★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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11/18 
 どうにもここのところ、時間が作れない。
 頭はトロトロにしばしばなっている。
 今は助成金申請時期でもあるので、ある程度はきちんとした企画として作品をまとめなければならない。しかし、まったく酷なもので、この状態でやっている中で次の企画、その先の企画を出せ、というのはなんとも難しく大変な作業である。もう作品を作っている最中だから、頭はそちらへ集中したいのだけれど、アイデアも次々と出していなければならない。まあ、宿命みたいなものだから、それは仕方がないなあとは思っている。

 加えて、疲労が溜まり、頭の後ろが痛くなっていたりすると、ちょいと脳溢血の不安が過ぎったりする。
 俺だって、こんな状態を続けていたら、いつ鬱病になるか、分かったもんじゃない、と言うと、みな、あっはっは、小池さんは絶対にならないですよ、とのたまう。しかし、わからんぜ。人はいつどうなるかはやっぱりわからん、と思うのである。

 とは言え、「シンデレラ」。頭から35分程度が形になってきた。もちろん完全ではない。問題も多い。が、しかし、こりゃあ楽しいなあ、と思いつつの稽古だ。童話シリーズの展開は、僕にとってはかなりの遊びが入ってくるので、楽しいなんてもんじゃない。最高にステキな時間である。
 白井と関口とあらたまは、実にいい。白井がシンデレラ?ええ?キャッハッハ!なんて笑っていた連中もいたけれど、かなりステキで奇妙なシンデレラである。
 パパ・タラフマラの童話シリーズ第一弾。けれど、これはどんどんやりたくなってくる。童話とは、残酷さと笑いと理解しやすさとエログロでいっぱい。ナンセンスなシーンも簡単に作れるし、チープな楽しさも作り出せる。今回は研究生も参加しているが、これはこれで童話シリーズのチープ感が、変な現実味を帯びる。その匂いと色彩こそが非常に大切である。
 稽古をしながらだが、童話はジャンプ装置としても役に立つなあ、とつくづく思っている。

 加えて、六本木スーパーデラックス。この制約だらけの空間がまたいい。制約はアイデアを生み出すものだ。
 何をしていても面白いけれど、ただ忙しすぎに注意である。
  
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by kikh | 2006-11-19 07:28 | 日々の記録
 
11/14
 実に人は難しい。
 どんなに親しくても難しい。
 少しずつでも分かるならばいいが、どうも理解しかねる人間の数も凄まじい数に上るため、人間について考えると、苦痛になってくる。
 ちまたに多く起きている事件なども、いったいなんでそんな阿呆な事件が起きるのか?理解しがたいことばかりである。
 今日の帰り道、吉祥寺駅で、駅員か何か制服の男に組み伏せられて、袈裟固めにされていた男がいて、その駅員らしき人物は無線でやりとりをしている状態であった。まったくもう、情けないったらありゃあしない。酔って喧嘩でもしたのだろうが、それにしても情けない。こんな姿をその男の妻や子供が見たら、なんと嘆かわしい、もう一緒になどいたくなくなるだろう。
 それでも人はさまざまな利害が絡んでいるから、他には何も言わないだろう。ますます情けないが、情けない人が通常だと、これまた、仕方がない。

 シンデレラ稽古は進んでいる。大雑把ではあるが、30分は形になりつつある。こりゃあ、なかなか面白いではないか、とひとり楽しみつつ、ほとんど休憩なしでギンギンに演出し続けているが、しかし、問題は研究生をどこまで高められるかである。相当な労力をここに注ぎ込まねばならない。もちろん承知の上である。しかし、あと一月強である。
 稽古を見に来ていた多摩美の学生たちも、一所懸命に小道具制作を手伝ってくれている。感謝。
 
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by kikh | 2006-11-15 01:48 | 日々の記録
 
11/11 ずっとピーク
 ここのところ、ピーク状態が続いている。
 朝から深夜までテンションが高い状態のママ、毎日移行していく。

 最近、新聞、テレビ等でも教育問題、いじめ問題がさかんに取り上げられる。これは、やっぱり根幹の問題だ。そこを認識しなくてはダメだ。根幹とは何か?繰り返し語っているが、からだなのだ。それ以外の何ものでもない。制度ももちろんある。しかし、制度以上に身体の活性化、身体の力こそが、すべての大本である。それなしに語っていく教育論はあまり意味をなさない。が、なぜ、そういう状態か?明白だ。身体不在人が一所懸命語っても、所詮、それはその程度にしかならない。

 稽古、稽古。研究生たちがなかなか痛々しい。もちろんそれを救って余りあるのが、ベテランパフォーマーたちではあるのだが。ベテラン陣はなかなか凄い。

 終わってから、松島の「ハネジイ」と矢沼さんの公演をセッションハウスに見に行く。
 ううん、面白いが、何か足りない、という感じ。細かな感想はまたの機会に。

 演出部ミーティングを行ない、帰宅。
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by kikh | 2006-11-12 09:52 | 日々の記録
 
11/8 根を詰める

 昨日はトーキョーワンダーサイト青山のオープニングに行ってきた。これは東京都が世界の若手アーティストのレジデンス施設として作った施設であるが、こういうことを東京都も始めていることに驚いた。これが三つ目の施設だという。
 とは言え、東京都に限らず、アートに対し、熱い視線を注ぐ必要があって、それが人間の根幹であるとはなかなか気付きにくいのだけれど、すべての鍵がアートにも舞台芸術にも潜んでいる。そういうことを知ることができる政治家などはほとんどいないに違いない。

 本日は朝から稽古。そして終わってミーティング。深夜になって、総計の休憩時間は15分であったことに驚いてしまった。ヤバイ。あまり根を詰めてはいけないのである。
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by kikh | 2006-11-09 01:05 | 日々の記録
 
11/6 教育の現場
 朝はP.A.I.の授業。
 しばらくぶりにスロームーブメントワークショップを行なう。これは感覚を鋭敏にするために、たまに行なった方がいいWSである。
 
 終わり次第、稽古場に向かうつもりだった。ところが、ナカジマから申請書の文章を見せられ、当人は自信満々のようであったが、ううむ、雑だ。そこで仕方なく修正を施す。申請書の文章はこちらの過剰な思い入れは不必要で、事実をきちんと書き、そしてそこにほんの少しの思いが入れば充分である。というよりも、そういう文章でなければいけない。それが分かっていない。まったく注意力散漫。何とかしろ、もう少し、と言って飛び出す。
 こんなことをしていたために、40分遅刻。飯は例に漏れず、掻き込み。ああ、ゆっくり食いたいものだ。

 稽古はううむ。何かが違う。何かが足りない。これを解決しなければならない。単に力量だけの問題ではない。では何か?意識である。意識がまだまだ同一レベルにまで上がってきていない。池野はいつも疲れていて、少々気の毒さも漂う。いろいろな舞台に立つのはいいとして、ちょいとやり過ぎの気味。まあ、なんとしてもさっさと意識を高める訓練が若手には必要である。

 稽古後は新橋で、テキスタイルの打ち合せ。しかし新橋。打ち合せに適当な場所が見あたらず、蕎麦飲み屋にて。
 痛風になってから、ビールは控えているが、ついついプリン体の入っていない焼酎を飲む傾向が出てきてしまっているが、酒は少し入れないと、神経が休んでいかないので、ちょいと飲んでしまう。量はたいして飲まないので、まあ、大丈夫だろう。痛風発症以来、関節の曲がり具合が少し足りなくなり、足首が思うように伸びない。ストレッチを、なんだが、痛みが出て、どこまでやったらいいものか?さて。

 自宅に戻ってみると、ある小学校の教師から、教育の現場の状況について書いた葉書が届いていて、子供たちのからだと心の居場所のなさ、ボロボロさ加減が書き記されていた。
 まったく。
 子供ばかりではない。大人も身体がボロボロなんである。その感受性の鈍った身体を何とかしない限り、日本の問題は何をやっても解決するはずがない。なんせ基本である。根本である。そういうことを分かっていない人たちが多すぎる。教育の現場も文部だの科学だのと言っている省庁も政治家も皆、分かっていない。なんせ批評する人たちですら分かっていないのだから、当然とも言える。それほど感性が鈍っている。愕然とするくらい鈍っている。しかし鈍っていることには、自身、気付かない。人が鈍っていることだけは分かっても自分の鈍さは蚊帳の外。
 腰を上げる必要がある。実にヤバイ。
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by kikh | 2006-11-07 07:44 | 日々の記録
 
11/5 
 おっと、4日から小池ワークショップが始まった。
 今回は人数は少ないので、非常にやりやすい。人が多いと大変である。どうしてもそのバランスを取っていくのが、面白くもパワーを必要とする。

 今日もワークショップを13時まで。それから稽古。
 本気になって、みな、身体改造をしなければキツイだろう。けれど面白い味わいは持っている。作品とは何を作るか、であり、何を見せるか、である。見せられる何かが濃厚に出てくればそれでいいと思う。今回はパパ・タラフマラ若手がいかに踏ん張って見せるか、である。気楽に、なんてノンビリしたことは言っていられないが、ノンビリ、ガンガンに踏ん張って見せるよう努力に継ぐ努力でやっと、スタートラインに立てる程度なのだ。そこを認識せねばならない。

 僕は楽しくやっている。問題もあるが、楽しくやることが肝心だ。

 稽古後に仲島と申請書ミーティング。ううん。やっぱり文章がままならない。文章は相手の立場にたたにゃあ、いかんだろう、みたいな話をする。自分の立場で書いていても、さて、それが得かどうか、立場を変えてみたらすぐにわかるはずなんだが・・・・。
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by kikh | 2006-11-06 01:04 | 日々の記録
 
11/3,4 稽古尽くし
 3日。稽古。朝から稽古。夜、緊急制作ミーティング。
 4日。稽古。なかなか渋い。研究生がキツイことは重々承知しているが、研究生はどうもそのレベルで満足してしまう傾向があるようだ。出られているからいいのではなく、もっともっと更に更に高みに登っていく必要があろう。高みに登るにはどうしたらいいか?当然、その貪欲さが必要なのだけれど、貪欲さも力である。力がないと結局、弱くなる。

 人間というのは、実に弱い生き物である。みんな、自意識ばかりは強いが、その根っこは弱く、そして情けない。情けなさを日常的に感じる羽目に陥るが、それを脱却するには、実はあまり踏み込まないことが一番肝心である。しかし、それでは面白くもなんともない。僕は遊び感覚でガンガンに仕事に当たっていくことこそが、簡単な解決方法だろうと思っているけれど、なかなか人は遊べないものらしい。遊ぶためには、基準値を大きく超えた力量が必要で、それは天才的でなければ無理なのかも知れない、と最近思うようになりつつある。相変わらず、人間とはなんと厄介な生き物なのだろうと思えてならない。

 最近は、立ち食い蕎麦だの立ち食いパンだの時間がかからないカレーだの・・ばかりである。こりゃあ身体にいいわけがない。そんな食生活で健康を保てるほどの若さはないので、きちんと考える必要があると思っている。

 今夜は麻婆豆腐なんぞを食いつつ、南波に説教していたから、実に気分は良くない。消化にも悪い。言葉だよ、言葉、と言いつつ、話し出すのを待ち、いつまで経っても何も喋らないので、ギリギリしながら飯を食い、何か言い出すと、理屈などはまるでなく、ただただ、ずっしりと頭が重くなり、飯はまずくなり、ため息まじりに飯を飲み込む。自炊でもできる時間があればいいが、それもなし。困ったもんだ。
 なんでまあ、こんなに言葉がなくなったのだろう。不思議でならない。言葉は根幹である。言葉をなくせば、悩みも消えるはずがない。言葉がなければ、人生気楽とも言えるが、一方では解決策を見いだせない、同じところを堂々巡りするしかない、という結果を迎えるだけだろうと思うのである。意味は重要視するけれど、自分の言葉を持つことができない。やっぱりこれも身体が不在なんだな、と思う。身体の不在ゆえに、日本は自殺者も多いのだ。いろいろな意味があるが、自殺を解決するには心の問題をきれいに紐解ける言葉が必要なのではないか、と思うのである。
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by kikh | 2006-11-06 00:56 | 日々の記録
 
11/2 しばらくぶりの
 朝から会議漬け。夕方まで。
 
 夕方、しばらくぶりで静岡の鈴木忠志氏の舞台を見に行く。「シラノドベルジュラック」。
 様式美と皆、言っているとおりの様式美。鈴木さんは、どうも私とは対局のポジションに立つ演出家であることを再確認した。別に悪い意味でも良い意味ででもない。これが鈴木忠志という演出家の生きる道であり、私とは全然違うというだけのことだ。でも、たまに見るにはいい。確かなオリジナリティは強固である。

 終わってから、吉井、今尾としばらくぶりに飲む。10年ぶりくらいではないか?まったくだんだん変わっていく。そりゃあその通りだ。そしてそれでいい。だが、俺はどうも何年たっても変わらないみたい。終電まで。
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by kikh | 2006-11-05 22:36 | 日々の記録
 
青山円形劇場公演
 今日は青山円形劇場での公演。
 作品自体は、まあ、もう充分に熟成されているので、こんなものだろう、という感じ。けれど、やっぱり再演し、熟成していくのは、改めていいなあと思った次第である。もう相当数のステージ数をこなしてきている。来年も「三人姉妹」は世界中を動き回る。
 僕たちのあとにやった韓国の二組は、いかにも韓国という感じだ。文句を言うつもりはないが、もっと韓国定番みたいなものを破ってもいいのではないかな、というのが感想。
 それにしても、今回出演しているのはダンスフェスである。だが、ダンスフェスなんて意味があるのだろうか?ダンスなんてカテゴライズももう止めて欲しいと思うし、舞踊評論家なんて肩書きも止めて欲しいと思えてならない。そもそも表現の幅を狭くすることになんの意味もない。頭が固い人たちにはとてもいいのかも知れないが、バカバカしい限りだ。無限大をどう目指すか、しか僕には興味はない。だが、世間で言えば、無限大ではなく、限定こそが理解の源だとばかりに、相も変わらぬ連中がウヨウヨしている。しかし、本当にバカバカしい。

 今回のパンフレットにも、ある評論家が書いていた文があって、それを細かくは書かない。今の舞踊状況について語っているのである。しかし、今の状況を作ってきたのは誰か?まったく無自覚この上ないなあ、と思ってしまうのである。自分自身に責任の一端はないのか?あるだろう。いつでも自分は責任を取らない、そして状況を舞踊家に押しつける、そういう態度はひどくはないか。他人事みたいに語る人間の底の薄さ、プリンシプルのなさばかりが見えてしまう。人間は自覚し、責任を取るからこそ、その認識の上ではじめて先に進んでいけるのだ。違うか。

 新聞を見ると、総人口減少とある。ウワッ!分かっていたこととは言え、ついに来てしまった。人口減少の始まりが。これが加速級数的に減っていく。では、人口を増やせばいいかと言えば、世界的に考えるならば、人口は減少させねばならない。だが、ますますインドも中国もアメリカも増え続ける。パンクするのは目に見えていても、パンクに向かってまっしぐらである。人間は実にままならないものである。中途半端な知能がこういう状況を作ってしまっている。しかし、中途半端な知能こそが今は求められている。だから、まあ、滅びも仕方ないなあと思ってしまう。だが、それでもまっしぐらに進んでいくだけだ、俺は。

 公演後にNHKのディレクターの方と話をする。なかなか楽しかった。彼もインドは好きだという。僕は嫌いなのがすきなのだが、まったくもって面白い。インド人とは、これからガンガンに付き合っていかねばならなくなる。さすれば、なんとしても日本人は強くならねばならない。アキエックスで飯を食う。しばらくぶりに食い、やっぱりうまい。堪能。
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by kikh | 2006-11-01 01:31 | 舞台


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