★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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3/27
 朝、「シンデレラ」の映像ミーティングを行なう予定が、認識違いが起きて、非常に短時間しかできず仕舞い。やはり文字での再確認が必要だろうと思った次第。
 文字での確認をしろ、と言ったのは仲島に対して。
 朝起きて、そして夜寝る前に、きちんとその日のなすべきこと、終わらなかったこと、明日は何をすべきかを確認しておけばいいのに、と思うけれども、できない人に取ってはそういうことが非常に大変なことであるようだ。やはり、難しいのは習慣づけである。

 昼過ぎにセゾン文化財団に面談に行く。まったくもう、助成が決定したのは良いのだけれど、スタジオ助成だから、公演時期と助成対象時期がどんどん重なってしまい、結局、ほんの3日間、森下のCスタジオが使えるだけになってしまった。残念である。ヨーロッパ側との公演時期のやりとりをしている訳だが、公演時期の確定は、一夕一朝にはいかない。そして日本の場合は、まるで余裕がない中で、アーティストであると大手を振ってあるけるような状況でもないので、もうギリギリですべてを決定していくしか方法がない。実に苦しい。

 「ヒョッコ」稽古は続いていく。しかし、朝、本来は彼らだけで覚えておいてもらうはずの予定箇所が覚えられていない。これは大変。というより、結局、だから、なにもほとんど、進まなかった。ううむ。時間がない。
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by kikh | 2007-03-28 01:03 | 日々の記録
 
3/26 ふうむ
 なんでまあ、決まったことが守れないのか、としょっちゅう文句を言っている。
 言っても言っても変化しない。不思議で仕方がない。何も難しいことを言っているのではない。
 仕事ならば仕事のイロハをきちんとしよう、そうしなければ、他のことができても信用はされないのだから、イロハこそが肝心である、などと、そんなアホウなことを口を酸っぱくして言っているのだから、まったく言っている方が嫌になる。嫌になっても嫌になっても言うしかない。舅だろうがなんだろうが、言わねばならない。
 頭が悪いのか?と思うけれど、頭の問題というより、整理する頭脳の問題だ。整理できない人にとっては常に、いろいろなものが混濁化していて、そういう人ほど、いつでも悩んでいるし、袋小路に入り込んで行き先を見失いがちである。整理すれば、と思うけれど、見ると手帳にも書いているし、どうしたらいいのだろう。と思って、見ると、書いただけで満足する傾向があるのである。それじゃダメだ。

 「ヒョッコ」稽古がやっと冒頭部、まとまりが付いてきた。いやあ、大変。動きで突出している人がいないために、なかなか難しいのだ。しかし、なかなかみんな不気味でよろしい。単純な動きの積み重ねで面白いモノにしていく予定である。とは言え、あまり時間はない。少し焦る必要が出てきている。
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by kikh | 2007-03-27 09:52 | 日々の記録
 
3/25 ワークショップ
 昨日からワークショップが始まる。申し込んでも来ない方が数名いて、困った。結局、初日に来ないと、充分な説明ができないまま、次に移っていくので、あまり効果的ではなくなる。どうしても初日に、かなりじっくりと説明をし、基本的な考え、方針を示し、そして次へ移行していくという方法を取るからである。
 いつものことではあるが、今回は1日4時間、計4日間で簡単な作品を作る。身体への気づきをもたらすための作品作りではあるが、やっぱり根幹はからだである。その身体への意識がどこまで大きいか、それによって世界の見え方が大きく変わってくるはず。だから結構丁寧にワークショップを進めている。

 「ヒョッコ」は先日書いたとおりで、問題がクリアになった。あとは動きを作っていけばいいだけである。研究生の木野が、私と研究生や事務局との橋渡しをやっているが、実に丁寧で早いので楽。
 今日、本格的に、変更作業を行なってみた。いつも言うことだが、いかに捨てられるか、である。このシーン使わないんですか?好きなんですけど・・。みたいなことを言う人は多いけれど、そのシーンが実は全体で見ると、ダメなシーンということも多いのである。しかしなかなか気付かない。そしてダメと思ったら、それを惜しんでいてはいけない。即刻、捨て去るのみだ、そのようなシーンは。
 付け加えると共に、削ぎ落とす。それがとっても大切。
 
 今日、中野の甘味屋で売っていた玄米おにぎりを食って、びっくり。すごく美味い。玄米臭さも全くない。こりゃあいいと、これからはしょっちゅう購入することになるだろう。
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by kikh | 2007-03-26 01:15 | 日々の記録
 
3/23 久しぶりだ
前に書いてから6日が経過してしまっている。
どうもやらねばならないことが降ってくる。
同時に6日間で5冊くらい本を読んでいて、時間がないわりには、ガバガバと読書タイムも長かった。

なかなかP.A.I.の卒業公演演目「ヒョッコ」が思い通りに進んでいかない。そこで、昨日、今日と分析し、だいたい問題が分かったので、次の稽古からはスムースに進んでいくだろう。やっぱりかなり真剣にならないと厳しい。こちらが真剣にならないとやっぱりダメなんである。面白いものだ。そして音が大きく問題の根っこにあった。

台本書きも同じで、いろいろなことをしながらは、なかなか書けない。書くときは、人と会わないというのは重要である。人に会わずに、頭の中にいろいろなモードがあってもいいけれど、僕の場合は、どうにも人に会って、そこにエネルギーを使ってしまうとダメなようである。

先日、中川俊郎さんとミーティングをする。中川さんにはWDに出てもらっているし、Birds on Board でも音楽を担当してもらっている。相変わらず奇妙な生物状態であったが、ここで、中川さんは、なぜか下町兄弟の「Heart of GOLD-百年の孤独」に出ている姿を見て、一気に気に入ってしまい、彼がパーカッションだと良いなあ、と言いだした。なので、下町さんにも声をかけることになってしまった。実現したら、相当面白いことになってくるだろう。音楽家で、舞台上に出たのは、実は今までに中川さんと下町さんしかいないのである。それも現代音楽家とラッパーである。

この二日間で、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」構想をしようと思っていたが、やることが多すぎて、何もできなかった。
10日前に「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」のアイデアのため、CDを購入しようとしたら、日本では手に入らない。アマゾンもHMVもタワーレコードもすべてチェックし(おっと、もちろんサイトである。サイトの方が遙かに多い)ダメだったので、アメリカアマゾンを覗くと、ザクザクであった。しかし、その中の5枚注文しようとしたら、3枚は日本へ輸出はしていないとかで、ダメであった。その残りの2枚が昨日、一昨日と2日にわたって届いた。直輸入である。本当に便利になった。自宅で情報さえ確かであれば、アメリカからの直輸入ができてしまうのである。

昨日、今日と稽古がなかったので、誰にも会わないようにしていた。そしてずっとカフェ回り。自宅にいるより遙かにカフェの方が仕事が進むのである。一日中、数件のカフェを巡り歩く。これでも良いのだけれど、もっと良いのはやっぱり場所を変えることである。今度、考えられる時間は4月半ばである。この4月半ば、どうしようか、と思っている。
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by kikh | 2007-03-23 23:05 | 日々の記録
 
3/17 ヒョッコ稽古
 動きが、まだまだ。
 どうも皆のリズム感が気になって仕方がない。
 みんな、各々が勝手なリズムを刻んでいくので、バラバラになっていく。気持ち悪い。
 そうして、皆ができるようになるのを待っている、そういう待ち時間があるのが、なかなかシンドイが仕方がない。
 確かに下手なんだが、みんななかなか濃い。濃い顔というのともちょっと違う。変。だから、それを活かせれば、と思う。

 20時半に終了後、ミーティングを3つ。

 どうも手首が痛い。鈍痛がずっとあるし、手首を曲げると痛い。たかが手首なのに、手首ひとつが動かないために、ずっと憂鬱。
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by kikh | 2007-03-18 01:30 | 日々の記録
 
3/16 歌舞伎&マーガレットレンタン
 しばらくぶりで歌舞伎を見る。
 歌舞伎とは言っても、舞踊中心のもの。
 これを見た限りでは、先日、亀治郎さんが歌舞伎の重要な要素と言っていた「豪華絢爛」はほとんどなかった。近くで見たら、衣装は豪華なのかもしれないが、それはよく分からない。
 基本的には歌舞伎も能楽の身体も、さほど違わないと同じく亀治郎さんが言っていたので、そういう点も見ていたけれど、やっぱり大きく違って見えた。まず、声。それから素振り。もちろん身体の動きの基本は同じと言えば同じ。しかし、枝葉がまるで違う。

 それからマーガレットレンタンのトイピアノ演奏と映画があるというので、アップリンクへ行く。
 もう狭いスペースにギュウギュウで室内は息苦しくなるほど。マーガレットとは13年前に一度だけ彼女の家のパーティに誰かと一緒に行った記憶がある。誰か?は誰だったかさえ記憶にない。ACCのラルフサミュエルソンに紹介されたのかな?と思っていたら、目の前にラルフがいた。ビックリ。ACCはAsian Cultural Councilの略で、僕も13年前にACCグラントでアメリカに4ヶ月くらい滞在し、ラルフはそこのディレクターで、今でも同じくディレクターをやっている。思い浮かべた途端に目の前にいたものだから驚いたのだ。それも普段はニューヨークにいる男が、だ。
 マーガレットのトイピアノ演奏は楽しかった。映画もまあまあ良かった。マーガレットのピアノというか、音楽に対する姿勢には強い共感を持った。作曲家の佐藤ソウメイさんとのトークはまああってもなくても。人間はおもしろいモノで、舞台上にふたりで座り、話を始めた途端に、人の姿が浮かび出てくる。なかなかの恐怖。マーガレットの一直線の気持ち良さと、佐藤さんの人間としての揺れみたいなものの対比が面白い。佐藤さんがダメというのではない。非常に生な部分とピュアな部分が見え隠れするのが、ちょっと不気味で、マーガレットよりも佐藤さんをじっと見つめてしまうことになった。
 ジョンケージの話は興味深かった。マーガレットが日本ではジョンケージはすごく有名で、演奏会もよく開かれていると言うと、佐藤さんが、そんなことはまったくない。まったく演奏をする人も聞く人もいない、と言う。ではなぜ有名なのか?
 ここからは推測だが、ある時期、ニューヨークの先端が日本にどどっと流れ込んできた。その中の作曲家代表がケージだったのではないか、と思うのである。つまりそれは知識として知っているべき、先端ニューヨークの姿だったのではないか?ケージはケージとして知られたのか?あるいは他の先端アーティストとともに知られたのか?は定かではないが、ケージの音楽よりもケージの音楽的手法やカニングハムとともに先端舞踊を司った人間として知られたような気もする。定かではない。

 しかし、ピアノならピアノをどんどん突き進めていく姿はマーガレットもケージも鬼気迫るものがある。やっぱりアーティストの基本形をきちんと留めていて、すがすがしい。
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by kikh | 2007-03-17 10:49 | 日々の記録
 
3/15 痛み
 右肩と左手首が痛い。
 理由は左手首は、たぶん古傷だと思う。右肩は五十肩だろうと思っていて、稽古場に行って、本職の鍼灸師に聞いたら、これは五十肩ではない、と言われる。では何だろう?何の覚えもない。手首が痛いと、自転車に乗れない。痛みがないとわからないが、痛みがあると手首で振動を吸収もしているのが、よくわかる。

 痛みのために睡眠が浅いせいか、すぐにウトウトする。カフェに入って、仕事をしようとしてもダラリダラリと寝てしまう。まずい。

 「ひょっこ」稽古。みな、疲労でグッタリといった感じ。
 それから、挨拶がきちんと出来ない人たちが多い。挨拶は基本である。自分たちが先に来ているからと言って、挨拶をしないのはまずいなあ。

 そう言えば去年、我が母校の高校に、演出家とはなんぞや、という話をしに行ったときに、起立、礼、着席とやられ、うむうむ、まだ高校にはこのような挨拶が残っていたか、とびっくりしたのだった。田舎の高校生たちはかわいいもんだ、と思ったけれど、最近は、きちんと挨拶もできない連中が実に多い。挨拶がきちんとできないために、どれだけ損をしているか、もっと意識的になった方がいいと思うのである。
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by kikh | 2007-03-16 02:26 | 日々の記録
 
3/14 素直さ
 長くこういうことをやっていると、素直な人間がどれだけ得か、ということを常々実感する。

 素直でないならば、それはそれで良いが、際立った能力がなければ、下手をするとただダメなヤツとしかみなされない。だから、そういうきちんとした意識を若いときに植え付けられた人間は何と人生、得するだろうと思う。「際立った能力」と前述したが、これは天才的なレベルに能力のことである。ちょっと良い程度では、人はその程度のことは評価しない。みんな、自分に甘いから、ちょっと良いと褒められたいと思うだろう。しかし、素直さの前では、ちょっとした能力なんて簡単に消し飛んでしまう。

 しかし、素直であるためには、頭の良さを必要とする。頭の悪さも必要とする。直感力が優れていると言う意味でのアホウさ、だ。変に頭が良いと思っている人の中にはかなり直感力のニブイ人も多い。きわめて柔軟な感性と頭脳を持っている人でないと素直にはなれなかったりするから厄介である。
 日本の場合、社会性を持ち、社会適応力が高く、その限られた範囲でのみ、頭の良さを測ったりするから、しょうもないガチガチ頭脳が、頭が良いとみなされる傾向はあるのだけれど、本当の頭の良さとはそういうものではない。

 本日は、朝から延々喋り通し、午後2時まで。ホッと一息付いて、稽古場へ。
 研究生の稽古の方法を探っている。
 あまり卒公まで時間がないので、ガンガンやらねばならない。しかし、覚えが悪いから時間ばかりがかかってしまう。そして、意外にみんな、素直に見えて頑なである。
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by kikh | 2007-03-15 00:42 | 日々の記録
 
3/12~13 2009年度まで
 P.A.I.卒業公演「ひょっこ」の稽古が始まる。
 「ひょっこ」はヒヨッコとヒョッコヒョッコという音と、ひょっこりひょうたん島の最初の部分の「ひょっこ」の掛詞みたいなものである。
 大人と子供の間の行き場のなさ、激烈さ、激情、単純、死・・・こういうことを描いてみたいと思っている。たった20分~25分の作品である。思うところはいろいろある。
 
 まあ、みんな上手くないので、頭を抱えはするが、さあて、どうなるだろうか?

 外務省に行ったり、ひとり頭を抱えて、金の算段をしていたり、2008年度と2009年度の計画を考えていたり、とそんなことばかりをしていた。

 今夜は今、休団中の熊谷に会う。
 ふうむ。舞台をやっていくのは楽ではない。熊谷は生活を立て直したいと言っているが、生活の立て直しも生活をきちんと行なうのも、すべては続けながらではないか、と僕は思う。中断は一時的には良い。が、再会したら元の木阿弥では意味がない。ならば、状態を維持しつつ、方法を見つけることだろう。僕は考え方ひとつである程度は何とかなるだろうと思うのである。これで結婚し、妻子を養う必要に迫られたりしたら、状況はずいぶんと違うだろう。考えるべきは実にたくさん増えてしまう。
 だが、まだ大丈夫だろう。ならば、もっともっと邁進することでしかあるまい。

 なんでも「Birds on Board」に出ていたオマンソが、韓国で今、ブレーク中で、韓流ブームに乗って、4月には東京でファンの集いまであるらしい。素晴らしい。実にいいヤツだからな、あいつは。
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by kikh | 2007-03-14 01:03 | 日々の記録
 
3/11 手首
 昔、倉庫引っ越しの時に7枚くらいの巨大パネルが倒れてきた。そのとき、パネルの下にパパメンバーのひとりがいたので、つい手を出してしまった。もちろん手首は耐えられず、身体も耐えきれずにぶっ倒れたわけだが、そのとき、重みで手首が腕にのめり込んでしまった。手首がグシャッと押しつぶされた状態になったわけだ。病院に行くと、グチャグチャです、と言われ、レントゲン写真で見ると、本当に砕け散っていて、これはひとつひとつ骨をつなぎ合わせる手術をしないとダメですね、と宣言されたのである。痛みに耐えつつ、びっしょりになりながら、倉庫近辺にあった大学病院から、もっと自宅近くの個人病院に行ってみると、確かにヒドイ、まず、ダメだと思うけれど試しに骨を元に戻すことをやってみましょう、とその医者は手首をギュギュッと引っ張って、そしてまるで粘土細工をいじっているように、こね回したのだ。すると奇跡的に、手首が元に戻ってしまった。
 ここまでうまく行くのは奇跡に近いです、と医者。確かに、あのグチャグチャが、その後、手術もなにもしないまま、今までずっと来たのである。もう6~7年も前になるだろうか?
 その手首が昨日から痛み出している。今までも腕を付くと痛いので、手首をあまり曲げすぎないようにはしてきた。今までも何度となく、痛みは襲ってきている。そして何も感じなくなる。こういうことがずっと続いていくのだろう。今日は、その痛みがしばしば襲ってきて、嫌になった。

 なかなか人は思うように動かない。
 人が動いてくれないと、舞台を作っていったりはできないのである。が、実に壊れやすいのが人間だ。壊れるから人間だと言うこともできる。自然の中に放置していたら、自然の掟の中で、死ぬことはあっても、狂うことがないのが動物たちである。そんな話をした。言い方を変えれば、人間をやっているというのは、実に大変で、すぐに頭がおかしくなってしまう。だからこそ、その妄想を妄想外の部分に拡散させてやることが肝心である。

 ヴィジュアルブックを作ろうとしているのだが、どうにも進行が遅い。うむむ。遅い。実に遅い。人にはいろいろな歩み方があるだろうが、もう少し、ガンガン進めて欲しいものだと思う。あまり言って壊れられても困るので、静かに見守っているけれど、時間との勝負でもあるのだ。
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by kikh | 2007-03-12 00:48 | 日々の記録


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