★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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9/29 劇場入り
 本日、アサヒアートスクエア入り。
 この空間は劇場ではないため、使い勝手は良くない。しかし、浅草駅から近く、ブラブラ歩くにも気持ちの良い場所だ。アフターにいっぱい、なんてのも最高の場所だろう。
 今日は、僕自身は、数本の原稿があるため、浅草近辺のカフェをハシゴしていた。アンジェラスという古い喫茶店があって、大昔に一度来たきりであったが、しばらくぶりで入ってみる。面白いのはこういうカフェには若者はまったくいず、中年以上ばかり。今日はどうにも疲れ切り、原稿を書かねばならないのに、まったく頭が働かない。ボウとしたきりで、アンジェラスの時間の襞に飲み込まれていくかのような感覚がずっと続いていた。
 「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」という作品もまた、時間の無時間性のようなものを表わしている。時間があるのかないのか?時間は正転してるのか、逆転しているのか?時間の襞のなかに嵌っていると、自分が同化していくかのようで、さらに頭はモノ化するような感触にヒタヒタと押し寄せられていた。
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by kikh | 2007-09-30 09:30 | 日々の記録
 
中川インタビュー
ウェブマガジン、カーソルにパパ・タラフマラ大特集のNo.3として中川俊郎インタビューが載っている。

http://www.kersol.net/contents/500047/50004701

是非、ご覧ください。
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by kikh | 2007-09-29 22:52 | 日々の記録
 
9/28 ラスト稽古
 横浜急な坂スタジオでのラスト稽古となった。
 
 昨日、27日はピアノ&チェロ、バイオリンも入っての稽古であったが、どうもまだチグハグさが出ていて、中川さんは稽古をすれば大丈夫です、とは言っていた。みな、プロだから心配はしていないが、少々、パフォーマーの慣れが心配である。慣れないとどうしても余計な神経を配ることになる。慣れは非常に重要だ。音楽にも美術にも、である。

 美術家の森村泰昌さんがアートトップでの小池博史特集のためにパパ・タラフマラ、小池コメントとして出している文章を読んだ。その中で、衣装や美術について触れている。(10/20発売号)さすがだ。やっぱり間を読み取る感性に優れていると思わざるを得ない。これが批評家になるとこういうコメントは絶対に出てこない。
 さて、森村さんの文章は実際に読んでいただくとして、なにが言いたいかと言うと、パフォーマーと衣装、パフォーマーと美術というのは、実は相互に均等な関係にあり、しかし、その均等さを感じさせるには、パフォーマーの慣れが絶対である。自在に操ることを求められる。その境地に至るには、実は時間がかかる。

 音楽家や美術家は間に合えばいいと考える節があるが、舞台においては音楽、美術が単独で間に合っても厳しいのである。それを血肉化するための時間がパフォーマーに必要なのである。それが音楽をさらに生かし、美術を生かすのである。

 さて、本日の稽古。
 昨日の稽古を見に来ていた僕の青空時の演助をやっていた横手祐樹が来ていて、彼から感動した、とのメールをもらい、かなりホッとはしていた。なぜなら出来自体は全然良くなかったからだ。このレベルでは厳しいが、しかし、根幹はある程度は固まっている。大丈夫だろうと思っていた。

 ラスト稽古は衣装もつき、問題点も多々あったが、それでもかなり納得できるレベルまで来ていることを確信した。公演時間は85分を超え、86~87分くらいだろう。
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by kikh | 2007-09-29 22:45 | 日々の記録
 
9/26 休み
 今日は稽古休み。
 作品作りというよりも、演出面でのプランは、僕はほとんど計画通りに進んでいく。病気や怪我は予定外だが、それも多少は組み込んである。しかし、その「多少」が多少でなくなったときは、かなり苦戦を強いられるが、一番怖いのは、パフォーマーへの負担が増してくることである。
 
 今回も演出プランの進行はほぼ予定ピッタリで進行したが、美術はかなり遅れが出てしまった。そこで最も怖いのは、パフォーマーが慣れないことだ。慣れないと怪我をする可能性もある。ましてや細かな中での演出を行っていると、どうやっても負担はパフォーマーに来る。
 まだ箪笥が出来上がらないので、さてどうしたものか、である。27,28日でともかく、慣れるしかあるまい。想像力を豊かにして、慣れる。それしかないのである。

 朝はミーティングをいくつかこなし、昼過ぎから国際交流基金に行く。初めてお会いすることになると思って行ったら、昔、一緒に飯を食っていると言われ、オロオロしてしまう。昔、会ってますよね、なんて寝ぼけたことを口走ってしまった。顔はよく覚えているが、名前を忘れる。
 そう言えば、昔、3年間P.A.I.にいた男に卒公の舞台上で名前をど忘れし、ええっっと、と口ごもっていたのを相当、根に持たれたことがあったが、本当になかなか名前と顔が一致しなかったり、名前が出てこない。他は大丈夫だが、名前だ。

 横浜に美術進行を見に行く。
 その間を縫って、原稿書き。
 
 もうバタバタだ。

 と、家に戻ると母親が10枚くらい僕の子供の頃の写真を送ってきていた。アートトップに載るらしい。いやあ、恥ずかしい。子供の頃、どんな顔だったか?なんてまるで忘れている。僕はまったくと言っていいほど、懐かしがるところがないので、写真なんて見ることもない。自分だと思うとビックリする。と、同時にたいして今と変わっていないのにも驚く。ゲゲッ、俺じゃあねえか、まったく、とすぐ分かる。
 進歩がない。進歩しない。なんにも変わらない。まあ、退歩していないだけいいだろう。
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by kikh | 2007-09-27 09:34 | 日々の記録
 
9/25 舞台は難しい
 舞台は難しいというよりも人間は難しいと言った方が良いかも知れない。
 いつものことだが、本当にデリケートで、下手をすると簡単に壊してしまう。
 40歳を過ぎた頃から、人は壊れるものだというのを実感するようになったが、昔、確かに僕は壊し屋で、人はボロボロになって、やっと次に行けるものだと思っていた。僕自身は、決して自分自身が強いとか、そんな風には思っていなくて、だから自分が基準であり、僕のスタンダードに当てはまらない人間は、どうしようもない存在と見下すというか、どうでもいいと思っていた傾向があり、だから、相手に対し、どこまでも過酷になれたし、自分にもその過酷を課すところがあった。
 今、思うと、よくこんな風でパパ・タラフマラは存続し得たな、と思うけれど、当時はまったく分からなかった。分かりたくもなかった。自分が表現したいところへの到達意欲の方がはるかに強かったと言って良い。

 まあ、10年でずいぶん違う見方ができるようになったものだと思う。

 本日の稽古では、それを思い出した。昔だったら、相当腹を立てていただろう。だが、パフォーマーの状態を知りつつ、どういうノーツを言えばいいかを考えるようになった。
 それでも、飯を食いつつ、あるパフォーマーと話をしていたら、急にオカシクなり、からだが引きつってきたのでビックリした。すぐに収まったから良かったが、難しいのは、相手が僕の場合、多くの人が無言になる点である。無言になり、なにも言わないというのは、一番の混乱をこちらにもたらす。どうやって解決し、どうやって相手とのコミュニケーションをしたらいいかまったく分からなくなる。そもそもアーティストなんて、そういう奇怪さを抱えているもので、通常のコミュニケートができると思う方が間違いでもある。

 今日の通しは、実にやかましかった。気張りすぎだ。衣装が入り、スタッフがみんな見に来て、だから、身体に力が入りまくる。身体に力が入っていいことはなにもない。頑張って良いことは何もないのである。

 気楽に、一所懸命。だ。
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by kikh | 2007-09-26 17:46 | 日々の記録
 
9/23 僕が9歳の頃
 先日、岡本太郎のことを瀬戸内寂聴が書いていた。そのタイトルが、「獣のように呻き走った」だったかな。唸った。今、獣のように呻き、走れる人間がどれほどいるだろうか?
 自民党総裁選を見るに付け、まったく話にならないほどの世襲制が進んでいることに頭を抱える。麻生か福田か、どころではない。小泉、安倍と来て、次は福田、となると、この党はもうダメだ、と思った方がよい。岡本太郎だって、二世と言えば二世で、だからダメだとは言わない。しかし、面白いなあと思うのは、顔つきを見てみればよい。吉田茂と麻生太郎、福田赳夫と福田康夫、どう見ても器が違う。福田康夫の顔は、所詮サラリーマンの顔である。吉田茂も福田赳夫も妖怪が入っている。
 政治家に呻き走られても困るが、しかし、精神は一緒だ。獣のように、とは、結局、突き動かされる情熱のことだ。そして情熱とは結局は愛のことである。薄っぺらい愛のことを言っているのではない。
 芸術家だって、政治家だって、相手にするのはまったく違うが、別種の魑魅魍魎である。そんな妖怪に対し、安倍晋三では、確かに荷が重かっただろう。政治家を人間と思ってはいけない。裏の裏まで見透すことができる妖怪でなくて、本来なら勤まるはずはあるまい。サラリーマンでも勤まる首相なんて、あってはならないことだ。

 宮本徳蔵という作家がいることは知らなかった。もう80近くなるようだが、昭和14年9月のことを新聞に書いていた。単に彼が9歳のとき。9歳のぼくは昭和14年9月になにを体験したか?ということを綴っているだけだ。だが、歴史が凝縮され、そこには宮本さん自身の思いが淡々と、しかし強く書きしたためられていた。こういう淡々としつつも、強い思いを感じさせる文章にはハッとさせられることが多い。年齢の生む技だろう。

 「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」稽古は、今日も楽隊入り。音楽スコアもほとんど出来上がってきた。これでもう一日、音楽稽古があるから、なんとかなるだろう。
 中川俊郎さんは、終わってから、「こんなに音楽を書いたのは実は初めてなんですよ」と言う。普段は、3分とか、10分とか、そのくらいの時間を唸っているのに、1時間以上も作ったなんで、これは修行です。いやあ、楽しい修行です、と言って笑っていた。堀越君も良い笑顔だ。
 作品の詰めに入っている。最後まで仕上がり、あとは精密作業を行うだけだ。
 今日の稽古で、やっと皆の顔が変わりだした。そうでなくてはいけない。稽古は、待つことも必要である。演出が行うことの非常に重要な要素として、いかにして高めるか、ということがある。ただ単にプレスしているだけでもダメなら、プレスしないのもいけない。つまり、時間を読むこと。今、その場で見た感想を言うのなら誰でもできるが、時間を読むことができなければ演出などできないのだ。時間を付加しつつ、ものを見る必要。

 ともかく、獣のように呻き走るか、とあれからずっと納得している。
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by kikh | 2007-09-24 08:32 | 日々の記録
 
9/21 本来なら休み
 かなり疲労が溜まっていて、ダラッとしていたいところを、無理矢理朝から打ち合せ続き。
 午後には、アートトップのインタビューが2時間半も続き、それから横浜へ行き、美術の動きを見て、そして再び中野に入って、打ち合せ。結局、ほとんど休憩なしで動いた。いや、美術を見ている最中にほとんど意識が跳んでしまって、ウツラウツラ状態であったから、その間は少し休憩をしていたか。

 なんとも目まぐるしく、喋りまくりの一日であった。おおお・・・・疲れた。本当に疲れた。
 
 アートトップでは、昔からのことをいろいろと聞かれ、そう言えば、と昔を思い出したり、自分が考えていることを確認したりした。日常、ほとんど考えないことばかりだし、ましてや昔を懐かしがる気持ちはまったくないので、こういうこともたまには楽しい。

 それにしても話をすればするほど、日本はどうなるのか?という気持ちでいっぱいになってくる。暗澹たる思いに浸されることになる。精神的タフさが、これからどんどん要求されるだろう。もちろん脆弱な人も多いが、そうではない芽を持っている人たちもたくさんいるはずで、ならば、その人たちをきちんと育てることをしなくてはなるまい。
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by kikh | 2007-09-21 23:35 | 日々の記録
 
9/20 改良
 今日、一分縮める。
 こういう作業がこれから地道に続くことになる。
 
 天井高のあるスペースを借りて、そこで高い場所を使う稽古をする。これが最後の稽古だ。
 で、こういうことをやっておかないと危険きわまりない。可能な限り、安全を確保することが肝心である。なによりも安全。安全が第一で、そしてそれになれる作業が大切になる。

 みんな疲れの色が濃厚だ。小川は明日から香港に三日間。別のコンサート出演のために、移動。
 しかし、これからが本番となる。これがやっと最低の出発点として出発できるわけだから、楽しくしかなっていかないだろう。深める。そう、どこまでひとりひとりが深められるかにかかってくる。

 終わってから、菊地、南波、橋本と話し。ううむ。自分をもっともっと変えて欲しい。
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by kikh | 2007-09-21 10:59 | 日々の記録
 
9/18 バンド入りの興奮
 バンド入り稽古。
 まだ全曲、スコアが書けているわけではなく、よって数曲は録音ピアノで再生する。

 ある曲をバイオリン奏者の伊藤さんは、こんな難しい曲を弾いたことがないと言う。確かに難曲だろう。しかし、面白い曲だ。これがガンガン、ばっちり合った状態で聴けたら最高に面白いに違いない。

 おまけに、今日、バンドの面々全員が一同に介する最後の日であるから、ここで合わせねばならない、ということで三回も通した。軽通し二回+一回。パフォーマーは相当にきつかっただろう。よくわかる。スタッフでやっているだけでもシンドイのだから。

 最後までを三回。なんとかラストまではできているが、まだまだ詰めが必要である。とは言え、骨格はキッチリと出来上がっているから、まあ大丈夫だ。
 
 作品としては、あとはいかに緩急を付けられるかにかかっていると思われる。
 やり過ぎもまたダメだ。
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by kikh | 2007-09-19 13:56 | 日々の記録
 
9/16 ひとつの集約点
 今、「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」の最後の集約点に当たる箇所を作っている。
 これはかなり大変な箇所で、相当な細かさと奇妙なリズムに身体が支配される箇所となる。
 見た目にどこまで分かるか分からないけれど、やっている方は、気分が悪くなってくるとか、頭がクラクラしてくるとか、いろいろ言っている。しかし、人はそれに慣れると、別にどうということもなくなってくるのが常だ。人の感覚は、自分が思いこんでいる以上に大きな許容力があるのだ。
 だから次々と難題を与えていく。悲鳴を上げる声が聞こえるが、その悲鳴を糧にしてさらに、上乗せしていく。

 終わってから、アートトップのインタビュー。今度、雑誌アートトップで中特集として小池博史特集が組まれるとのこと。だから、これから何回かインタビューやら写真撮影やら、原稿書きやら出てきそうでちょいと怖い。時間との勝負である。
 今日は、私の作品を振り返るという話で、それをずっと語っていくが、こういう振り返りがあると、確かにいろいろなこと、たっぷりとやってきているなあ、と改めて思ってしまう。しかし、いつもなにか足りない。そんな気分だけがずっと引きずり、今でも全然満足行かず、いや、違う、やりたいことは次々と出てきて、溢れかえっしまい、それを考えただけでも大変になる。

 あるパフォーマーがパパ・タラフマラの作品に出演するのは、命を削ると同じことで、そのくらい大変な作業だと言っていた。しかし、僕はいつも思うのだ。命が豊かになると考えること!削ると考えたら、やっぱり削れていく。ではないのだな。大変さや忙しさや苦しさは、楽しさに繋がり、楽しさは滋養を与えるのである。
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by kikh | 2007-09-17 11:49 | 日々の記録


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