★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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2007年大晦日
 さて、大晦日。あと少しで新年だ。
 
 ほとんど思い出すということがないので、一年の締めくくりに僕自身、何をしたかだけ、総括しておこう。
 
1~2月  「三人姉妹」北・南米ツアー
4月     P.A.I.卒業公演にて「ヒョッコ」演出・「春の祭典」監修・演出
5月     「三人姉妹」シンガポール公演
7月     「三人姉妹」フィリピン・マレーシアツアー
10月    「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」東京公演
10~11月 「三人姉妹」東欧・ロシアツアー
11月~12月 「Ship in a View」&「三人姉妹」アメリカツアー

 とまあ、こんな具合に動いてきた。
 ツアー以外でも4回くらい海外には出ている。半分近く海外にいた。
 
 面白かったのはなんと言っても「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」公演。
 生バンドだったのが、凄く面白かった。

 そして、やっぱりエポックメイキングだったのは「Ship in a View」のBAM公演である。
 帰ってきたら、吉井から「オレがやっても松山がやっても全然ダメだったから、感慨深いですよ」と連絡があった。そのくらい実現するのが難しいのが、BAMである。
 なんでもBAM公演の後、ニューヨークに残ったのが数名いて、全員がさまざまなところでNYのアーティストたちから声をかけられ、絶賛されたと言う。嬉しい限りだ。ぼくが戻ってきてからも何本もの嬉しいメールをNYから受け取った。

 今、パパ・タラフマラでは妊娠ブームと言っていいほど、妊婦がいっぱい。みんな舞台に乗っていたからたくましい子供たちが出来るだろう。

 個人的には、今年は父親が相当に弱ってしまった。母親は今日、再び入院したと言う。もう年齢が年齢である。少しでも助けたいと思いつつも、忙しすぎて時間を作ることができない。

 来年はどういう年になるだろうか。
 今年の念頭の予想では、今年は輝ける10年の始まりの年と勝手に信じた。たぶん、当たっていると思う。パパ・タラフマラのパフォーマーたちは、実はぼくはとても能力が上がってきたと感じている。種まきは常に必要だが、25年を経過し、そろそろ刈り取りも必要だろうと考える。いや、違うな、まきつつ刈り取るということか。

 ともかく、いい年だった。
 しかし、世界を見渡せば、辛さ以外のどんな感触をも得ることができない。
 こんな世の中で良いはずがない。それをもっともっと皆、自覚すべきである。そして他人任せにしないことが肝心だろう。誰もが少しでいいから、考えてみること。それによって、ずいぶん、総体として前進するはずだ。しなければ、俺たちは死にゆくだけである。
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by kikh | 2007-12-31 23:55 | うひょひょ!
 
where will we go?
 朝から夕方までP.A.I.での「QQ」稽古に入る。アイデアはまだ出ているような出ていないような。混沌とした状態。しかし、面白いのはこの混沌である。なんだかよくわからない中からなにかが生まれてくる。
 
 新聞を見ると日本は「忘れられた国」になりつつある、と書かれている。当然だろう。安心と安全を求める人々が多くなり、一方では他者の批判だけは止むことなく続ける人々の多さ。批判の中に自分自身も入っているのか?そこを認識せねば次はなくなってくる。
 常に批判するのは自身のためでもある。口に出せば出すほど、自分に跳ね返ってくるはず。だが、それがない。出すだけ。自分だけは安全なところにいて、他者を批判するのは簡単であり、不愉快だ。しかし、そういう輩ばかりになりつつある。
 安全と安心を求める方向に心は振れることもある、と言いたい人もたくさんいるだろう。しかしたいていは安全と安心の境地は大切だが、それが一義と思い出すともういけない。完全に後ろ向きに歩き出す。その典型が安倍晋三氏であり、福田康夫さんであろう。あの顔をよくぞ有権者が選び、よくぞ自民党員が選んだものだ、と感心する。老獪とはあまりにかけ離れ、進取の気性というイメージもゼロ。安心、安全な、突出しない、ぼくらの代表のサラリーマンをみんなが選択して、よし、と言っているということだ。いつも問題になるのは始まりではなく、始まってからで、誰だって問題が明確になってからは問題かどうかくらいは分かるものだ。
 
 テレビを付けると、本当に馬鹿になる。テレビドラマなどは最悪だ。バラエティ番組も最低だ。安易としか言いようがない。それは仕方がない。テレビ界も安心の上にどっかとあぐらをかき、たいして動こうともしない。給与を安穏ともらい、安穏と暮らすことが一義で、テレビをどうにかしたいと思っている人はメディアでも少数派にすぎない。
 ぼくはテレビ業界でもどこでもそうだが、一流大学卒しか取らなくなったのが、一番の問題だと思っている。一流有名大学卒業生というのはまとめたり、計算したり、そつなく物事を進めるには非常に優れた能力を発揮するが、それだけでは実はクリエイティビティは育たない。一方では破綻も必要だ。混沌の要素がないとクリエイティビティが伸びることはないのである。それは役人でも同じだ。中央官庁がまとめる方向だけに行ったのでは良いことはない。そつない人間ばかり集めては駄目なのである。もちろんそつなくこなす人間は絶対に必要だし、そう言う意味で大学の価値もある。しかし、結局は大学ではない。だが、人を見る目がないと、どこの大学を出たかで価値判断をしがちである。要は、人を見る目も落ちているということだ。
 
 ならば日本はどうするのか?こんな風になってしまった国民をどう考えるのか?やっぱり教育だ。子供たちを、安全なところに置いておかないことが肝心だろう。子供の一年は大きい。フィリピンやインドネシアや中国奥地や・・・アジアの日本ではない、途上の地域に小学生くらいの子供たちを送り込んでしまえ、と思う。ボランティアも義務化すると良い。多々、問題はあろうが、今、この国には荒療治が必要だ。その根幹をなすのは子供である。そしてそのしょうもない親たちである。
団塊の世代が蒔いていったつけが今、払われている。
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by kikh | 2007-12-30 09:47 | うひょひょ!
 
12/28 新シンデレラの稽古終わり
 今年の新「シンデレラ」は今日が最後の稽古。

 細かな点は問題がたくさんある。しかし、かなり面白くなって来つつある。約39分が形になり、下町兄弟の新曲ラップがやって来て、一気に締まった。
 みんな必死になって食らいついてくるので、実に楽しい。

 実は、このような新「シンデレラ」のような舞台というのは、軽々とやってのけているように見えて、相当に高度である。そこが分からないとまったくアンテナに引っかかってこないかも知れない。
 ほとんど全員の研究生が見に来る。
 みな、感動してくれたよう。半分程度しか行っていないのに、今年見た作品のベストとまで言う人も出てきている。それは良いが、まあ、もっともっと良くなっていくはずだ。

 稽古後に、ぼくはここで、研究生たちの卒業公演に向けての稽古に入る。
 「Quiet Question」というのが次の卒公のための、私が作る作品タイトルだ。

 静かな疑問。これは私たちが生きることの意味を問う作品となるだろう。みんなに、いろいろと質問をしてみた。質問を浴びせかけるが、すっきりしとした答えは返ってこない。それはそうかも知れないと思う。なぜなら、どうしても自分たちの居場所すら分からないような状態に放り込まれてしまっているのだから。
 Quiet Question ぼくたちが真剣に向かい合わなければならない、明瞭ではなく、黙るしかない、沈黙の質問と言えるかも知れない。囁き。ああ、そう言えばイングマルベルイマンの映画に「叫びとささやき」という作品があったことを思い出す。鮮烈な味わいのある作品であった。

 そうか、「叫びとささやき」か、と今、なんとなく納得している。
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by kikh | 2007-12-30 00:59 | 日々の記録
 
12/27 シンプル
 稽古の日々が続いている。
 パフォーマーひとりひとりの顔がどんどん見えだしているので、面白くなりつつある。
 しかし、問題はやっぱり身体の持つ技術だ。
カラダは面白い。メンタルで動ける身体があるのも事実である。が、どうしてもカラダの培ってきた切磋琢磨が如実に表に出てしまう。けれど、結局は人は心である。その心の持って行き方の強さが、全体を押し上げる。ひとりだけの面白さを超えて、総体に影響を与えていく。そういうことが分かるかなのだが、これまた苦労するようだ。
 だが、心が強くなれば、誰でもある程度のところまでは行くだろう。これが簡単なようで、難しい。しかし、難しくも簡単と言える。要はシンプルさの問題だろうと思う。みんな複雑すぎで、苦心する。余計なことばかり考える。シンプルにシンプルにやれればいいが、人は欲望の産物であって、欲望に振り回されては、自己を貶める。悩む。駄目だと思う。混沌としてくる。こんなことをしていて良いのか?などと思っていたりする。
 シンプルに考えるというのは、実は簡単である。シンプルに考えればいいだけだから。

 終わってから深夜までミーティング。
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by kikh | 2007-12-28 08:58 | 日々の記録
 
12/26 新携帯
 ドコモがPHSがなくなるというので、一昨日相談に行ったら、迷惑をかけるので、どの携帯に変えてもいいです、と言われる。PHSと言っても、メールを受け取るだけのカードだったのだが、何に変えても無料とのことなので、出たばかりというP905というのにした。買えば6万円くらいする。
 とにかく、ビックリした。
 ワンセグ携帯と言うらしいが、携帯電話でテレビが見れるのだ。それも普通にバッテリーで6時間以上も見ることが可能だという。おさいふ携帯なんて役割も可能らしい。カメラはいつの間にか5.1メガの画質で撮影されるし、音楽も聴ける。驚いたなんてもんじゃない。携帯なんて電話でき、かつ、少しメールが打てれば良いと思っていたが、そのメールもまた実に進化し、打ちやすくなっているではないか。
 それにしても日本くらいみんながみんな、いつでもどこでも携帯に首っ引きという国は知らない。驚くほどだ。街に出れば、1/3くらいの人は携帯を見つめている。たしかに、携帯がこれだけ簡単にいろいろな機能が満載になってくれば、暇つぶしに携帯、用もないのに携帯、そして用もないのにメール・・・・まったくどうしようもないほどのツールになりつつあるのが携帯と言える。

 そこで、携帯でテレビを見てみる。15分程度が限界だった。1時間見てみたが、いやあ、辛い。見ているだけで辛くなる。これは小さな画面で視神経が疲れるということもあるが、こういうものに見入っている自分自身に嫌気が差してくるのである。

 稽古は続く。
 稽古はまあまあ、順調。しかし、問題は今回、参加者のカラダである。ちょっと心配なのだ。カラダとはさほど簡単なものではない。非常にたいへんな代物で、一朝一夕に作り上げることはできない。意地や根性だけではいかんともしがたい。同じように声も台詞も歌もすべてがそうだ。そんな、一朝一夕にうまくはならない。
 だから地道な努力が必要とされる。しかし、その努力はあまりに地道でウンザリさせられるものである。しかし、それをやっているかどうかで、実は可能になる範囲が極端に広がっていく。

 ほぼ30分が形になるが、明後日までに40分、形にしたいものだ。
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by kikh | 2007-12-26 23:59 | 日々の記録
 
12/25 勝手に
 少し体調が良くない。
 しかし、稽古をしているうちに少しずつ良くなり出してきた。

 夜、帰宅してテレビを付けると作家の石田衣良さんについての番組をやっている。
 またたく間にできあがるアイデアがテレビで放映されていくのだが、ついついほんとかいなと思いつつ見てしまう。瞬時にアイデアが次々と出てきたらどれほど楽だろうか。ぼくもどこか打ち出の小槌のように思われている節があるが、打ち出の小槌的にアイデアが次々と出るタイミングと、いくら振ってもでないときがあって、常ではない。苦悩が大半を占めている。

 アイデアはどこから来るのか?ちょいとわからない。突然、降ってくることもあれば、うんうん考えているうちにあるとき、ふとひらめくこともある。しかし、石田さんじゃないが、なにかが降りてこないと駄目なんである。そのためにはバカバカ書く、ガシガシと動く、めちゃめちゃに筆を動かす・・・・・いろいろとやっているうちに、レレレッとばかりに、指が動き出す。
 
 稽古場はどういう場か?である。
 稽古場では、ぼくはあまり考えないようにしてる。ここで考えても良いことはない。考えるというよりも感じとっていく場である。考えたことを感じとり、音楽や身体や空間性と一体化しつつ、突き進んでいく場なのである。
 それは意識と無意識との格闘、あるいは理性と感性との格闘によって表面に現われてくるなにかの形を感じとっていくこと。それに尽きるのだ。

 舞台は実に非効率的であり、弱々しいメディアであるようにも感じるが、しかし、身体を基本としてるがゆえに非常に強固である。だが、それだけに頑迷さを持っている。歴史がそれを支える。日本でやるのは実に難しい。
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by kikh | 2007-12-26 00:45 | 日々の記録
 
12/24 メリクリ
 田中真聡さんからメリクリなるメールをもらい、でもメリクリってなんだ?と最初はまったく意味が分からず、送られてきたクリスマスカードを見て、おっとクリスマスイブなんだと知った次第。
 クリスマスと言われても、実感がまったくないけれど、そう言えば表参道のイルミネーションはクリスマス向けなんだっけ?とか、もう年末であることすらほとんど忘れている。
 一番まずいのは季節感がなくなってしまっていることだ。移動が多いせいもあって、寒い、暑い程度のことでさえ、いい加減になり、自分自身の生活では師走に入ったとか、正月だとか、お盆だとか、まあ何でもいいが、最近はつとに生活の区切りとなるはずのイベントなるものとは遠ざかってしまい、いつもああ、そうか、今はお盆か、とか正月か、とそういう状態になってしまっている。
 昔は、思えば正月は楽しみだった。雑煮を食うという行為はもちろん、それ以上に、ギュッと引き締まったような冷たい空気と共に正月は活き活きと見え、新しい年を迎えるということへの緊張感があったと思う。しかし、常に日常の延長である。その日常もまた、延々と忙しく、余裕がなく、どこにいるかさえ分からず・・・・と、日常なのか非日常なのか分からないような刺激的な日常を送っているせいか、常にハレを抱えているとでも言ったらいいような生活になってしまっていてテンションばかりが高く、いつでも少々暴発気味である。
 こういう生活はいつまで続くのだろうか?いつまでも続けたいような、変化を求めたいような不思議な気分だ。

 稽古は進んでいる。たぶん濃厚で、サラリとした新「シンデレラ」になっていく気配がグッと漂っている。
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by kikh | 2007-12-25 08:08 | 日々の記録
 
12/22 稽古&忘年会
 稽古は続いている。順調だが、面白いのはやっぱりベテランと若手の差が大きく感じられる点である。ベテランというのはなにか?やはり、そこまで生きてきた証が如実に表れ、そしてそれだけに貪欲に吸収し変化させるものだと改めて思う。
 どちらかと言えば若手の方がノホホンとしている。あるいは「努力」という言葉の意味がわかっていないか、だ。
 新「シンデレラ」は、25人から15人に減らし、外部が半数を占めている稽古場だが、面白い。
 人は面白いなあとつくづく感じている。

 カラダは一朝一夕にはできあがらない。そういうことをもっと真摯に感じないと、楽しい現場にはならない。努力嫌いでは、どうしようもない現場だとも知るべきである。

 稽古後に忘年会。隣りがアウトセクトの小林&甲斐チームだった。二人とはいつ話をしても気持ちがよい。それは、一歩でも二歩でも、常に先に進もうとする意欲を感じるからである。その意欲なくしてなんの人生ぞと思ってしまうのだけれど、人は意欲があるのをウザッタク感じるのも事実である。しかし、それでも前向きになることで見つけられることはたくさんあるのだ。

 母親が肺結核だという。頭を抱える。
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by kikh | 2007-12-23 23:43 | 日々の記録
 
ニューヨークの反応
 嬉しいことに、公演後にニューヨークから、いくつかメールが届いている。アーティストが主であるが、「Ship in a View」公演を讃えてくれるものばかりで、それが今現在のダンス界の風潮とまったく違って、強く心に残るものとなった、という文面が多い。
 最近の舞踊は、ビックリ人間世界大会みたいなものも多いので、そう言ってくれるのだろうし、同時に、BAMでの影響も強いのだろうと思う。
 まったく嬉しい。アーティストから言われるのはもっと嬉しい。
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by kikh | 2007-12-22 16:52 | 日々の記録
 
12/19~21
 稽古の日々。
 今年中になんとしても半分くらい形にしてしまいたいと言う気持ちがある。ひとつには、新しいパフォーマーが馴染むのに時間がかかるので、ある程度までもっていってしまってから、徐々に整備していく方がベターだろうと考えているからである。

 今回の人たちは実に濃い。濃いのはやっぱり面白い。面白いが、難しいのは、前にも書いたが、どうしても動きになると問題が出るということである。激しくもあるので、怪我が恐い。すでに二名負傷している。負傷は仕方がない。自分のカラダをどこまで知っているかで負傷は防げるが、その負傷を早めにやってしまうと自分自身に気付くこともできるだろう。

 21日、本日はトヨタの稽古場であったが、トヨタの食堂の飯はまあまあ美味く、かつ、安い。ベラボウに安い。昼飯は栄養たっぷりで、しっかり摂って500円で充分だろう。さすがに天下のトヨタだ。それにしてもこれもメセナ活動だろうが、もっともっと多くの企業が企業としての文化作りを考えた方がいいというか、それが社会貢献にも繋がると考えるべきと思う。文化は金にならない。そして無駄ばかりが出ていく。確かに、当たっていなくもない。が、しかし、文化は同時に根幹を創る。成功した企業の責任として、根幹作りにも意識は向かう必要があると思うのは私だけではあるまい。
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by kikh | 2007-12-22 00:32 | 日々の記録


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