★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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9/28 インド最終日
27日、夕方6時に最後のメールチェックをしていると、素晴らしく嬉しいニュースが飛び込んできた。来年のアメリカ、ニューヨークで、僕たちが最もやりたいと思っている劇場、ブルックリンアカデミーオブミュージック(通称BAM)からの正式オファーがあったというのだ。これは最高に嬉しい。

浮き浮きした気分ではいたが、どうも鼻水が止まらず、頭も痛くなってきた。
これで、18時20分にはデリー行きのバスは出発。ありゃりゃ、である。なぜなら、本当は18時半発、と聞かされていたのだ。少し早めに出て良かったどころか、全然、時間に関しては適当で、言っていることもどこまでが正確なのか、分からない。バスステーションからこのバスが止まっているところまで50メートルと聞かされていたが、実際には200メートルくらいはあったのではないか。まあ、この程度のことは日常茶飯事なんで、インドでは余裕を見ないとヤバイ。これでバスが行ってしまったら、帰国便に乗ることもできない。
バスに乗り込んでみると外国人は私を含め、ふたりしかいない。インド人が4人、あとは全員チベット人のようであった。俺の隣はチベット人の太った女性で、いやあ、きつかった。この人からもチベット人か?と不思議そうな顔で覗き込まれた。この状態で、延々14時間、ガタピシ道路と曲がりくねった道路を走り続けるのである。こりゃあ、体調不良の身にはこたえた。足は痛くならなかったので良かった。腫れはまだあるが、痛みは出ていない。
途中休憩も2回あって、少しは膝も伸ばせたが、デラックスバスが聞いて呆れるくらいひどいバスであった。もう身体が小さい人でないと、気分が悪くなってくるだろう。エコノミークラスの座席どころじゃないのだ、あの狭さは。とは言え、インドの普通走っているバスに比べれば、メチャクチャ快適ではある。なんせ、まるで家畜を詰め込んで走っているような感じである。こちらのバスは。

朝8時にコンノートプレイスに到着する。
コンノートなら、朝だし、安宿は山ほどあるので、まだ安全だろうから、とメインバザールへ向かった。6時間だけでいい。いくら?100ルピー。だいたい280円だ。じゃあ、いいや、それで、ってんで6時間ほど、オンボロホテルに泊る。床をネズミが走っている。
メインバザールのこの混沌として雰囲気は嫌いではない。とってつけたような中途半端なキレイさなどさらさらなく、生な感じがいい。掃きだめ、と言っていたオッサンがいたけれど、まあ、いいじゃないか、それはそれで。
朝飯を食いに、いつものラッシー屋に向かう。ここのバナナラッシーは絶品である。それからナン風のクロワッサンを食う。クロワッサンとは言ってもモチモチしていて、うまいんだ。もちろんフランス風クロワッサンもいいのだけれど。やっぱりそしてデリーに来るとチャイが美味い。カシュミールではカシュミールティーだったし、マクロードガンジでは、メインティーが何かはっきりしなかった。ブラックティー、ミルクティー、チャイ、珈琲とどうも何がメインかはさっぱり分からなかったが、デリーではなんと言ってもチャイだ。

今回は結局、南インドには行けなかった。
それにしても、とつくづく思うのは、やっぱりデリーは最初の二日くらいは宿を決めておいた方がいいと言うことだ。外国人と見るや寄ってたかって、変なヤツが金を取ろうと待ちかまえている。こんな都市はない。夜到着するとますますだ。どうしようもなくなる。対応ができなくなる。暗いし、不気味だし、インド人嘘つきだし、いろいろと、あの国がヤバイ、ここがヤバイと言ってもデリーほど酷いところはそうそうないだろう。だからこそ、わざと何も決めずに来たりする。こいつら、と思いながら、やってくる。

午後3時に国際交流基金デリー日本文化センターで所長の深沢さんと面会。なんでも事務所から文化センターになったそうだ。ということは大きくなったと言うことであるから、何かと今は物いりだと思う。しばらくぶりに日本人らしい日本人に会った気がする。インド人の持つ嘘くささがなくなっていてそれはそれで面白い。
いろいろとインドの文化状況について聞く。インドでの公演の可能性も打診する。どうなるかは分からない。が、こういう混沌の街で公演するのも面白いではないか。パパ・タラフマラはさまざまな場所で公演してきているが、インドは特別だ。ニューヨークとは対局の意味で、だが。
専門員の鶴留さんと夕飯を食う。それから空港まで送っていただいた。

こうして、チェックインし、インドらしからぬラウンジで書いている。
おお、疲れた。風邪で鼻がグチュグチュ鳴っている。一路、成田へ、である。
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by kikh | 2006-09-29 11:46 |
 
9/27 最後のマクロードガンジ
 今日の夕方までここにいて、後は一直線でデリー戻りである。夜中のバス移動で、明朝には到着するが、朝方から少し喉が痛い。足の腫れも引かない。痛みはあまりないけれど、腫れが全然引いていかない。ともかく、出来る限り痛み止めを飲まないようにしている。が、痛くなったら怖いので、どこに出るにも持ち歩く。
 正午にチェックアウトし、後は夕方6時過ぎまで時間を潰すばかりである。三日間は同じホテルにいたが、すごく気持ちが良かった。こういう雰囲気ならば外で書く必要などさらさらないと言っていいくらい良いホテルであった。一応、ゲストハウスということになっていて、一泊あたり2000円程度で、だから、決して安いとは言えないのだけれど(インドとしては)、テーブルも椅子も手頃なのがあり、木のフロアーで、ベランダ付き、お湯も一日中出る。一気に書き上げられたのも、この環境が重要であった。人もいいし、ここのレストランも何とも言えず気持ちのいいレストランであった。

 午後からは、別の書き物をする。
 まったく次から次へと何かやっている。そう言えば、パフォーミングアーツ論みたいなものも書かなくてはならないのだけれど、やっている時間が全然ない。
 そして、小さな寺に行く。もちろんチベット仏教の寺院だ。数多くの寺の小僧はいるが、観光客らしき人は誰も来なかった。風が吹き、太陽がさんさんと降り注ぐ、そんな寺は、さまざまな色彩に彩られた極彩色の寺であった。
 と、だんだん喉が痛くなってくる。ガイドブックを見ると、チベット医院があると書いてあるではないか。診療は無料とのこと。ならば、ってんで行ってみる。薬を飲め、と言われ、大きな丸薬を10錠くらい出してくれる。これには金はかかったが、実に安い。変なオバサンが診療してくれ、へたくそな英語で、ああだこうだと言うものだから、それだけで疲れた。さて、この丸薬、効くのだろうか?

 遅い昼飯を食いに、薄暗いレストランに入るが、ここのマッシュルームカレーが絶品だった。小汚いので安いだろうと思って入ったのだが、安い上にメチャクチャ美味かった。
 それから前に来た寺院にあるチベット博物館で中国の行なった愚行の数々を見る。それにしても国家の暴力ほど辛いものはないだろう。正当であるかどうか、プリンシプルがあるかどうかなどはどうでも良く、自身に都合のいい論理だけで、国が突っ走るならば、後は破滅の傷跡が残るだけだ。それをいつまで経っても分かるような分からないような、ならば、分からない方が得だってんで、動いてしまうのが人間というヤツだ。情けなく、腹も立つが、まあ、人間を止めるまではこういう愚行ばかりが続くのだろう。
この寺院カフェで森と山を見ながら、これを書いている。あと2時間後には、デリーに向かって出発である。
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by kikh | 2006-09-27 21:34 |
 
9/26 TIPA
 朝、足が腫れている。ううむ、困った。が、歩いて歩けなくはない。
 なので、朝8時半にはホテルを出て、9時にTIPAに着く。
 生徒たちのダンスと音楽の授業を見るために、である。
 授業風景は、まったく穏やか。そして全然、詰め込み式ではない。たぶん、自主練の時間が相当数を占めているのだろう。
 授業風景を見ていて、実に歌が伸びやかなのに驚いた。特に女性陣の高音の伸びが素晴らしい。ここでも男性が少なく、女性の1/5くらいだろうか。
 1時間半ほど授業風景を見て、それから事務局の男と話をし、そこを出て、再びマクロードガンジの街を徘徊し、昼飯を食いにチベット料理屋へ行くが、ここ、マクロードガンジではチベット料理とは掲げていても、イタリアンもインディアンも中国料理も、ひととおり揃っている。どこでも似たようなものである。そこで半蒸し、半焼きの餃子を食う。これが実にうまい。町中でもいたるところで売られているので、買い食いするにも困らない。

 それからカフェをいくつか回って、部屋に戻り、一気に台本を書く。もう書かなければ、明日はゆったりと時間を使えないではないか、と思って、ドドドッと書き進める。

 夜7時半に一応、「シンデレラ」第一稿が上がった。かなり変な「シンデレラ」である。「シンデレラ」とは何であるか?それを意図した「シンデレラ」台本である。

 上がったので、即、ネットに繋ぎ、皆に配信する。
 そして、夕飯を晴れ晴れとした気分で食う。気分はイタリアン、だったが、なんとも変なイタリアンだった。と思ったら、どうにもここはベジタリアンイタリアンのようだ。なにひとつ肉類がない。
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by kikh | 2006-09-27 21:33 |
 
9/25 ダライラマ
 もう25日も終わりの時間になっているが、足首が腫れて痛い。筋肉痛はずいぶん治まったけれど、足首はズキズキ、ズシリと痛い。あの痛みがやってきたらとても歩くどころではないので、あれがやってこないのを祈るばかりだ。痛み止めの錠剤を持ってきたから助かっている。確かに痛みは軽くなる。

 今日はダライラマの寺院に行く。ここを本拠としてダライラマの中国政府に対する抵抗運動が始まり、ここを拠点にしてダライラマはノーベル平和賞を受けたのだった。
 写真を撮っていたら、ある中年の坊主が近づいてきて、ここは撮影してもいい、ここは禁止、と細かく言ってくる。それからも何カ所か、僕の後を付いてくるかのようにして、人のことを見つめている。どうも親近感を持ってくれたらしい。と突然、チベット仏教は何であるかを教えようと言いだし、語り出した。チベット仏教は、実は大乗仏教、小乗仏教、密宗・・・こう彼が漢字で書いていたが、この密宗というのは密教のことだろうか?これらすべてが集まったものがチベット仏教なのだという。大乗仏教は中国、韓国を経て、日本に流れ、小乗はスリランカ、タイなどで発達し、加えて密宗までがチベットに流れ、チベットの仏教とは、だから、すべてを包括する仏教なのだというのである。
おまえはブディストか?と聞くので、日本人のほとんどのメンタリティはブディズムだ、と答える。間違いなくブディズムが基盤にあるのが日本人である。
それにしても面白いのは、この寺院が住まいと一体になり、住まいの中に寺院があるような感覚に陥るのだ。こんな寺院を見たのは初めてであった。

 寺院内にあるカフェに入ると、なんともモダンである。まったくマッチしていない。音楽もここだけはアメリカンポップで、どうも変な感じ。だが、気分はなかなかいいのだから不思議である。

 それからTibetan Institute of the Performing Arts に行く。俗称TIPA。
 と、こう書いて、突然、今、思い出した。そうだ、TIPAじゃないか。でもまったく思い出さなかった。
授業風景を見ようとして事務局に行くと、あと30分待っていろ、と言われる。それで外に出て、グランド(と言っても狭いのだが)を見つめていると、向こう側で楽器を弾き、歌を歌うふたり組の女性陣が手を振ってくる。僕は歌の中の振付だろうと思って、知らぬ振りをしていた。と、先ほどの事務局の男がツカツカと寄ってきて、何かと話しかけてきて、茶でも飲むか?と、急にミルクティを入れてきてくれた。ズンズン話をしていくと、どうも彼にとって僕は親戚のような感じがすると言い出した。するとそこに先ほどの女性のふたり組(これが上手いんだ、歌も楽器も)が、やってきて、チベット人か?と聞いてくる。日本人と言うと、まあ、いつものことなんだが、まるで日本人に見えないよ、というところから始まり、いろいろと1時間近くも話し込んでしまった。
そこかしこで楽器の音がなり、向こう側の校舎では衣装作りのコースがあり、舞踊も演劇も楽器も歌も、全部この学校ではやっていると言うのだ。そう、僕は学校だと思っていたから、全然ピンと来なかったのだ。
 その女性陣はかなり世界中で公演している、日本にも3回、行っている。東京と大阪、ほかにも・・ううん、と悩んでいたが、名称が出てこなかった。2ヶ月前にも浅草公会堂でやったらしい。
 ということで、本日はまったく授業を見れず仕舞い。だが、ここの学校の生徒たちは全国選りすぐりらしく、ここを出たら、その後、仕事には困らないらしい。

 で、突然思い出したTIPAの話。
 僕がつくば舞台芸術監督をしていた最初の頃に、そう言えば、TIPAの公演をやったことがあったことを思い出したのだ。今でも僕のCD入れには、中身がどこかへ行ってしまったTIPAの音楽CDケースが残っている。そうか、TIPAはこんなところにあっのか、とビックリするような偶然に、なんかいろいろと感じ、世界は狭いなあと改めて思ってしまった。
 明日、朝に来ることを約束して、本日は離れる。
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by kikh | 2006-09-26 23:26 |
 
9/24 続き
 今日、やっとインターネットカフェで、自分のパソコンを繋ぎ、Eメールのチェックと送信ができた。Eメールはものすごい数で、チェックするだけでもやけに大変。でも、数が多くなると、本当に必要なことしか書かないので、とても機能的になる。機能性しか考えていないというか、それしかできない。
 東京でも海外の件、国内の件で動きがいろいろと出ているらしい。

 また再び、足首が痛み出している。山行きでちょっと無理をしたのが響いたのか、そのとき、そして昨日と、水をあまり飲まないように心がけていたのが響いているのか、足首が腫れだした。またぶり返してきている。痛みが増してきたら、実にまずい事態に陥ってしまう。水を控えたのは、長時間の移動でのトイレ行きの支障が出るためである。が、確かに少しまずかったかも知れぬ。夜になってズンズンと痛みが増してくるのがはっきりと分かる。痛み止めの薬を日本に置いてこようと思ったが、持ってきて良かった。

 足首だけではなく、今日はもう一昨日の山行きが祟っていて、足の筋肉がパンパンに張っている。上りはまだいい。下りが非常にシンドイ。まるで老人だ。おっとっととよろけながら歩いている。と、写真どころではない。写真よりも自分自身のからだを保つ方に集中力が行ってしまって、シャッターを押す気力がないのだ。文章書きは大丈夫。まったく歩かなくて済むのだから。

 これからの予定をどうしようか、迷っていたが、結局、デリー戻りまでここにいることに決めた。なぜなら、やっぱり台本を書き上げてしまわないとまずいからであり、この足の痛みがすぐに引いてくれればいいけれど、長引いたらと思うとはっきりした動きが取れないからである。
 27日の夜にここを出て、するとデリーには28日の早朝着である。早朝に着いても、どうしようもないのだけれど、考え方としては空港に行ってしまって、空港で12時間くらい潰すという手もある。荷物を抱えてフラフラするのは非常に厳しい。ならば、ちょっとデリーの国際交流基金の事務所を訪ねてみるという手もある。

 明日は、チベット舞台芸術研究所で、授業風景を見学してくるつもり。
チベット人は日本人と似てるかと言えば、さほどでもない。僕にはどちらかと言えば韓国人や中国人に似ているなあ、と思える。インド人は、やはりドギツイ顔だ。このドギツイ顔になるように生きてきているのだから、仏陀も出てきたのだろうと思ってしまう。
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by kikh | 2006-09-25 15:45 |
 
9/24 マクロードガンジ初日の途中
 途中までである。
 インドはネット環境はヒドイものだから、またいつ繋がるか分からなかったりする。ランがすべて落ちて、無理だったこともあるからだ。

 だから、今日、途中まで、というのはここはまだ夕方の5時半だ。

 そこまでの分をアップしておく。

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  朝、ここマクロードガンジを歩いてみて驚いた。まったくここはチベット人の街で、町中はチベット一色であり、そこかしこにいる人たちも観光客を除くとチベット人ばかりである。インド人はほとんど見かけない。ここはインドなんだろうか、と驚くけれど、これもまたインドなんだろう。それこそ、顔つきを見れば、いくらカシュミール人がインド人とは違うと言っても、カシュミール人とインド人の区別はたいして付かないけれど、インド人とチベット人の違いは明白で、こりゃあ、当然メンタリティも違うだろう、とそう思えるような顔つきをしている。インドは広い。日本と琉球は違うと言っても、ここまでの違いは見いだせまい。アジアも確かにモンゴリアンはモンゴリアンという顔をしている。突然、ホッと出来る場所に入り込んだ感じだ。
 
 台本書きは全然、順調に進んでいない。もちろん帰国までには終わらせる予定だが、それにしても進んでいない。このダラムサラ、マクロードガンジの雰囲気は進行させるに充分である。その意味でとっても意味がある。いやあ、やっとほっとできるところに来た、という感じだ。インターネットカフェもあるし、シュリーナガルとは大きな違いだ。あそこは半ば牢獄みたいなもんだった。自由を装った軟禁状態である。何もできない。一度だけインターネットカフェに行ったけれど、その日はすべてのインターネットがダウンし、誰も使用できないということだった。もう数日、Eメールのチェックができていない。怖い。数日チェックできないと、その返信をするだけで大変になるからだ。

 今日、やっと、すごくホッと出来るホテルに滞在することができた。もう何というか、良いホテルというのは、そういう雰囲気が漂っている。だから見つけるのもさほど難しくはない。昨夜、泊ったホテルは悪くはないモノの、どうも気分の悪さが漂っていた。それは、ハウスボートと似たようなもので、ハウスボート自体はステキなのだが、どうも人間が気色悪い、そういう匂いとでも言ったらいいだろうか。結局は、人なんである。たいしたことがないホテルでも、そこにいる人でもってよく見えてしまったりする。それは設備自体は悪くても、どこまで行き届いているか、目が届き、手が入り、気分のいい環境を作り出せているかなのである。だから、つくづく思うが、仕事というのはやればいいというものではない。やって、どこまで自分がその仕事に対し責任を負い、納得できる状況までもって来れたかであろう。
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by kikh | 2006-09-24 21:05 |
 
9/23 移動し続ける
今日は移動するだけだった。マクロードガンジ行きである。

 朝7時にここに車が来るから、待っていろ、と言われたので、待ったが、誰も来ない。すると、昨夜、そう話をした男がツカツカとやってきて、事務所へ来いと言う。行ってみると、紙を差し出し、ハッピーかハッピーか、と聞いてくる。もちろん俺はOKとしか答えない。これに、このハウスボートがいかに良かったか、一筆啓上願いたい、とのことだった。そして他の人たちが書いたモノを見せられた。
 もちろん断固拒絶する。
 これはいくら何でも書けないね。と思って、実は英語で褒め言葉を書いた後で、日本語で、全部嘘だから、絶対に止めろ、と書こうかとも思ったけれど、それは止めた。理由をいろいろと聞いてくる。確かにいい時間を過ごすことはできたが、決してカンファタブルではなかったからねえ、とだけ言った。ただ、昨日、ここの男で一緒に来たいけ好かないサーバント野郎のことだけは話した。チップチップというから100リラ出したら、こんな少ない金額かよ、と言ってきた。俺は最低でも500で、日本人なら1000~2000リラを出してくれる人もいる。僕は当然、1リラもこの男にはあげていない。まるでチップの精神に反しているからだ。こういうヤツばかりじゃないか、ここは。今日の朝だって、7時に、おまえはこのポイントで待て、と指さしただろ、俺は朝6時に起きて準備し、7時に待っているのに、なんだ、このありさまは。もう8時になるぜ。
 この話には続きがある。初日にマネージャーが言ったことが、後で嘘だったことがはっきりした。というのは、車は別カンパニーから手配したようで、その運転手と話していると、やっぱりレー行きがない、ということなどない、ということだった。まだ運行していると言った。あのカンパニーはダメだ・・と言っている。そしていろいろ自社の宣伝をしていたが、これもどこまで本当か疑わしい。まず嘘半分である。なにがカシュミール人はインド人とは違うだ、まるっきり同じである。

 ともかく、朝8時にシュリナガールを出て、結局、ダラムサラ、いやちょいと上のマクロードガンジに着いたのはもう深夜0時を回り、0時半になっていた。車のドライバーが紹介してくれたホテルに宿泊する、が、なかなか良いホテルだと思っていたら、突然、真っ暗になった。電気がすべて止まってしまった。ロビーに行っても誰もいないし、真っ暗闇なんで、どうしようもない。
 とは言え、シャワーくらい浴びないと顔も頭もホコリと汗でべたべただ。だから、暗闇の中、手探りでシャワーを浴びる。寒い。寒さがズンズンと襲ってくる。
 その真っ暗な中、ベッドの中、バッテリーで書いている。今はもう1時40分を回っている。
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by kikh | 2006-09-24 21:01 |
 
9/21 最悪と最高
 どうもここにいるのは居心地が悪い。
 なぜなら、監禁されているような感覚に陥るからだ。
 でも、これもインドだと思って、じっと起きることを楽しんでいる。外を歩こうとすると遠くへ行くな、と言われる。なぜなら、アーミーがいるから、なんだとか。確かに軍人たちの数は凄い。そこかしこに立っている。
 この事例を挙げる。今日はインドステイトバンクに両替をしに行ったのだが、これも一人では行かしてもらえず、サーバントふたりとともに行くことになった。ところが、銀行まで行っても、なかなか銀行に入ることができない。ほとんど軍の要塞と化しているかの如くで、入り口にずらり軍人が並び、パソコンもカメラも置いていけ、と言われ、ボディチェックを受け、入っていったのだが、銀行内も軍人ばかりであった。これは異様な光景である。なにゆえに銀行を固めているのだろうか?
 
 しかし、それにしても人間性というのは、本当に顔に現れるモノだ、とつくづく思う。世界中どこへ行っても、こいつはちょいとヤバイ顔だなあ、と思ったヤツは、まず間違いなくヤバイ。そういう同じ穴の狢という匂いがプンプンと漂うのである。
 そして、インド人(カシュミール人だって実に似たようなものだ、どんなにカシュミール人はインド人とは違うと言っても、所詮、ドングリの背比べみたいなもんである)に関しては、話せば話すほど、この野郎という思いばかりが大きくなり、どんどん腹が立ってくるのである。だが、この「腹立ち」が、また、インドとはいったい何だろうという気持ちを起こさせる。インド人、信用できな~い、ねえ。と抑揚を付けて言いたくなるが、本当にここでは人とは何かを試されて面白いのだ。これを楽しめないと不愉快な気分ばかりが残るだろう。
 そして、インド人も中国人と似ていて、金がすべて、というところがある。前に来たときも書いたことがあるが、インド人や中国人が圧倒的な人口を抱え、そして核を抱えているとしたら、危険きわまりないと思ってしまう。まるっきりメンタリティは東南アジアの人たちとは正反対である。
 だから、インドの連中はまず信用してはいけない。絶対に、疑ってかかることが必要だ。その疑いも特に、自分に寄ってきたヤツの9割は変なヤツだと思った方がよい。残り1割をどう見分けるかだが、そこが難しい。どこでもそうだが、打算のない人もいるのである。だから、顔を見て怪しいと思ったらまず間違いなくヤバイのである。

 朝から、ここのマネージャーのサービスだってんで、蓮だらけの湖クルージングとしゃれ込んだ。この「サービス」ってのもいったい何だ、これは、裏があるんじゃなかろうか、と思っていたけれど、結局、裏は何もないようだった。75才のジイサンが櫂を漕いで、ゆったりゆったりと4時間の湖の時間を楽しいんだ。これは素晴らしくいい時間だった。櫂の音。水がピチャリピチャリと撥ねる音が聞こえ、その音に揺られているだけで、もう天国の気分である。たまにボソボソと、そのジイサンが話すのだけれど、たまに、というのがとても良い。まあ、英語は非常に下手なのだけれど、でも、たまにぼそりと語るから何とも最高の気分であった。
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by kikh | 2006-09-24 21:00 |
 
9/22 K2を見に行く
 さて、このカシュミール地方にまで来ているのだから、一目でいいからヒマラヤの高さを感じたいと思って、世界第二の高峰KⅡを見に、山に登ることにした。
 が、相変わらず、時間に、この人たちはルーズで朝9時半発と言っていたのが、結局、11時近く。これじゃ大して山にはいられないだろうと思っていたら案の定。とは言っても、見るだけの旅であるからたいしたことはないのだが、まあ、それも良しとしよう。
 で、足を使って登る、その麓まで来ると、インドのしょうもないヤツの常なのだけれど、今回の案内人の、俺の嫌いな、あの初日のサーバント野郎が「カシュミール女を世話してやるが、どうだ」ときた。それも昼飯を食っている場所の家族の姉妹のことである。その兄弟は僕らと一緒に登るのだ。後で、その兄弟の方から、生活の事を聞いたが、冬になると、食うモノもなくなり、2,3日、飯も食えずにただじっとしていることも珍しくないという。こいつも何かあるとマネーマネーとうるさかったが、それにしても、姉妹を前にどうだ、と言ってくるヤツの気が知れない。こういうこともインド人はウンザリなんである。インド人のこの手が実に多い。そしてだいたいこういうヤツに限って、必ずと言っていいほど、日本人の女をガールフレンドの一人にしている。そしてインド人のち○ぽはでかい、日本女の○○○は小さいとか、そんなことばっかり言っている。冗談にしてもゲスっぽくて気分が良くないし、腹が立ってくるんだが、事を荒立てても仕方がないので黙ってはいる。けれど、いい気分でいられるわけがない。そのくせ、すぐハッピーかハッピーか、と聞いてくる。僕はOKとしか答えない。ハッピーのわけがないだろう。鈍感野郎め、とののしりたくなるが、喧嘩しても仕方がないので、沈黙だ。

 K2はどうでも良かったが、山道途中で会ったジプシー親父が実にいい顔をしていた。何も言葉は交わさないが、というより言語もヒンディー語はほどんどダメで、・・・語を話すんだ、とはガイドの話。でも、彼とは何度も握手をし、彼もほとんど見知らぬ俺だけにリンゴをくれたりした。このリンゴの味は絶品だった。見た目はよくないが、こんなに美味いリンゴがあったのか、というくらい絶品のリンゴだった。
 山の上で会った、同じくジプシーのジイサンもなかなかいい顔をしていた。この険しい山で暮らして老人になっている。思えば、僕から見ると、到底想像がつかない。山道はとても険しくて、一緒に登ったイギリス人はほとんどダウン寸前であった。この山道を毎日、上り下りし、羊や山羊を飼って移動していく生活である。もちろん病院もなければ、食うことに困ることだってたくさんあるだろう。その中で老人になれた、ということだけでも、自然に感謝する気持ちは深く芽生えるだろう。
 登り道では、少しだけ馬のお世話になった。馬に乗って登るのをトライしてみたが、いやあ、凄い。大変な急坂である。その急坂を馬は人を乗せて登るのだ。桶狭間の合戦では信長軍が一気に崖を馬で走り降りるということだったけれど、馬の能力というのは凄いものだと、こうやって乗ってみると実感する。
 降り道は、地元の青年と一緒に降りたのだが、ものすごいスピードで降りて行く。とても付いていけない。何を言っているか、ほとんど理解できないような英語なのだけれど、べらべら喋っている。喋り続けている。けれど、こちらの聞いたことには、ほとんど答えられない、つまり聞いても何のことやらさっぱり分からないのだろうと思うが、それでも勝手に英語らしきもので喋り続けるのはたいしたものだと関心。もう足はパンパンに張って、足首も痛み出し、膝はガクガク、なのに、この人はスローリースローリーとか言いつつ、いつの間にかドンドンスピードアップする。ぐらりとふらつくということもない。僕はふらつきまくりだ。歩き方を見ていると、やっぱり無駄がない。山道を歩くにはどうしたらいいか、知った歩き方である。ほとんど毎日、上り下りしているから、当然、歩き方は上手に決まっているが、どこをどう歩けばいいか、リズムと共に身体に刻み込まれていることに感心した。

 戻ってくると、ここのマネージャーの兄という人が、画を売りに来た。
 素晴らしい、美しいを連呼していたが、全然、たいした画ではない。「正直言って、いい絵だとは思わない」と引き取ってもらった。こういう物売りが実に多い。尋ねてきては売る。この日、同じハウスボートに宿泊することになったスペイン人カップルと飯を食ったが、彼らは宝石を買ったそうだ。でも、彼らも結構、文句タラタラだった。
 彼らは3ヶ月半旅しているのだとか。もうタイ、マレーシア、オーストラリア、シンガポールに行って、インド入りしたのだとか。インドは気をつけろ、と注意してやると、もう肌身に浸みているようで、それから一気に彼らの身の回りに起きたことをべらべらと喋りだした次第。その中で、昨日のニューデリーステーションの様子を聞いたが、やっぱり相当、危険な状況になっているようだ。暴動は収まらず、何が起きてもおかしくない状況が続いているらしい。

 ともかく、インドは人間を見るには最高の教科書である。
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by kikh | 2006-09-24 21:00 |
 
9/20 デリー→シュリナガール
朝、起きて、いろいろと準備し、歩き出そうにも、ここがどこか分からない。ともかくコンノートプレイス(中心地)に行くことにする。ホテルのレセプションではコンノートまでならトゥクトゥクバイクで、70ルピーだという。いや、違う。そんなに高いはずがないだろう。まったくメチャクチャだ。だって、昨日の、あのバイクはコンノートから、パハルガンジへ行き、そしてここまでで30だったんだぜ。おかしいじゃないか。インド人だから仕方がない。実際は40かかった。

さて、さて、いやあ、危うかった。
午前中に、いろいろと回る。どうもデリーは危険な状況らしい。ストライキから発展して暴動になり、死者がそこかしこで出ているらしい。おまけに今、テング熱でデリー市内で300人くらいの死者が出ているのだとか。もう一刻も早くデリーを出なくては、と思っているが、さて、どうしたものか。だが、パハルガンジにあるニューデリー駅には行くな、と多くの人たちに止められる。相当ヤバイらしい。

何を思ったか、急にレーに行きたくなった。インド北部である。カシュミール・ラダック州であるから、もうヒマラヤである。高山病が危険らしい。なんでも3500メートルくらいの標高なんだとか。ところが調べてみると、レーには行けても、もうシーズンが終了し、相当寒くなっていると言う。服を買うのもばからしいが、ホテルもやっているところが9月15日以降はほとんどないのだとか。航空会社に行ってみるが、朝5時のフライトだといわれる。いやはや、さて、どうしたものか。考えあぐねる。重い荷物を持ったままフラフラする。南に行ってしまおうか、それとも北に行こうか?レーと思っていたので、やっぱり北にしようと、旅行代理店に行ってみる。ええ?シリナガル行きならば、意外にやすいではないか?これなら何とでもなるさ、と思ったのが運の尽き。やっぱり裏があった。
インドに来ると、人間はどこまで人を信用することができるのか?ということが試される。信用すると、必ずここでは裏切られる。必ずだ。何か裏がある。しかし、国家や権力が加わってくると、非常に難しいことになる。権力に近い人はそうだし、権力から遠くても外国人と見れば簡単な外貨稼ぎとしか見ない、そういう連中が本当に多い。
さて、デリーからカシュミール地方のシュリナガルへと1時間15分のフライトでやってきて、驚いたのは空港。空港のあらゆる建物は迷彩色に彩られ、ずらりと軍人が鉄砲をぶら下げ、至る所、軍人だらけである。これは驚いた。カシュミールはパキスタンとの紛争地帯で、まだ危険性があるとガイドブックには書いてあったが、エージェントのオッサンは今は安全だと言っていたではないか、だからインド人、信用できない、なんだな。
そこから昔、英国人が作ったという(家を持つ許可が下りなかったため)ハウスボート、すなわち湖に船を浮かべ、それを家とした、そういう家ホテルに行く。
ここでまた、一騒動。
なんでもここのオーナーは、大変な権力を持っている男らしい。当然、その権力は代々受け継がれてきたものだ。最初はそういうことは知らない。そこで、到着するや、その男に、これから数日、どうするんだ、と聞かれ、ブラブラしてる、と答えると、俺はアイデアを提示するだけだから、そのアイデアを受け入れるかどうかは貴方次第だ、と言ってきた。ほら来た、再び、だ。何日までインドにいるのだ、から始まり、ではこれからそれまでのプランを建てよう、いえいえ、大きなお世話だ、とは言えないから、それは俺がやるからいい、勝手にする、というと、まあ、聞いてくれ、プランだ、と言って次々とプランを建てていく。まあ、これが彼の商売だ。その商売を聞いた後で、分かったけど、俺が自分でやる、というと、ここはカシュミールだ、と言い出す。俺はゲストを安全に送る必要がある。いや、俺はレーにバスで行くからいい。レー行きはもう終わった。9月15日ですべてお仕舞いになる。それから後は休眠だ。他にもバスはあるだろう。シームラー行きならあるが、あそこはパキスタンとの国境地帯で、危険だから、止めるべきだ。一番いいのはジープに乗ってダラムシャーまで行くことだ。じゃあ、ジープ代はいくらだ、と聞けば、350US$だという。350??なに?42000円じゃないか?そんな金はない、というと、しつこく押し問答をしていて、俺は怒った。いい加減にしろ!俺は自分で探すから、もういい!と。
とは言え、さほど簡単ではないことは分かっていた。なぜか。ここはちょいと中心から離れていて、確かにいいボートハウスではあるが、地の利が悪いのと、どうも全体に物騒な雰囲気が醸し出されているからだ。

さて、それからどうなったか。その男は俺はカシュミールだ、と言う。カシュミールが俺だ、と。俺がどれだけ権力を持っているか知っているか?おまえを刑務所にぶち込むことなどたいしたことではない。と、札束を取り出し、これでいくらでも警察は俺のいいなりになるのだ、そして警察に電話し出した。その隙に、彼のサーバントだと自分で名乗っている男が、そっと耳打ちしてくる。こちらへ来い。あのね、彼は本当に権力を持っている、だから少し穏やかに、少しずつなだめるようにやらないとヤバイ事態になってしまう、前に逆らったのは10ヶ月、牢屋行きだった。と、真摯に、これは見るからに真摯に訴えてくる。

僕も、事態は何となく飲み込め、これもインドだ、と思うことにした。命あっての物種である。だから、ある程度は言うことを聞くことにした。ここは確かに日本ではない。ここまで案内してくれたドライバーは、軍人たちの多くと知り合いらしく、ヤバイ感じだった。そうなのだ。彼は、カシュミール人とインド人は違う。全然違う、と言う。インド人は嘘を付くが、カシュミール人は嘘付かない、と。しかし、その嘘を付かないカシュミール人が、自分が気に入らないからと、札束で牢獄に放り込むなんて、ヒドイなんてもんじゃないだろう。都合いいところで嘘を付かない、と決めているだけではないか。まあ、それが世界というものだし、それが外交というものでもある。屁のような外交だとは思うけれど。だから、金を惜しんで、やばいことにならないようにはした。逃げ道がないのだ。ここでは。実に卑怯な男で、この環境にあっては、対応しようがないことを知っている。そして、金を作る算段をする。

それを見ていたサーバント。(こいつがまた、気持ち悪い男で、こういうヤツはたいてい、強い者に弱く、弱い者に強いんである。)後で、本当に良かった。あの人の言っていた、俺はカシュミールだ、というのはあながち誇張ではなくて、圧倒的な権力を持っている、と。
それを聞いて、ますます腹が立った。なんだ、単なる権力を傘に着た、パキスタン嫌い、インド嫌いの、独立したがっているカシュミール人に過ぎないのだ、と。しかし、これが厄介なのだが、たいていは誰もが自分が言っていることの矛盾点になど気付かないまま、ときは過ぎ去っていくのである。
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by kikh | 2006-09-24 20:59 |


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