならない当人が稽古をする時間が全然取れないない。その状況の中で、最後の通し。満紀枝が見に来ていた。かなり、渋そうな顔をして見ている。それを見て、気持ちが少々弱くなっていく。これじゃまずいなあ、と思えば思うほど、ドツボにはまる。
 マイク使いにしても同様で、マイクの使い方がまだぎこちない。だから、神経がそちらに取られてしまって、なかなか思うようにはいかない。こりゃあマズイ。慣れだ。ともかく慣れなければならぬ。そのためには、自分自身の稽古時間を増やす必要がある。

 稽古後に東京都現代美術館へ。キュレーターの長谷川祐子さんと住友さんに会う。ここで展開したい件があるのである。長谷川さんの名前はもちろんよく知っている。しかし、会ったことはなかったと思っていて、最初、「はじめまして」と言ったところ「一、二回、お会いしてますよ」と言われてしまった。まずい。しまった。
 可能性はありそうである。できれば面白いと思う。劇場空間のおもしろさはよく分かるが、同時に劇場外空間の楽しさも重々承知しているつもりである。空間は魔物が住む。そういう魔物の住んでいる場所を探し当てていくのも楽しいモノだ。

 夜、オークボとシネマアートンでの写真展のための写真選択を深夜まで。
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by kikh | 2006-07-21 00:02 | 日々の記録
 
7/17 稽古&写真
 昨日はオークボにミーティングをすっぽかされ、今日は網代にすっぽかされる。
 まったく、今、僕はどれほどの思いをしてMTGを設えていると思っているのか。すっぽかされると次回が大変なんである。バカモノ!と言いたいが、それにしても最近はこの手が多い。

 稽古。自分自身が出演していなくても、歌はきちんと歌い続け、ダメだしのための声を出し続け、そういうことをしていると、終わってから芯から疲れて、ガックリと来る。
 やっぱりダメなんだな、俺自身が、きちんと動き、声を出し、舞台に乗っていなくても乗っているかのように参加し続けないと、と思う。

 稽古後に写真ミーティング。
 オークボ、ヤマモトと一緒にやるが、みな、各々意見が違う。違って当たり前なのだけれど、さて、どういう最後の結果になるか、まだ見えず。
 しかし、やっぱり改めて、選択していて、写真とは面白いものだと思う。
 是非とも公演ばかりではなく、写真も見て欲しい。
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by kikh | 2006-07-18 00:49 | 日々の記録
 
7/16 写真選択日
 今日は、相当数の写真を見た。まあ、自分自身のモノなんだけれど。撮っているときはたいした枚数ではないように思っていても、積み重なると大変な数になる。半日は見続け、そして写真展のための選択。
 いいと思っている写真でも、選んでいくと選に漏れるものが出てきたり、全然いいと思っていなかった写真が、時間とともに良くなってきていたり、面白い。時間というのは何だろうなあ、と感慨に耽ってしまうのである。いい悪いという判断が変わってくるから面白いのだ。それが味というものかもしれぬ。 
 しかし、今は味などと言っていられる時代ではなくなり、瞬時に良い悪いの判断を下さねばならない時代になっている。
 そうすると当然、わかりやすく、瞬時にポンと膝を打つ作品に目がいくのも仕方がないとは言えるが、なんとも味気ない。味気ないものが常になってくると、人間も味気なくなるというものだ。それはそうだ。そういう教育をずっとされてきて、新しく感じ取る感性などなかなか養えるものではないからだ。
 ああ、味気ない、味気ない。そんな世の中にはしたくはないものだ。
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by kikh | 2006-07-18 00:43 | 日々の記録


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