★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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3/30 帰省&スタニェフスキー
 朝、帰省。墓参りに行く。
 母親も80を過ぎて、それなりに広い場所に一人であるから、心配は募る。
 
 夜、戻ってきて、ポーランドの演出家のスタニェフスキーと恵比寿で会う。
 4年くらい前に、スタニェフスキーと太田省吾さんと私とポーランド大使館の現大使と一緒に会ったのを思い出した。太田さんは二年前に亡くなり、あのときも、ポーランド、日本との大きなエクスチェンジプログラムを作ろうと話したのだった。スタニェフスキーは現在、ポーランドではもっとも有名な演出家で、ガルジェニッツァの主宰者である。パパ・タラフマラもスタニェフスキーがらみでの公演をポーランドで行っている。おもしろいのは表現方法はスタニェフスキーも僕も太田さんもまったく違う手法を用いていることだ。それとエクスチェンジなり、コミッティーなりはまるで違うことである。要は人間、いかなる存在か、ということが問われているということである。

 スタニェフスキーはポーランドを拠点とした一大コミッティーを作ろうとしていて、そのメンバーになってくれ、という依頼だった。
 来月、トルコでの公演があるが、その帰りにポーランドに行くことにした。

 それにしても、海外と国内評価の差の大きさに愕然とさせられる。いつでもそうだが、本当に国内をもう少しなんとかせねば、と強く感じてしまう。
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by kikh | 2010-03-31 17:31 | 日々の記録
 
3/27 「スノーピグミー」稽古
 日本に戻り、テレビをつけると、いろいろな人がコメントをしている。みんなもっともらしいが、いったいどこまで、その言葉に命を吹き込んでいるのか?非常に疑問に思う。もっともらしく、良いことを言うのは簡単だが、実際に何とかしようとすると非常に大変である。自分が身を挺しないとわかるものもわからない。みんな他人事なんだなあ、と思わざるを得ない。そういう他人事と、自分自分と、なんでも自分中心主義がいつの間にか、心の奥底に住み着き過ぎてしまっている。
 成田に降りると、とたんにのんびりしたムードが漂う。活気ではなく、のんびりムードだ。誰も、文句言っているだけで、実際には変えたくないという状況に不満足を唱えつつ、しょうがないとあきらめムードで満足しているようにすら感じる。ほどほどが良いよ、と言いつつ、げっそりしている。
 それにしてもなんでここまで保守的なんだろうと思わざるを得ない。動くことへの恐怖が染みついているように見える。物事は動かないとジットリと落ちていく。

 研究生たちも今はがんがんに行っている。しかし、これがどこまで継続できる精神性を持っているか、となると怪しい。が、しかし、これがずっとできると非常におもしろくなっていくだろう。継続できる精神の強さ、太さがほしい。
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by kikh | 2010-03-28 12:30 | 日々の記録
 
3/26 帰国
3月20日に北京入り。
21日からワークショップが始まり、昨日25日まで行う。
北京といっても、ここ、Living Dance Studio は田舎にあるので、実にのんびりした雰囲気が漂う。また、なんだかんだでやることがたくさんあって、ほとんどここのスタジオからでることがない。ここで衣食住からワークショップまで全部まかなえるわけだから、何の問題もないということである。

それにしても、とビックリさせられるのは北京の変化だ。来る度に大きな変貌を遂げている。そしてどの都市、どの国でも同じような方向性を「国家発展」の要としていることがおかしい。ただひとつ、ここではまだ、言論の自由は制限されているということである。情報も国家の統制下にある。それがインターネットなどを行うとよくわかる。ツィッターは使用不可。ブログにも繋がらない。個人が自由に公的に発言する場は制限される。グーグル撤退もなされた。チベットやウイグル自治区のことなど、いわゆる少数民族のことなどもすべてカットされて放送されているという。
中国のパフォーマーたちは、日本のパフォーマーに比べ自分たちは弱いと思っているようだ。日本のダンサーには強さがあるという。なるほど、一部を見れば確かにそうだ。数ヶ月前に福岡でワークショップをやった、ここの主の一人であるウェンフイさんは、日本の女性たちは強いと言う。とてもストロングだと。なるほど、と思う。パーソナルな部分では強いといえるし、かつ、女性、それも年齢が高い女性ほど強さがあるだろう。まだまだ個人に限って言えば、そう言える。ただ、海外公演を中心に活動してきたというシャオツーは、今は海外からのオファーは多くキャンセルし、北京での活動に重きを置きたいという。それは、この激動の中国にいたいからだと言うのだ。ここなのだ。激動の中国にいつつ、加えて海外を相対化することができる強みがあり、それをうまく乗りこなせれば、非常に良いアートが生まれる可能性がある。つまり、パーソナルでありつつも、社会を相対化しつつ動けるということなのだ。日本の弱みは、この社会という枠組みが非常に狭い。日本の社会は世間である。世間的視野しか持ち得ないから、今の情けないほどの政治状況が生まれていく。世間の中にあっては強いかもしれないが、社会に出たら本当に卑小な存在でしかないという事実のなんと多いことか。
中国のパフォーマー、日本のパフォーマーと一概に言うことは大きな危険が伴う。しかし、置かれている環境を思うと、いかに今、日本のアーティストたちが卑小化しているか、思わざるを得ない。それはアーティストとは、もちろん限らない。どれだけ世界が国際化に向かっても、日本は限りなく世間意識でしか、動かない。悲しいかな、すべからくそうである。経済面だけは、激動の競争下に置かれるわけだから、そんなのんびりしたことは言っていられないだろうが、それでも戦略が乏しい。そしてその戦略を後押しする国家戦略が弱すぎるのだ。官僚たちによるものは常に目先の戦術にすぎない。戦術の方が見えやすいことも事実である。
中国は、民主的に問題を解決する必要がないから、国家的に必要だと思った事は、良かれ悪しかれ、すぐに実行可となる。だから解決に動くスピードはきわめて速い。

5日間、毎日5時間ずつ稽古をし、最終的には45分の作品となった。見に来てくれた方々が口々に深く心を動かされたと言ってくれた。
ワークショップ以外に国際交流基金北京日本文化センターでレクチャー、同じくリビングダンススタジオでレクチャー(今は政府によって暖房が止められるらしく、異常なほど寒い。リビングダンスでのレクチャー時は3時間も話しをし、だんだん唇が震えてくる感じであった。3時間も英語でレクチャーをするのはかなりしんどい作業ではあった)、そして最後に観客とのトークセッションがあり、パーティーがあって、なかなか充実というか、大変ではあったのであるが、楽しかった。

途中でパソコンが壊れ、それもちょうど二回目のレクチャーが終わったすぐ後だったのでまだ良かった。これでレクチャー前だったら非常に困った事態になってしまっていた。
ただ、非常に困った。すべてのデータが壊れてしまっている。

是非とも、知人の皆様、メルアドや住所等、お知らせください。
バックアップもずいぶん昔にとったきりになってしまっているので。
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by kikh | 2010-03-27 12:08 | 日々の記録
 
3/20 瞬く間に
18日午前に帰国し、午後から稽古をし、19日は朝からミーティング。午後から稽古。夜になると体調が悪くない、ダウン。どうにも疲れ切っている。
20日になって、少しはマシになるが、でも変わらずダメ。ミーティングを行ない、パッキングをして、今は空港。北京でのワークショップが明日から始まる。なんでもとても良い人材が集まったとのことである。楽しみ。
ただ、体調を良くしてしまわないと。マズイ。
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by kikh | 2010-03-20 17:48 | 日々の記録
 
3/17 帰国日
 さて、台本、「森と夜と世界の果てへの旅」は仕上げた。見直しも済ませている。一応、完全に目的は果たせたが、なかなかリラックスするところまでには至らない。今はバリの空港である。夜中23:55発のフライトで東京に向かい、明日朝8時半頃に成田着である。
 今日は少しでもリラックスしようとしたけれど、やっぱり貧乏性が出て、ついつい仕事をしてしまう。悲しい性であるなあ。
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by kikh | 2010-03-18 00:26 | 日々の記録
 
3/15 オゴオゴの日
 今日はバリはセレモニーの日。このセレモニーは15日、そして本番の16日を迎えることになる。16日はセレモニーと言っても、要するにいっさいホテルから出たりできず、完全外出禁止の日で、それは外国人ツーリストにも完全に適応されるのだとか。それ以外はなにもないのである。


 今回のバリの旅は単に台本書きのためだけになにも知らずに出てきたのだが、思わぬ拾いものがあった。今日3月16日がバリ新年の日、つまり元旦ということになり、誰もが一歩も家から出てはいけない日で、ゆえに車もバイクも走らない。空港すら閉鎖される。そして夜になると一切、電気すら点けてはいけない、万一、電気を点けているのが見回り人に見つかったときは、ガラスを割られても、外を歩いていて袋叩きにあっても仕方がないという日とされているらしいのである。それほど厳格になにもしない日とされている。
 思えば日本もまた、最近は元旦から開いている店が多くなっているが、昔は、シーンと静まり返っていたものであった。社会は次々と昔ながらの風習が消え、何でも売れるものが良くなり、売れないものはだめなものとして、捨て去られる社会になってしまっている。これに異を唱えても、所詮はマーケットの中で行き場がなくなるだけだ。
 公共ホールも同様で、どこもかしこも、観客が入る作品が良いものと思いこんでいる。いや、思いこんではいないと言うかもしれない。しかし、現実には観客が入ることが一義である。いったいなにが公共か!と言いたくなるが、公共であることを、皆が喜ぶ作品=観客動員が図れる作品、という図式を当てはめる。簡単に言えば、公共=大衆受け、という図式だ。しかし、これほど情けない「公共」概念はないだろう。さらに言えば、「公共」に従事する人たちにパブリックとは何であるか、という意識が欠け、単なる安全な仕事として選択しているがゆえに起きている喜劇的悲劇だろうと思うのである。だから大勢におもねる。だって、その方が楽だから。そして言い分は非常に明快だ。しかし、良い社会を作ろうと思ったら、多様性の提供こそが公共の役割でなくてはならない。視聴率ばかりを重視するテレビの劣悪な姿を見れば一目瞭然だろう。客受けは重要だが、客受けだけを狙っても良いことはなにもない。次第にクリエイティビティを失い、思考しなくなっていくだけである。
 
 話はずれてしまったが、バリの静寂の日の前に、僕は2回、セレモニーを見た。ひとつは13日、サヌールで、海に向かって捧げる儀式であり、これは何が凄いかって、そりゃあ、次々とトランスして向こうの世界へ足を踏み入れてしまう凄さである。
 もうひとつはヌサドゥアでのオゴオゴというまるで日本のねぶた祭りの小規模版みたいな、張りぼての人形を使って、町の威信をかけての競い合いが繰り広げられるのである。これは面白い。そこにガムランやらバリ舞踊が絡んでなんともスゴイ迫力なんである。
 そしてその翌日が元旦となる。これは逆に静まり返っている。そういう時間が豊穣に展開されているのである、ここバリでは。まだまだここには神性領域と人間界、そしてその中間領域が厳然と残っている。昔はどこでもそうだっただろうと思うのだが、バリに来るとその感覚が研ぎ澄まされるような感じがある。それだけに人間界はさらに大変だろうとも思うのである。
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by kikh | 2010-03-18 00:21 | 日々の記録
 
3/12 サヌール
 しばらくぶりでよく寝た。起きるときもゆったりした気分で起きた。からだから少し緊張が抜けてきているのが、わかる。なかなかダラダラしていられない性分なので、なにかしらやってしまっているのだが、炎天下を昨日、歩き続けたのが良かったのだろう。延々と歩き、ボウとし、汗をダラダラ流し、マッサージを受け、また再び歩き、ここで一番うまいというイタリアンを食い、再び歩き、あるカフェで下手くそなジャズを聴き、ガムランの音が遠くで鳴り、その合間、合間で台本を書き続ける。どうもこういう本の書き方が僕には一番、性に合っているようである。自然の中が一番、インスパイアされる。都会では、どうも頭は濁る。ここは自然とは言っても、開発されている自然で決して大自然ではない。だが、書く行為をするには書ける環境がいろいろとあった方がベターである。
 今回は海辺に来てしまったが、やっぱり山の方が良いなあ、と思ってしまう。山の方が考える力がでる。なぜかは知らないが、出てくる。
 しかし、サヌールは良い。しっとりと落ち着いた雰囲気が良い。ウブドよりもガキどもが少ないのが良い。もちろんクタなどよりは遙かに良い。喧噪がないのが、なんとも言えず良い。
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by kikh | 2010-03-15 11:29 | 日々の記録
 
3/10 バリへ
今日の午前中、パッキングをしていて、パソコンのバッテリーアダプターをスズナリに忘れてきたことを思い出した。ウワッ!ヤバイ!である。パソコンのバッテリーアダプターがなければ、パソコンが使えないじゃないか。今日からバリに行って、台本書きに勤しむのである。冷や汗。もうひとつないわけではないが、この「もうひとつ」の純正物は、接触不良でぜんぜんダメなのだ。触れなければ何とかギリギリ可能だが、火花を散らすこともあるから危険でしょうがないし、ちょっとでも触れようものなら、もうダメ。だから、バッテリーを付けつつ、バッテリーアダプターを使用するしかないのである。それでも充電されるかどうかは怪しい。
そこでもしかすると、今、書いているのはポメラだが、こいつがメインの機種として機能し、書きまくりということになるかもしれない。ポメラは僕のような立場の人間には非常に機能的でよろしい。これは昔、僕がとっても愛用していたNECのモバイルギアのような機種だが、モバイルではないため、電話線を利用してのメールのやり取りすらできないという優れ物なんである。メールのやり取りすらできない、というのは本当に良い。これ、わかるかな。完全にワープロ機能に特化し、それも単四電池2本でかなり持つ。もちろんカラーじゃない。これがまた良い、実に良い。モバイルギアも電池で動き、だから、バッテリー充電なんて面倒なことをしなくて済んだし、飛行機内だろうが、電車内だろうが怖いものしらず、しかし、パソコンに押されて消えてしまい、以降、僕はこのような機種を待ち続けてきたのだった。今だって、モバイルギアを取り出しては、なでまくり、なんでおまえみたいなのがなくなったんだよ、と一人つぶやいてきたのである。そして出たのがポメラDM10という機種だった。しかし、書ける容量が足りない。そこで二の足を踏んでいたら、このポメラDM20というのが昨年末に出たのだった。

 こいつは良い。目にも優しい。パソコンをずっと眺めていると目がショボショボしてくるが、こいつだと大丈夫。と、宣伝しまくっているが、書くことが多い人には非常に重宝する。なんせ、書こうと思って、開く。と、まるっきり待たずに書けるのである。電車だろうが、座って一瞬で開いて、2分くらいでバババッと気づいたことを書いて、閉じる、そんな芸当ができるのである。読みとり待ち時間は限りなくゼロに近いのだから言うことない。実に良い。小さく折り畳めるから、大きなポケットにも入るのである。

 さて、もう今はバリである。バリに来てしまっている。「やし酒飲み」というタイトルは変えてくれ、といわれているので、タイトルを考え、内容を考え、機内にいる間に書き出している。タイトルは今、「森と夜と世界の果てへの旅」にしようと考えているが、どうだろう。

 バリは雨だった。ねっとりと湿った雨で、どうもすっきりしない。だが、バリ特有の建物群が見えてくると、ふんわりとした気分に包まれる。それがいい。何ともいえず、いいのだ。昨日、デワブラタに打ち上げ会場で会って、なんだよ、おまえが向こうで、おれがこっちかよ、みたいな話になって笑った。バリの連中はみんなうちに来い、と言ってくれる。だが、なかなか東京ではうちに来いとは言いにくいところがある。デワブラタとは成田空港でも偶然会ったのが最後だった。去年の夏だ。僕らは香港を起点としたアジアツアーに出発するところだった。
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by kikh | 2010-03-15 02:04 | 日々の記録
 
稽古
生の作品というのは、当然、いつも良いとは限らない。良いときも悪いときもある。あるけれど、プロである限りはある程度の誤差内におさめないとマズイ。だから、必死で稽古をする。稽古し過ぎると悪くなる、というような人はやっぱりプロではない。アマチュアの感覚である。アマに毛が生えると、技術的にはあがってきていたりするために、稽古を甘くみる。偶然性を美しいと思ってしまったりするのだ。だが、プロダクションを制作するならば、やはり偶然性は完全な物の上に構築すべきなのである。ところがこういう基本がわかっていない人が本当に多いから困ってしまう。昨今の批評家というか、批評好きなオバハン、オジサンなどはどうしようもない人たちも多いから困ったもんなんである。
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by kikh | 2010-03-15 02:03 | うひょひょ!
 
3/9 終了
一年三ヶ月かけて制作した「Nobody, NO BODY」は、本日のマチネ公演で終了。
ものすごく寒く、雨から雪に変わり、おまけに平日マチネ、最悪の条件下で果たして座席はどの程度埋まるのかな、と思っていたら、満席に近かった。
作品の出来も良い出来だったからホッとする。
この過酷な条件下でやってきたパフォーマーには、感謝したいと同時に、まだまだ要求は尽きないなあとも思った。それはそうだ。当然、やって欲しいことはまだまだのレベルである。とは言え、素晴らしい反応が返ってきているので、彼らにも大きな力になっただろう。人は可能性の生き物であるが、その可能性を見いだし得なくなったときから老化が始まっていくのだろう。

とにかく、明日からは「やし酒飲み」の台本書き。

かなり酔っぱらってしまった。
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by kikh | 2010-03-10 15:01 | 舞台


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