★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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8/30 頑張るということ
 「頑張る」という言葉が僕は嫌いだ。と、何度もこの欄に書いている。
 しかし、すぐにみんな、頑張る、頑張れ、と口に出す。頑は頭が固いという意味であり、頭を固くして張り通すのだから、たいしていいことはない。
 ただ、それは日本人の精神性には合っているのかもしれない。つまり、精神論。一所懸命、頑なにやり通すと、なんでも可能になるというような。一所懸命は大切な精神性だ。しかし、頑なはいけない。頑としていいことはなにもない。
 ところがみんな、「頑張れ」「頑張る」と大合唱。

 「頑張っているから」良しとするのも、我々の悪いところだ。
 どうも「頑張っているのに」認めてくれない、とか。あるいは「そこまで頑張っているからいつか良くなるさ」とか。ダメなんだ。頑張っちゃ。頑張るだけではなにも起きない。
 頑を取らないと、良くなんてなっていかない。良くなってもそれは、技術、ロボット的な良くなり方でしかない。
 
 今日、ザッと50分が形になった。
 しかし、まだまだ雑だ。難しい。稽古を休むというのは、結局、身体に馴染む時間が少なくなっているということで、いかに染みこませるかが問われる。
 ぼくがよく言うのは、結局、稽古は一度飽きて、つまらなくなって、そこからしか始まらない、ということである。それがスタートラインだ。でも、たいてい、そこに行く前になんとなく形になったつもりで終わってしまう作者たちが多いようだ。
公演を見に行くとそういう風景によく出会う。そしてそれが面白い時もある。新鮮なうちは良いのである。しかし、そういう新鮮さはすぐに冷める。だから、冷めたときがスタートラインなのである。

 終わってから、エスクアイアの取材。からだと漫画の話。

 美術の打ち合せを飲み屋で。田中真聡氏は昨日、インドでの展示を終えて戻ってきた。これからが大変になってくるだろう。
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by kikh | 2007-08-31 08:29 | うひょひょ!
 
8/29 リズム
 稽古。
 リズムが出てきだしている。一昨日の通しでリズムは確認できたので、進行に重きを置く。しかし、なかなか進んでいかない。一日に2分程度は進めたいと思っているが、2分進めるのは容易ではない。が、ほぼ予定通りに進んではいる。もちろん進めなければならないから、計算尽くで進めている。この予定通りにいかないと楽団との合わせに支障が出だすのである。

 ぼくはさほどに、予定したことができないというのが嫌な質である。しかし、まあ、みんな予定は未定だ。未定は予定ではないはずなのに、予定は未定である。そして視野が狭い。もっともっと広い視野を持って欲しいものだ。と、切望する。
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by kikh | 2007-08-30 01:02 | 日々の記録
 
8/28 連携を図る
 午前中、茂木健一郎さんとの対談。パンフレットのための対談で、茂木さんとはもう3度目になるか。相変わらず楽しかった。が、日本を思うとなんとも気が重くなってくるのは一緒で、この国を本気になって変えていこうとしなければならない、と思う。
 茂木さんは諦めているようだったが、ぼくはまったく諦めてはいない。変わる時は一気に変わる。今のままではどんどん悪くなる一方だろう。しかし、突発的になにかが起きるに決まっている。そのとき、きちんと種まきがされていたかどうかだと思うのである。種まきがあれば、芽くらいは出ているもので、芽が育つのは土壌さえ豊かになれば早いものだ。
 しかし、日本の人々は、保守に安住するのが実に得意になってしまって、その上で惰眠ばかり貪ろうとしている。年を取って鋭角的でいる人間などきわめて少数派だ。だが、とんがらずになにが面白いか。
 なにごとにもメソッドという、ありがたい、それが出来上がれば、飯の種には困らないというものがある。しかし、そんなものは壊すに限る。壊して壊して壊し続けて、はじめてなにかが発見できる。発見したらまた、壊す。壊す果てに生み出されるものがあるだろうが、再び壊す。それがメソッドというなんとなくの形を作ると、壊せなくなるのが人だ。だからメソッドなんて自分で言ってはいけないのである。思ってもいけないのである。思ったら捨て去ることを考えるべきなのである。
 それがおいらの生きる道さ、くらいの気概が必要だろうと思うのであるが、しかしまあ、みんな脆弱だ。その脆弱さの現われが、情けないメソッドのようなものを生み出すのだ。

 茂木さんには同士扱いをされたが、確かに横の連携も大切だろう。
 横の繋がりを作ることで変えられることもたくさんあるのではないか。

 今日は稽古はなかった。だが、稽古がない日の方が忙しい。まったく忙しい。
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by kikh | 2007-08-30 01:01 | 日々の記録
 
8/26 漫画と稽古
 急にある漫画家の漫画について(それも5種類の)書評を書く必要が出てきてしまい、読んでいる物も読んでない物もあって、かつ、読んでないものの中には30巻を超えるものまであって、もう頭がクラクラしながら漫画漬けになりつつ、そして稽古に励んでいる。
 
 原稿がだから、今は全部で8本も抱えていることになり、この稽古も佳境の時期に、なんという無謀なことをしているのだろうと思っているが、それでもなんとか進行させている。
 だが、読むだけでも大変で、原稿までには全然至っていない。果たして読めるのか?書けるのか?おまけに稽古だ!!うおっっ!と頭を抱えていたら、茂木健一郎さんとの対談もすぐ目の前に迫っていた。もう時間がない中で、やらねばならないことが次々と降ってくるようである。

 稽古は半分を超え、その整備をしているが、予定よりやはり1分くらい遅れている。ぼくはまず予定から狂うことがほとんどないので、予定通りに近いけれど、しかし、まだまだ詰めが必要だ。細かく、細かくやっていけば、またたく間に時間は過ぎ去ってしまう。

 まだまだリズムがダメだ。
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by kikh | 2007-08-27 01:10 | 日々の記録
 
8/24 台詞
 台詞パートを進行させる。
 リズムが悪い。悪い理由ははっきりしていて、それは、次々と変転に次ぐ変転、まるで多重人格者のように雰囲気を変えて行かなくてはならないからである。
 動きも目まぐるしい。よって、音楽と動きと歌と台詞、そして美術が渾然一体となり、進行させるのであるから、なかなかやっている方は大変だろう。一時も休まる暇がない、と言える。

 今日は稽古場が木場だった。木場近辺をぶらつきつつ、向かったが、潮の香りが心地よかった。
 
 それにしても延々とテンションが高い状態が続いている。

 また、新たな仕事が入りそうで、恐怖だ。この状況の中で、さて、可能だろうか?というような仕事である。
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by kikh | 2007-08-24 23:59 | 日々の記録
 
8/23 しばらくぶりに
 昨日は、再び冷房のない稽古場。
 稽古場に行く前に、扇風機を購入してしまった。もう頭が呆け呆けになるんである。タオルを二枚。一枚はぬらして足下に。一枚はぬらして同じく頭に乗せ、ゆだりまくっての演出であった。

 今日は久しぶりに全員が揃ったため、非常に順調に進んだ。やっぱり全然、進行スピードが違ってしまう。もちろんそれまでに代役を立ててやっているのだけれど、代役は所詮代役でしかなく、その代役が果たしている役割は大きいのは重々承知であるが、やっぱりその当人で当て書きをし、役を振っているわけだから、当然、その方がいいに決まっている。

 タマオは、とても優れたダンサー、パフォーマーだと思う。病気さえ克服してくれれば、なんだが。小川にはイライラさせられるけれど、この人の伸び方は完全に放物線のカーブを描き、最初はノロノロ、あとで一気に爆発していくというタイプで、人によってまるで違うから面白い。池野に、ひょうきんさが出てきて、次第に自分の殻を破りつつあるし、菊地、橋本、南波もまた、面白い味が出てきている。

 今日で37分がザッと形になった。しかし、まだ半分にも至っていない。ザッとやっているわけではなく、細かくぼくの場合、動きをつけ、台詞をつけ、歌をつけていく。だから音楽も精妙さが求められる。実に中川さんの音楽が良い。
 さて、残り半分強である。この残り半分強を来月17日までに形にする必要があるので、結構、焦っている。
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by kikh | 2007-08-24 00:24 | 日々の記録
 
8/21 気象
 8/18から涼しくなると天気予報で言っていたし、週間の温度変化予想を見ても、ほぼ毎日、29度~30度くらいで推移する予定だったはずが、結局、連日35度。
 これで明日の稽古が冷房なしと知って、もうウンザリしている。
 それで慌てて南波さえが、調査しているが、そりゃあ無理でしょ、今から。結局、人というのは自分がその立場に追い込まれないと分からないのである。暑いよお、凄まじいよ、と言っておいたにも関わらず、押えてしまって、今になって慌てても遅いんである。

 今日は稽古休み。相変わらずこういう日はさまざまな作業に勤しまなければならない。まったく困ったものである。忙しいなんてもんじゃなくなる。

 本も読みたいがなかなか読めない。細かい作業をしているとあっという間に一日が経ってしまった。もう夜ではないか。そろそろ日が変わってしまう。
 多摩美の学生の採点をし出す。相変わらず、ものすごい量だ。ウンザリするが、それでもひとつひとつ丁寧に読んでいく。
 あれほどなにを考えているのか分からない素振りを見せつつも、意外に考えているのである。
 それが面白い。今日は半分まで。あとは毎日少しずつ採点して、なんとか今月中には終わらせたいものである。

 やりたかったことの半分も終わっていないが、明日の稽古に備え、体力を温存しなければ、と打ち切ることにする。
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by kikh | 2007-08-21 23:50 | 日々の記録
 
8/20 稽古はなかなか進まず
 今日の新聞に、中国の国家戦略としての文化輸出に関して出ていた。
 中国ではソフトに関しては輸入超過であるそうだ。それに対し、中国文化を海外に向けて発信する必要性を認識し、海外には中国の学校、孔子学院が180校もあるそうである。文化とは、簡単ではない。非常に時間がかかる。かかるが、強く根付いていく。ぼくがつくばで行った作業はそういう作業であった。だが、目先主義に捕らわれると、簡単に潰すことができる。費用対効果が上がらない、無駄だ、となる。経済認識だけではない文化認識こそがいかに大切かを知っている人は少ない。それは温暖化対策でも同じで、みな、その必要性は認識するが、しかし、どうやって実行するか、そこまで思い至る人は少ない。常に他人事である。
 そこでまた、思い至るのが朝青龍のことだ。親方が悪い、と言われている。しかし、朝青龍である。親方がどんなに言ったとしても、たぶん聞かなかっただろう。言う、言わない、指導する、指導しない、の問題ではない。それは元々の資質の問題でもある。個性教育もそこが難しい。常識を簡単にわきまえて、その範囲で動き、そしてそこから大きく成長できるのは非常に優秀な頭脳を持っている人間だ。しかし、どんなに優秀でも、感性が勝る人間にはそういうわけには行かなくなってくる。逸脱する感覚、指向性が常に働くからだ。通常、ほど良いバランスを持った人間はきわめて少ない。たいていはどちらかに傾いている。
 朝青龍はそのバランスが崩れた感覚的な獣であるから、あそこまで勝ち進めたとも言える。それが、外国に来て、自分自身を保ちつつ、強くなって上へ行く、勝ち続けるという命題を成し遂げていった朝青龍の姿なのだ。朝青龍が勝手気ままに振る舞って、とは言っても、モンゴル人である朝青龍は決して日本文化にすっかり馴染んだわけではない。感覚派朝青龍としては、その血はきわめて強くモンゴル的、あるいはモンゴルで培った感覚的野獣の血を押えようとしても押えきれないなにかがあるはずなのだ。それが文化である。だから創氏改名のようなバカなことを別の文化の人間に強制しても、それは実に表面的な変化としか成りえない。
 それでも少しずつ変化する。その変化のスピードを高めようとするのが、文化をいかに創っていくか、という認識である。

 さて、今日の稽古は、まったく冷房のない場所であった。床が温められ、椅子は座るとズズッと熱い、熱が籠もって、グラグラである。
 あらた真生が病気から回復せず、かなりの遅れが出ている。今回は彼女の病気休みが多いため、予定通りいかず、のちのちたいへんになってきそうである。病気ならば仕方がないとはいえ、やっぱり健康管理には充分に気をつけて欲しい。
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by kikh | 2007-08-21 13:07 | 日々の記録
 
8/18 色気
 どうも疲れが残ったままで、冷房の中で仕事ばかりしていると、次第にからだがだるくなってくる。ヤバイと思っていたら、本当にからだが重くなり出した。
 
 ワークショップ後に、TB書簡稽古。しかし、途中から頭が痛くなり、からだもずしりと重さが増してきた。こりゃあ風邪か?マズイ。だが、自分だけはほとんど休みも取らずに、どんどん進める。最後の方はズキズキと痛んでいる。

 とにかく今日は早く寝なくては、との思い。

 新聞で瀬戸内寂聴さんが、もう85歳であることを知る。ビックリした。85歳で、尼さんであるが不気味な色気が漂うのはなんだろう、と思っていた。と、その瀬戸内寂聴の文章に里見敦の話があり、里見敦に、ある酒席で昔、彼女の長襦袢に多情薄情と書かれたと書いてあった。そうだ、その多情薄情が、年を取って、内在する深い色気となって現われている、とは。
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by kikh | 2007-08-18 23:35 | 日々の記録
 
8/17 休みではあるが・・・
 稽古が休み。だが、他の業務も休みにしたいと思ってはいけない。と言うより、こういう日にすべてやっておかないとまた、稽古やらワークショップやら始まってしまうととんでもなくたいへんになる。だから、今日はずっとデスクワーク。
 
 「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」には箪笥が出てくる。その箪笥のデザインの概要を画にしてインドにいる田中真聡さんに送る。彼は今、インドで展示を行っているはずだが、さて、どうなっただろう。前のメールでは、まったく荷物が到着せず、相当いらいらしているようだったけれど。
 こういうやりとりひとつひとつを取ってみても、つくづく便利にはなったものだと思う。簡単に映像などはメールでやり取りできるし、音楽だって同じだ。しかし、やっぱりダイレクトコミュニケーションはきわめて重要である。それなしには絶対に進められない。

 わずかにテレビをつけると、朝青龍のことをああでもない、こうでもないとやっている。
 親方が悪いとか、朝青龍はなってないとか、追い込み過ぎだ、とか・・・である。しかし、問題はなにか?その根幹を問う必要があると思うのである。簡単に言えば、心技体を言う相撲とは、あくまでも日本文化の中で培われた様式美である。だから、そこにはその様式美をきちんと認識できない他文化に育ち、それを矯正できないレスラーを、単に強そうだから、と言って入れてはいけないのである。チョンマゲを結えば相撲レスラーになるのではない。しかし、相撲協会は、紆余曲折の末なのだろうが、入れてしまった。それは協会の目先主義が招いた結果であると言えるはずだ。ならばどうやってその責任を相撲協会の連中は取っていくかだろう。朝青龍もやんちゃすぎとは言えるが、決して朝青龍の問題ではない。その朝青龍を入れ、認め、横綱にしてきた相撲協会やらなにやら、取り巻きどもも大きな問題なのである。みんなでなんとか金づるを見つけ出してと思ってやって来たことであったはずである。それを親方が悪いとか、まったく見当違いも甚だしい。外国人レスラーを相撲に引き込んだときから、文化の相違をどうやって超えるかは、当然、懸念されたはずだ。だが、それをたぶん先送りして、問題が発覚するまでは、見て見ぬふりをし、隠し、ただ強さだけをみなで求めてきたはずではないか。それはなんでも同じ姿である。日本ではまったくそうだ。なんでも先送り。そして問題が発覚してはじめて対処しようとする情けなさ。オシムは「あれだけ極めた人を追い込むなんて・・」と語ったらしい。しかし、ここで言う「極めた」はなにを極めたのか?勝利を極めたのか?勝利を極めてOKであるならば、もっともっと門戸を開けば良い。チョンマゲなんて滑稽な姿は止めた方が良い。大相撲レスリングセミファイナルとか言ってやった方がよっぽど良い。
 しかし、ここまで来て、純血主義もないだろう。そもそも純血なんてことがあるはずもない。ならば、もっともっと細分化された誰にでも分かる明確な規則で対処するべきだろうと思う。誰が見ても納得できる、いわゆる法律を相撲協会が作るべきだ。さすれば、問題になどならない。それを変な心情やら日本的文化で縛るからわけがわからなくなるのだ。

 それにしても今日は文章を書き続け、であった。一日中、パソコンに向かい合う。たまに外に出ると凄まじい暑さが襲ってきた。昨日より今日の方が暑いくらいだった。実際はどうだったのだろうか?
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by kikh | 2007-08-17 23:34 | 日々の記録


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