★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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5/30 愉快と不愉快
 今日は朝から気分が悪い。
 理由ははっきりしていて、みんな、言っていることとやっていることの差がありすぎるからである。まったく、本当に「信用」をどう考えているのか?と、本気になってしまって、頭が痛い。
 というのは、僕には考えられないからだ。
 たとえば、これこれの仕事を4月頭には上げます、と言ったとする。言ったからには、理由もあれば、計画もあってのことだろう。それがどんどん延びる。延びる。延長して期限が来ると、常に、済みません、これが最後、と言い続ける。しかし、その延長がまた続く。なんでこういう仕事ばかり平気でやるのだろうと首をひねる。腹が立つ。いや、腹が立つというよりも、こちらの頭がおかしくなったのではないか?とどうも居場所がなくなってくる。
 言葉がフワフワと異常に軽い。一時しのぎの言葉を連ねられて、そして穴に突き落とされる気分を味わう。これは悲惨だ。僕は一度や二度の失敗は仕方がないと思う。しかし、同じことを繰り返す神経は理解できない。女性の場合はそれに涙が加わったりする。なんと安っぽい涙だろうか。軽い涙。軽い言葉。軽い「絶対」。いつからこんなに言葉は軽くなったのか、と俺自身が居場所がなくて、自分自身がいたたまれなくなり、異邦人になる。だからとても憂鬱だ。
 まったく不愉快過ぎて言葉も出ない。

 愉快編。
 作曲家の中川俊郎さんと話。昨日の中川コンサートは実に面白かったと、演助の木野から聞いてはいたが、中川さん自身もまんざらではない様子。昨日はパパ・タラフマラ全体会議があって、行けなかったのだった。ともかくヘンテコだったようだ。
 そして、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」のチェロ演奏家が見つかったと言う。バイオリンも見つかったが、女性だったので、男性に変えようと思ってます、と言っていたが、いやいや、変な格好や、変な化粧を嫌がらずにやってくれるならば、女性でもいいですよ、と答える。なかなかバイオリンの演奏家の女性に、アホウのような格好、アホウのような姿態でいてくれ、と言っても、難しそうだ、と思ってしまうのである。なんでも楽しんでくれる人が一番好ましい。
 中川さん、実に楽しそうに話をし、こちらまで浮き浮きとした気分を味わった。

 事務所にいると詩人の谷川俊太郎さんからパパ・タラフマラについてのコメントがファックスで送られてきた。池野は難しい、と言っていたが、僕はとても分かりやすい文面だと思った。クリシェとかメタファーなんて横文字が出てくると苦手になる人が多いのだが、クリアな文章だ。それから、ちょっと前に送られてきた作曲家のポールドレッシャーの英文を、前に誰かが訳した文面を見て、ヒデエと思って、翻訳し直す。ポールの文面も素晴らしい。谷川さんにしてもポールにしても、実に的確だ。やっぱり批評家と違って、一流の詩人や音楽家は、グサッっと真ん中を突いてくる。切れ味鋭く、真ん中を射抜く。だが、そういう見方を批評家はできない。不思議なほど出来ない。周辺部ばかりグルグルと回っている感じである。

 それから作家?の、三浦展さんに「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」アフタートークの対談を仲島が頼んでいたが、そしたら、なんでも三浦さんは僕と大学時代に同じハイデガーを読むゼミで一緒だった、とのこと。やべえ、と、なんにも覚えていない。なんでも秘書の方にそう語っていたとのことだった。ましてや、ハイデガーなんぞはまったく忘れ去ってしまっている。とは言え、未だに、存在と時間のことをわずかばかり思い出したりするし、結局、舞台活動の凄みは、この存在と時間をどう扱うかということだったりして、ウワッ!亡霊のようにハイデガーは付きまとっているなあと思ってしまった次第。

 
 もう一点。
 自宅に戻って、テレビを付けると、推理ドラマをやっていた。このドラマも、東京とブエノスアイレスを舞台としたドラマだったので、ついつい見てしまった。半分くらいだが。
 ところが、使われている音楽がピアソラ。いやあ、本当にピアソラを使うのは難しいと感じてしまったのだ。なぜなら、音楽の凄みにまったく映像とドラマが追いつかないのと、変にセンチメンタルになってしまう。タンゴの難しさはそこにある。音楽がすでに感情を伴いすぎて、見ている方が鼻白んでしまいがちになる。なんと浮ついた音楽だろうと感じた。これじゃ、困るのだ。まあ、テレビドラマ自体、安易に作られ過ぎているのが問題なのだが。
 
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by kikh | 2007-05-31 00:39 | 日々の記録
 
5/29 いろいろと
 朝はP.A.I.の授業。
 話を手短に、と思っているが、どんどん長くなってしまう。
 というのは、やっぱり伝えなければならないことがいっぱいあるからだ。まったく、話し足りない。舞台を行なうということは、困難に直面するということでもある。困難に直面しつつ、それでも常に前向きに進むためにはどうしても強い気力を必要とする。
 では、人は常に強い気力を維持できるか、と言えば、当然そんなことはない。
 シンプルに生きれば維持できると思うが、人間というのは実に厄介で、シンプルには程遠い。それが人だから仕方がないのだが、もっとシンプルにならないと苦悩だらけになってしまうだろう。

 そう言えば、松岡農相が自殺した。
 なかなか強面の政治家で、いかにもいろいろとやっていそうな雰囲気まる出しの、変な田舎のオッサン風の男であったが、自殺してしまった。遺書がいくつも残されていたそうだから、自殺に違いないのだろう。しかし、実際は知らないが、うさんくさい雰囲気が強く漂っていたから、事務所光熱水道費用だけの問題ではないと思う。
 だが、この人も権力欲だの、金銭欲だの、シガラミだの、いろいろなものに縛られていって、シンプルから程遠い生活をしていたのだろうと思わせる。そういう欲求や関係性が深ければ深いほど、複雑怪奇になっていく。さすれば、当然、苦悩だらけになる。
 
 研究生も、シンプルな考え方をすればいいのだが、人は放っておくと複雑になる。シンプルから遠くなり、どんどん深みにはまる。悩む。そのうちに、悩みはますます人を蝕んでいく。どうしたらいいかわからなくなる。そうしないために、ついつい役人的頭の使い方を欲するようになる。なぜなら楽だからだ。
 ついつい楽な方法を選ぶ。しかし、楽、というのは、活性化から遠いことが多い。楽であればあるほど、人生自体はつまらないものになってしまう。

 まったく、人生とはままならぬ。

 それから、ミーティングを行ない、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」出演者の写真撮りを行なう。みな、いい顔をしている。終わってすぐに再びミーティングを行ない、飯を食いつつ南波と話。ここのところの事務所内清掃の動きを見ていると、南波も少しは成長したなあと思わせる。その「少し」「わずか」の成長はきっかけなので、これからの南波は楽しみになってくるだろう。舞台も頭だからだ。やっとスタートラインが見えた感じだ。しっかりとな、南波よ、と言いたい。
 おれもだんだん父親化している気分だ。
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by kikh | 2007-05-30 16:17 | 日々の記録
 
5/27 掃除掃除掃除&酢、だ!
 朝、4時50分に起き、6時15分までに事務所入り。
 即刻、掃除開始。
 昨日まで4日間もかけて、資料整理を行ない、まあ何とかなるだろうと思ってはいたが、まさか夜の7時半までかかるとは思ってもみなかった。
 夕方4時頃になると、みな不機嫌になってきて、僕が、そろそろ休憩でも取って、と言うと、あと30分で終わらすんですよ、と強気。休憩なしで突っ走しる、と言う。どう考えても無理なのを、こうやって強気に攻めて、不機嫌を覆い隠そうとしていたが、これは判断力が狂いだしている、というに過ぎず、まあ、しょうがねえ、疲れるまでやるしかないのだろう、と思っていると、案の定、6時ころになるともう、休憩も取らずにやっているものだから、ぐったりとして、ブツブツ言う者、腰掛けて動かない者・・・・等々、どんどん効率が悪くなっていく。
 人というのは面白い生き物である。常に状況を冷静に捉えられればいいが、本当にそういう人は稀である。状況は感情にあり、だ。だから10分でもいいから休憩を取り、英気を養って、それから一気にやった方がいいのである。

 とは言え、分からないでもない。確かにしんどかった。
 しかし、南波、池野、とともに4日間、片付けに専念した身としては、まあ、この程度ではまだまだ、ってかんじだ。

 事務所は実に広くなった。そして実にさっぱりした。実に環境もよくなった。
 やっぱり仕事場はこうでなくてはならない。仕事は掃除から始まるのである。
 
 今回は東京の事務所チームと倉庫チームに分かれていたが、倉庫チーム、夕方7時頃には東京戻りとの連絡が入った。たぶん、東京滞在チームの方が目一杯状態だったのではないか、と勝手に思わぬでもない。しかし、向こうも大変だったに違いない。
 ともかく、みなさん、お疲れさまでした。本当に疲れたねえ。
 
 で、そのあと、ミーティングをやった後、帰り道道、酢の匂いに誘われたかのように、寿司屋に入ってしまった。いやあああ、しばらくぶりの寿司はうまかった。そしてメチャクッチャ、安かった。もちろん回転寿司なんかではない。
 ああ、三日に一回くらい寿司を食いたいものだ。酢はいい。疲れたからだにはしみ通るようだ。
 それにしても適切な食い物はなんと素直にカラダに入り込むのだろう。こういう疲れ切っているときに、肉などはまず食いたくならない。酢。そう酢。酢だ。ガリを食っているだけでも、満足した気分になる。
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by kikh | 2007-05-27 23:59 | 日々の記録
 
大相撲
 大相撲は国技である。
 国技だから日本人しかやっていけないわけではない。だから、別にモンゴル人だろうが、アメリカ人だろうが、まったく構わない。そして、今の番付を見ると上位陣は実に外国人力士に覆われ、日本人は大関にやっとしがみついているような状況で、たぶん、多くの大相撲ファンは、なんとか日本人力士が横綱にならないものか?もっと強い大関が出てこないものか、と思っているだろう。
 しかし、朝青龍や白鵬等々のモンゴル勢に、今の日本の力士が太刀打ちできるはずがないように思う。まったく顔つきが違う。元ヤンキーの千代大海にしても、ふてぶてしさにおいては、とても朝青龍にはかなわない。白鵬に関しては、将来の大物力士の風格さえ今では漂っている。その大物感は朝青龍にはないが、調子に乗ったときは、どこまでも突っ走れる博打打ちのような感じである。
 これは、今の日本が、そして日本人たちがどのような生活を送り、どのような意識で物事に臨んできたかが、そのまま表れている状況そのものだと思うのである。
 自然の中で培った身体は強い。そして精神もしなる感覚を覚える。経済的に豊かでなければ、さらにもっと上を向きたいと思う人間もそれなりに多くはいるだろう。そこには純粋培養ではない豊かさがあって、だから、格闘技のような運動には向いたカラダになっていくのだろうと思う。
 あの大相撲を見ていると、つくづく身体とは何かを考えさせられる。
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by kikh | 2007-05-26 09:52 | うひょひょ!
 
5/25 チラシ、ポスター&パンフまみれ
 昼過ぎから、延々と終電まで、ほとんど昔のチラシとパンフレットにまみれる。
 こういう整理作業は、実はなんとなくやろうとすればバタバタとできてしまうが、丁寧にやろうとすると大変だ。ひとつひとつの作品のチラシパンフレットを整理していくのだが、作品数で45作品、それが公演単位となると、もうものすごい数になっていく。海外も加わるとなにがなにやらわからぬほどだ。
 僕は全然、感慨深くなったりはしない方で、完全に次から次へと昔のことは忘れてしまう。良いことも悪いことも忘れる。まあ、いいじゃないか、と思うような質だ。本来は、これではまずいこともあるだろうが、しかし、まあしょうがない、済んでしまったことは、であるし、良かったことは記憶の片隅に留めて、次々ともっと良いことはないか、と探しているウチに忘れていってしまうのである。
 思えば、昔は、いつ何時にどういう公演をやったか、逐一、覚えていたものである。何年何月にはどんな公演があって、その前後もよく覚えていたものだ。最近は、もうすぐに忘れる。そういうことを木野に言うと、へらへら笑いをした後で、横目でジロリと見て、年ですねえ、とせせら笑い、口元を歪める。年?いや、違うのではないかな、情報量の問題だろうねえ、などと言う。昔に比べると、考えなければいけないことが数倍、数十倍もあるのではないか、というような状況になってしまっているのだから仕方ないだろうと思っている。
 ただ、もちろんそれだけではない。たぶん、過ぎ去ったことはもうどうでもいい質なのだ。過ぎ去ったことを追い求めても仕方がなくて、やっぱり新しい、違った世界、異なった環境、異なった作品、異なった文化、そんなものを常に求めているような気がする。
 やれること、やれるだろうと思っていることも限りなくあるのだから、忘れるのも致し方ないし、忘れることは大歓迎だ、と思わぬ節がないでもない。

 昔のチラシやポスターやパンフレットを見ていると、ああ、しちめんどくせえ、全部投げ捨ててしまえ、と思いたくなるが、それではやっぱり痕跡は残せないから、いちおうは痕跡を残しておくことも大切だと思い直して、じっくりとそれら資料を整理していくことをやるのだが、とても虚しい気分になったりするのだ。
 でも、資料を見ていると、本当によくこんな大変な思いをここまでやり続けているものだ、と我ながら感心したりする

 
 最近、とても困るのは、メールが届いたり届かなかったりすることで、いちいち確認していられないし、そこでプロバイダーに問い合わせてみると、ノートンだの、マカフィーだのといったウィルスソフトの問題だと言われる。それでいろいろいじってみるが変わらない。
 ううむ、困ったぞ。
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by kikh | 2007-05-26 00:44 | 日々の記録
 
5/24 予定がまるで狂った
 昼過ぎまで、多摩美で授業。 
 みな、熱心で良い。なかなか良い。が、もっと熱心でも良いと思う。だって、たぶん、みんな舞台のことはあまり知らないと思うからだ。もっともっと知ろうとしてみたらいい。
 
 そう、今日も、Birds on BoardのDVDを見せて、それで単に疑問に答えるということをしたのだが、本来、分からないことだらけだろうと思うのだ。装置についても全然、分からなかったりするだろう。でも、たぶんまだまだ恥ずかしさが先に立つのが日本人。人前で、質問するなんて、という気分もたっぷりあるに違いない。
 でも、恥かけば、と思うのだなあ。恥は恥ずかしくはない。恥は立派だ。と、思うくらいの気持ちの方が大切なんだよね。

 今回、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」には多摩美の学生も7人ほど手伝ってくれることになっている。学校の授業をおざなりにしないように!!と、昨日も田中真聡さんは学校の先生らしく、学生としての本分を説いていたが、しかし、プロと真剣に渡り合えるというのは、とっても素晴らしい経験で、それ以上の経験があるとは僕にはなかなか思えないんだな。俺だったら、まあ、なんとかしてやるから、必死になって、真剣にやってみろ、と言っているだろう。要は、+をいかにして引き出してくるか、だ。P.A.I.の生徒もよく外に出て、作品に出ていたりするが、ううむ、難しいなあ、と思ってしまうのは、出られればいいのではなく、本来はどういう形で、いったい誰とやっているか、こそが大切だと思う。トモダチ同士で楽しくやっているだけではなかなか意識の向上は見られない。

 昨夜は、なぜか、疲れているにも関わらず寝付けなかった。頭の中を雲が覆っていくようで、普段は味あわない感覚であった。

 事務所に少し寄るつもりが結局、22時半ころの列車に乗るまで中野にはいる羽目になってしまった。倉庫がグチャグチャ。ものが溢れている。ともかく捨てること。捨てることこそが肝心だ。
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by kikh | 2007-05-25 00:14 | 日々の記録
 
5/23 「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」初スタッフMTG
 午前中会議ふたつ。
 昼から、事務所内の整理を行なう。事務所内にも小さな倉庫があるのだが、ここからいろいろな資料を取り出す。もうとにかく捨てないとダメ。にっちもさっちも行かない。捨てる捨てる、次々と捨てる。パンフやチラシが山ほど。まあ、ホント、45作品もやっていると溜まっている量は半端ではない。それに加えて、これが倉庫にも山ほどあるのである。捨てる。もう捨てるに限る。

 夕方から、まず衣装をOUT SECTとミーティング。そのあと、中川、堀越、藤井さん三人と音楽ミーティング。堀越君は、今でもときどきやっているそうだが、山下洋輔トリオのドラマーで、かつ、小川=菅谷で組んでいたバンド、イストベッドのドラマーでもあった人だ。最近はよく田中真聡と組んでドラムを中心とした公演を行なっている。藤井さんは「シンデレラ」でやはり、サウンド的音楽を担当してくれた人だ。

 19時より、さて、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」のスタッフがほぼ集合しての初ミーティングをスタジオで行なう。
 菊地、田中、美術参加者たち、音楽の三人、衣装、照明、音響、制作・・・・等々、ほぼ全員集合してのミーティングとなった。

 スタッフミーティングはいつものことではあるが、これが最初の出だしという感じだから、いい緊張感があって良いのである。
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by kikh | 2007-05-24 23:55 | 日々の記録
 
5/22 P.A.I.他
 初ではないのだが、本日、P.A.I.の授業をきちんと行なったという意味では、今年度の初授業ということになる。
 とにかく、毎年祈るのは、最初だけにならないで欲しいということだ。最初はみな、目新しくて燃えているが、そのうちだんだんきつくなってくる。それがパターンだ。しかし、もうコンスタントであることがいかに重要か、それを認識しなければいけない。ところがただのコンスタントであるだけでいいはずがなく、いかに毎日発見するか?その意識が大切なのである。
 
 「ヒョッコ」という作品を卒公でやったときに、次のような歌を歌わせた。

ハッケン。ハッケンハッケンハッケン!!
ラララ・・タイムイズマネー
ハッケンはハッケヨイノコッタ
ハッケンはナンソウサトミハッケンデン
ハッケンはアタマを良くしていく
ハッケンはハッケンハッケンハッケン!
ハッケン。ハッケンハッケンハッケン!
ラウンドミッドナイト
アタマかち割って、ハッケンデン!
ラララ・・見えたぞ、見えたぞ、見えたぞ、ギャオ
ハッケン。ハッケンハッケンハッケン!


 という歌。

 ハッケンをするのは子供と決まっているわけではない。毎日、意識して外側を見れば、もちろん内側でも発見できるものは、限りなく転がっている。しかし、だんだん常識が邪魔をし、発見を妨げていく。だが、発見することは非常に大切。そしてその意識を持つことが大切。僕らは常に脳の開拓者だと言うことを忘れてはならないのである。

 稽古後、国際交流基金舞台芸術課へ。
 課長の金井さんと話をする。そのあと、経理部の部長の田口さんがわざわざ訪ねてきてくれた。ご挨拶。なぜか、そういう初対面の場所で、ロシアの売春の話になってしまった。田口さんはロシアにいたことがあるらしいが、僕の強烈な印象はロシアのまあまあのホテルのロビーは売春婦だらけ、これにはビックリした、と言ったところ、外国人が多いホテルほどそういう傾向があるのだとか。もちろんシンガポールのゲイランの話もする。ゲイランは、これは社会見学のつもりで一度は見た方がいい。あれほどの売春婦の人口密度。芯から驚くに違いない。
 その後、今度は、なんでも出世したという前の経理部長で、今は理事扱いの参与になった久保さんに会いに行く。久保さんもなんとも楽しい方だ。
 それで今度は通路で今の芸術交流部の部長になった本多さんに会ってしまった。久保さんも本多さんもBirds on Boardのときは、韓国でとてもお世話になったのだった。本多さんはあれ以来だったから、もう4年ぶり。しかし、いつの間にか、部長になっておられた。ありゃりゃ、と出世するものである。

 今、いろいろな問題があるので、そのままナカジマとミーティング。
 終わって、パソコンに向かっていたら、そのままスタバでウトウトと1時間くらい寝てしまっていた。

 それにしてもみんな、出世していくものだと感心した日だったなあ、今日は。
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by kikh | 2007-05-22 23:58 | 日々の記録
 
5/21 旧島津邸に行く
 今度の「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」イメージ写真撮りの場所について、思いを馳せている。

 今日は、清泉女子大学内にある旧島津公爵邸に行ってみた。
 こちらは今でも大学の授業の教室としても使われているとのことで、よって、旧前田邸のようなよそよそしさはなく、なんとなくだが、生きている建物という感覚を持った。なんでもそうで、保存するのが目的である場所というのは、やっぱり古いだけの建物になっていて、それは生き生きとはしていないのだ。

 ペナンやマラッカの建物が面白いのは、今と昔を同時に感じさせるからである。
 滲み出る古さ、そしてその艶めかしさは、やっぱり使われていないと出てこない。
 僕は文化というもの、すべからく同じだろうと思う。常に重要なのは、境界線に立つこと。境界線に立って始めて見えてくるものがある。つまり、それは両方の立場であったり、意識であったり、同時にその難しさが、である。
 伝統だけに拠っていては見えてこないものがたくさんある。しかし、伝統というか、歴史を意識しないものは、本当は弱いのも事実だ。その視点を常に意識しないで、いいものなど作れるはずがないとも言える。
 そして、同時にその両方の神髄を探ることも大切だ。

 夜は事務所に行って資料の整理を行なうが、実に大変。不要なものを取っておいても仕方がないが、なかなか捨てられない、と、みな、取っておく。が、その8割は不必要なものばかりである。25年もやっていると、いかに捨てるかが問われる。捨てずに済ますことができるような財力があるはずもないから、捨てなければいけない。でも、実は簡単なのだ。あったことすら気付かなかったものはまったく不要と言えるということだ。滅多に、いやあ、取っておいて良かった、などというものには巡り会わないものである。

 昔のアンケートがざっくりと出てきて、わずかばかり読んでしまった。まったくアンケートというのはしばしば実に不愉快にさせてくれる。だからほとんど読まない。
 WDのアンケートで、ある24歳の若者が、私に向かって大人になれ、と言っているのである。青い、とか書いている。何が青いかは書かない、だってさ。もっと大人の舞台を見て勉強しろ、とまで言っている。まあ、いろいろな人がいるが、しかし、もう少し謙虚になることを覚えないとねえ、24歳で、よくぞ、分かったような顔が出来る、と感心するが、24歳の若者だからできるとも言える。若者は元気がよくなくてはいけない。しかし、常に、と言っていいほど、批判するときは匿名である。なんでだろう。きちんと署名すればいいのに、と思ってしまう。
 でも考えてみれば、パパ・タラフマラの舞台とは解釈が自由なだけに、青く見えることもあるだろう。そういう意味では良いのかも知れない。しかし、解釈に限定性を与えないのは実に難しい作業だ。人は解釈の縛りが欲しいというのが一般的かもしれない。だが、解釈とは所詮、相手から与えられた内容説明なわけであって、そんなものは半分どうでも良いはずだ。しかし、難しいものだのお。
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by kikh | 2007-05-22 01:20 | 日々の記録
 
5/20 アランプラテルカンパニーはスゴイか?
 午前中は橋本&南波の「三人姉妹」稽古。
 橋本は昨日より少し良くなったくらいか。とは言っても、たぶん7月には間に合うのではないか?このまま、目一杯努力し続けられれば可能かも、と思わせるものが出てきている。歌のパートはまず関口に追いつかないだろうが、存在の滑稽さの良さが出てくれば、面白い三女になる可能性がある。そして声もずいぶん良くなってきている。

 以前、この欄で、僕が橋本に対して書いたことに対し、ガッカリした、みたいな意見があったけれど、あらゆる可能性にかけて不満やいらつき感や感心したり、さまざまなメッセージを橋本に対しては、送っているつもりである。読んでいる人がガッカリしようがなんだろうが、橋本が奮起する材料になってくれればそれでいい。そのためには長、中、短期、の、いつにどのようなメッセージを送るか、である。もちろん、読者がガッカリすることもあれば橋本が落ち込むこともあるだろう。だが、こういうことは短期では絶対にやってはいけないけれど、中長期的にはとても効果が上がる可能性が高い。そういうことに賭けるしかないのである。

 終わってすぐ、アラン・プラテルカンパニーの公演を見に行く。イェヒョースンが出ているからだ。
 ううむ、ダンサーの技量はスゴイものがある。しかし、僕にはどうも、だ。ヒョースンも、もっと使い道があるのではないか、と感じた。要は世界ダンスビックリ人間、そして、ダンス百科事典を見たような気にはなるけれど、まあねえ、というのが正直なところ。これがダンスの最前線?なのか?ちょいと理解しがたい。演出は粗い。もっと精妙な作りにすればいいのに。でも、こういう作品が、パリのテアトロデラビルやロンドンのサドラーズウェルズなど、世界の主要な劇場でかかり、絶賛されているというのだからなあ、なぜだろう。
 いや、ダンサーを見れば分かる。
 ただ、スゴイダンサーは金をかければいくらでも集められる。金の力か、と思ってしまうのだが、もちろん本当はそれだけではない。
 まずはヨーロッパのキリスト教社会が背景にある作品だから、そのリアリティがないと分かりにくい。宗教は一種の狂気だとも、狂気を逆手にとった救済であるとも言える。だから、その狂気を背景にした文化意識が持てないと、大きな隔たりは出てくる。当然だ。
 加えてマネジメント力。結局、マネジメントに勝るものは、この社会、そうそうありはしない。もちろん、そんなものはクソッ食らえだ、と言ってみたいが、マネジメント力に尽きはしないにしても、でもね、限りなくマネジメント力。
 いいものと方々から思わせていく力。
 
 ヒリヒリと痛くなるとか、いろいろと絶賛の言葉は読んだが、痛くもならなければ、感動もない。たぶん、舞台の作り方が、非常に観念的に感じてしまった。

 そして、昨日、ヒョースンが言っていたのは、リハーサルに半年かけ、それからもう114ステージやってきていると言う。2時間の相当ハードな作品である、人によっては。今年の11月からは4-5ヶ月のオフもある。ううん、こういうことが成り立つのは、ヒョースンではないが、いかに制作が強いか、だ。マネジメント力の強さこそが命である。リハに6ヶ月。ううん、羨ましい限り。だが、本当に今日の作品にリハで半年も必要だろうか?とも感じてしまうが。

 終わってから、朴寿奈にフィアンセを紹介される。最近はこんなことがとっても多い。
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by kikh | 2007-05-20 22:27 | 日々の記録


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