★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
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ガルジェニツァ二日目
 今更ながらワルシャワは堪えた。
 朝4時にイスタンブールで起床し、4時半にタクシーをつかまえ空港へ。イスタンブール→チューリッヒ。チューリッヒで3時間のトランジット。チューリッヒ→ワルシャワ。ワルシャワ空港着14時。
 まあ、ここまでは予定通り。
 しかし、空港でピックアップしてくれるはずの人が来ない。3,000円だけ両替し、待つ。3,000円がたったの60ズロッティにしかならない。1ズロッティが50円だ。さて、どうしたものか。緊急電話先に電話しようとしたが、電話の使い方が分からない。ツーリストインフォメーションで聞く方法でかけるが全然つながらない。間違っていないか?とインフォメーションのお姉さんに聞くが、頑として譲らず、さあ、どうしたものか、と思案していると、親切そうなお父さんが、いやそのやり方じゃかからない、かけ方はこうだよ、と教えてくれ、かつ、テレフォンカードまでくれたのだった。コインじゃ、ここはかからないんだ、壊れているからねえ、とも。
 電話がつながると、今から住所を言うからそこまでタクシーで来い、と言う。そこはオールドタウンだ、とも。タクシーの相場を聞くとだいたい50ズロッティだろうと。しょうがない、行くしかない、と思い、ちょっと足らないのでさらなる両替を、と今度は50ドル札を両替。すると、120ズロッティになる。もし、1ドル90円として、50ドルだと4,500円だ。つまり、ドルだと1ズロッティが37.5円。あまりに違う。日本円の低さが浮き彫りになった格好だ。
 そしてタクシーの運転手と交渉し、50ズロッティで行ってもらい、すると、このオールドタウンの道には入れないから、ここからは歩いていけ、と言われたが雨だ。もうすぐそこ20メートルくらいだよ、といかにも親切そうにタクシー運転手は言っていたけれど、いやはや、道はない。いろいろと聞きまくり、するとみんな、その道は知っているようで、ああ行け、こう行けと教えてくれる。どんどん雨に濡れ、疲れは増し、1時間近くもあっちに行き、こっちに行きしてついにたどり着く。と思ったら、最初の地点からはさほど離れていない。タクシー運転手の指した方向が間違っていて、90度左方向を指してくれれば、瞬く間に見つかったはずの道であった。結局、ずぶ濡れ。と、そこまできたは良いが、ここは単なるオフィスで、アパートメントは別の場所だという。今、ここで支払うか?どうする?とか言われたが、何にも知らない。かといって、拒絶するのも変な話だから、支払いを済ませて、アパートメントに行く。スタニェフスキーとは電話でそのオフィスで話をしたが、20時に誰かガルジェニツァの人間を送るから、全部そこで説明するという。結局、アパートメントに着いたのは17時近く。
 どんどん体調が悪くなる。あと3時間もあるから、と寝て待つことにする。と、19時にそのガルジェニツァのアクターがやってきて、カフェで説明を受ける。今日の21時半~、まずは二人のポーランド人があなたを夕食に招待したいと言っている、と言う。分かった、待てば良いのね。だったが、結局、現れず。もう踏んだり蹴ったりどころか、まるで何がなにやら分からないままに過ぎていった一日。
 翌日、昼前になって、その二人が現れ、昼飯を食うと、全体像が判明した。要はどこもかしこもミスアンダースタンドだらけで、混沌としていた次第。面白いなあと感じたのは、ここがゴンブロヴィチの国だということで、ゴンブロヴィチが描いたコスモスという小説は、まさに訳の分からないような矢印に従って進んでいくという話であったし、シュルツのストリートオブクロコダイルズもまた、同様に一種の迷宮に入り込んでいくような話であったのだから、最高に祝福された気分にすらなったのである。
 夕方、やっとスタニェフスキーが現れて、さあ、ガルジェニツァに行こう!と言う。自分はまだここで、ミーティングがあるとも。まあ、これも矢印のお導きだろうと考え、運命に従うようにしてガルジェニツァに来た次第。

 二日目もまた、少々、混沌としていた。なぜなら、ガルジェニツァのアドミニストレーターのチーフがガルジェニツァの2年後とルブリンの町を案内してくれたのだったが、この人、歴史専攻だったそうで、延々と細かな歴史の話をされる。途中からはチンプンカンプンなんだが、あまりに熱心なので、話をストップさせるわけにも行かず、なんとなく聞いていたけれど、さまざまな教会の話やら、逸話やら、歴史の事実やら、もう事細かにルブリンについて語ってくるのである。
 これまた、いかにもゴンブロヴィチの小説に出てきそうな人物で、なかなか見た目も奇妙で、ひょろりとし、楽しいというよりもおかしい。恋人たちがチュッチュチュッチュとやっている場所で、延々と歴史の講義を行うのである。

 すると彼に連れられ、また、別の建物で待て、と言われる。どうもよく分からない。2時間も待たされて、やってスタニェフスキーが現れ、さあ、ガルジェニツァに行こう、というまた、言う。
 ガルジェニツァに戻ると、即刻、リハーサルだった。だから話をするどころではない。
 しょうがなく、というわけではないが、リハーサルを見る。フムフム、面白い。彼は動物園の熊のようで、行ったり来たり、人の演出風景など、ほとんど見たことがない僕にとっては、ここまでしっかりと稽古を見たのは実は初めてかもしれないのだ。細かな積み重ねは見ていて気分が良い。そうこうして夜中1時を回り、やっとリハが終わって、やっとのことで、彼とは、彼自身の屋根裏部屋で話をすることができた次第だ。
 スタニェフスキーの日本好きは何だろうなあ?と思う。ここガルジェニツァにも日本庭園を造りたいと言っている。まあ、それはともかく、彼のようなサバイブの方法もあるのか、とずっと見てきて考えたことは僕にもあったけれど、ともかく、エクスチェンジプログラムを始めよう、と言う。まあ、世界のトップクラスの演出家だから、エクスチェンジして悪いことは何もない。
 もちろんポーランド人のメンタリティというか、時間感覚が上記のようなこともあるので、いらつくことも多々あるようには思うけれど。

 とにかく、動きを作り出そうと言うことで合意して、2時半過ぎに屋根裏部屋を出る。それからパッキングしなおし、3時半に寝て、5時に起き、5時半には空港に向けて出発し、9時に空港着。今はウィーン行きの飛行機を待っている。ウィーンでトランジット後、イスタンブールに入る。
 
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by kikh | 2010-04-30 17:10 | うひょひょ!
 
ガルジェニッツァ
 トルコ、トラブゾンでの公演まで間があるので、ポーランドのガルジェニッツァに来ている。
 昨日はイスタンブールのホテル、4時、起床、それから空港に行き、途中、スイスのチューリッヒに寄って、ポーランド、ワルシャワ入りする。雨の中、たっぷりと歩き、風邪を引いて、体調はすこぶる悪い。
 まったく、ミスアンダースタンドだらけで、大変な一日であったのである。

 そして今日。昼前に突然、サラとその夫が訪ねてきた。サラは今の在日ポーランド大使館大使の娘で、何度か会っている。そして夕方、ついにスタニェフスキーが訪ねてきて、さあ、今からガルジェニッツァだあ、と言う。彼は今、大きな劇場をワルシャワに作ろうとしていて、そのため、非常に忙しいらしい。よって、本日深夜にガルジェニッツァには戻ると言う。
 ガルジェニッツァでは、僕のためにさまざまなプランを用意してくれていて、多くのリハーサルを見ることができた。やっぱり面白い。スタニェフスキーは耳が良いと改めて思った。世界中を見渡しても耳の良いディレクターはほとんどいないのが現状である。だが、彼は良い。作品もきわめて強い個性を放っている。
 
 体調不良だが、深夜までさまざまなイベントが続き、グッタリしてきたので寝ることにする。
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by kikh | 2010-04-29 08:10 | 日々の記録
 
何を見せるか
 トルコ、アダナでの「Ship in a View」公演は観客総立ち状態が連日続いた。
 公演としては間違いなく成功と言って良い。だが、決して満足いくものだったかというと、首をかしげる部分もある。なぜか。十全な準備ができなかったこと。つまり、「十全」というのは、公演初日に向かって、ちゃんとやるべきことをやって臨めたかどうか、ということである。
 「Ship in a View」という作品は、通常、2日の仕込み期間を経て、公演日を迎える。どんなに有能なスタッフがいても、十分なクオリティを上げようと思ったら、この期間が必要なのだ。だが、今回は徹夜仕込みでの公演明けである。もちろん十分な仕込みなどできやしない。このフェスティバルはそういうシステムでやっているとフェス側は豪語するが、僕の作品はデリケートな部分の積み重ねで出来ていて、そんなに簡単に仕込めるものではない。
 では、そんな公演はやめればいいじゃないか、という人もいると思う。そうだ。やめればいいのだ、と言い切れない。なぜか。十分ではなくても、クオリティのエッセンスは伝わる可能性が非常に高いことを知っているからである。それが、結局、文化をいかに伝え、いかなるコミュニケーションの手段としていくか、ということと結びつく。
 舞台は技術が最高の状態に持っていけた方が良いに決まっている。だが、そうでないから、人は感激しないのか?と言えば、もしかするとラジカセだって音は良いということになりかねない。劇場という広さでは無理だろうが、その音質でも、あるエッセンスは伝わっていくのである。照明も今回はQ数を1/3くらいまで減らしていると思う。でも、僕はそれで良いと言ってしまいたい。作品はなんと言っても舞台に乗っている人が作るものである。舞台に乗っているパフォーマーが良ければ、他がダメでもなんとか見れるものになるのである。
 何を見せるのか?つまり、海外というのはそういうものだと思わなければいけない。最高以上のクオリティを持った舞台の60%程度しか出せかなったとしても、なんとか成立させうる可能性があるくらいまで、クオリティを上げておく必要は間違いなくあるのである。文化圏が違えば、相違ばかりだ。やり方だってまるで違う。だからといって怒っていたのでは、何にも成り立たない。妥協点を探ること。それしかないと思う。それが次への大きな一歩となる。私たちにとってばかりではない。日本にとっても大きな一歩となるはずである。
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by kikh | 2010-04-26 00:22 | うひょひょ!
 
アブダビ
 今、トランジットでアブダビの空港にいる。4時間半待ち。そしてトルコ入りすることになる。
 アブダビはアラブ首長国連邦の首都であるが、面白いのはアブダビの人口190万人のうちの75%は出稼ぎ労働者で占められるという点だ。オイルマネーによって、急激に膨れあがった都市である。空港内だからほんの少ししか分からないが、しかし、空港労働者の顔ぶれを見れば、いかにここがさまざまな人間たちの寄り集まりであるかは分かる。こんな風にして人は動き、ゴールドラッシュ現象を起こして人は去っていくのかな、と思わざるを得ない。将来、石油は間違いなくなくなるとも、亡くなる前に人類は全滅するとか、いろいろな説があって、何が正しいかは検証してみないと分からない。しかし、やはり資源の有無だけで、大きく左右されてしまう人の世は不健全ではあるなあと思う一方、ゆえに別回路の意識を育てなくてはいけないとしみじみと思う。あっちの水は甘くていいなあ、と指をくわえて見ていても、なんらこっちの水が甘くなることはないのである。しかし、こっちの水を甘くするための方法は、とにかく必死になって新しい方法、アイデアに立ち向かわなくては甘くなんかなりっこないことを強く知るべきである。

 日本という国はまさにサウジアラビアやアラブ首長国連邦などとは対極にある国だ。資源らしい資源のない国である。資源らしい資源がなければ、あとは頭しかない。手先しかない。そして勤勉さと先進性しかないのである。そこを強く知らねばならない。知る必要がある。それは文化と言ってもいい。文化の豊穣さの上で、付加価値を与えつつ、自分たちの場を確保していく必要があるのだ。だが、誰もが内向きで、いっさい、知らぬと言ってはばからぬ。あるいは頭が固いままで、何も新しく試みようとはしない。ほんの少し先の、ほんの少しの変化でよしとして、それをきわめて高く持ち上げるが、そんな程度じゃあ、日本文化はダメなんだと声を大にして言いたいのだ。

 もうそろそろフライトタイムなので、今はここで切り上げる。
 
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by kikh | 2010-04-21 12:49 | うひょひょ!
 
4/19 佐伯さんとの話
 先日、「風の旅人」編集長の佐伯さんが「Ship in a View」の稽古を見に来た折、いっぱいやりつつ、話し込んでしまった。その佐伯さんのコメントがブログに載っているので紹介しておきたい。

http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2010/04/post-b4f6.html

 さて、話はとても面白かった。まずはブログを読んでみて欲しいのだが、改めて、単純化に向かっている社会の中で、いかにして世界の複雑さを感じさせれば良いのか、それも今の時代のニーズに合わせて可能なのか?どうやったら、次のステージを作り出せるのか?日本社会を考えるとなかなか回答が見いだせない。

 そもそも、これだけ魔物だらけの世の中なので、魔物から逃れたいという思いが単純化を求め、思考停止状態に陥っていく。それに追い打ちをかけるのが、身体の弱さである。身体の弱さは精神と軌を一にする。弱い身体は、傷のなめあいを欲するようになる。癒しを求めるのも同根だ。
 今、大学生が一番行きたい場所は温泉と言うではないか。未来は真っ暗だ。佐伯さんはブログのサブタイトルに「放浪のすすめ」と書いている。僕も同様に思う。彷徨うこと。彷徨う中でこそ、新しい息吹を見つけていくことが可能となる。安住していれば向かうのは後退である。だから、僕は日本の子供たちに中国奥地やフィリピンやインドネシアなどに1,2年移住させてしまいたいのだ。もちろん現地の子供たちと交わる場所でなければならない。日本人通しで隔離された場所にいるなどとんでもない。子供時代の記憶、意識は生涯抜けきれない。支配するのはそのころの精神である。だからこそ、子供時代に鍛えねばならない。

 我々はどこへ行きたいのか?船長のいない舟に乗っている気分を味わっているのが日本人だろう。しかし、自分自身こそが小さい船の船長であるという意識のない人間が多く集まったのでは、護送船団方式で舵取り不能な場所へ向かうしかなくなってしまう。船長意識を育てるには、自分自身で彷徨い、放浪し、思考し、生きるすべを見いださねばならない。パパ・タラフマラにおいても、皆、イエスマンでもノーマンでもない、意識的存在たらんと欲した人間たちの組織としたいと思うのである。
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by kikh | 2010-04-20 10:13 | 日々の記録
 
4/18 卒業公演・Ship in a View
 「Snow Pigmy」という30分の作品を、卒業公演では制作し、終わるやいなや「Ship in a View」の公演稽古に勤しんでいる。僕にとって作品とは、自身の強いリアリティからしか生まれ得ない。よって「Ship」は子供の頃の記憶から、「Snow」は白雪姫を題材に・・・という違いはあっても、結局は同じ根のように感じてしまう。ましてや「Ship」は13年前の作品だ。だから、13年前の私が根幹にいるが、「Snow」は現在の私である。その違いは大きい。でも、「Ship」を好きになってくれる人は非常に多い。海外からの引きもとても多い作品である。「Ship」をもちろん悪い作品だとは思っていないが、「Snow」の方がずっと現在形だろうと感じる。なぜなら、それが今の私たちを取り巻く状況と未来への思考ゆえに生まれた作品であるからだ。
とは言え、「Ship」にしても、時が経つに連れて、評価が高くなってくる。たぶん私の作品は現在形ではないのかもしれない、という思いが強い。それはいいことではあるが、いかんせん、経済的に成り立たせるための方法を考える必要が常に付きまとう。現在形のちょっと先、が一番、この国ではいいのだから。

 明日、最後の「Ship」稽古を行なう。そして、トルコである。トルコでは「Ship」と「三人姉妹」の公演が待っている。トルコ好きの私としては、楽しい時間が待っているような気がする。しかし、「Swift Sweets」の台本書きをしてこなくてはならない。ポーランドにも行く必要がある。ウウム。どこで書けるだろうか。
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by kikh | 2010-04-19 01:12 | 日々の記録
 
4/8 桜
 一気に桜が咲いた、と書いて以降、なかなか散らない。いや、散らないどころか、満開をちょっと過ぎたような状態を保っているのである。暖かいかと思えば異常に寒く、ジッとしていると身体が深々と冷えてきたりする。これだけ寒暖の差が激しい春の記憶がちょっとない。たいていは多少の寒暖があるのがこの時期ではあるが、今年はその差が激しすぎる。だから、僕もそうだが、風邪っぴきが多くなっている。

 今日からはパパ・タラフマラ内面談が始まった。思うことはたくさんある。女性が多いせいもあるだろうが、噂や誤解が物事をおかしくしてしまっていることがよくあって、そういう諸々を整理してみようというのが内部面談の主旨だ。次第に年齢が開いてきていることもあって、全員顔を合わせては話をしにくい状況があるようだ。

 ここのところずっと、このブログを書いていなかった。というよりも、TWITTERの方に書いていたのだけれど、あの140字で書く、というのは意外にハマル。主旨しか書けない。だから、考えずに一瞬で書ける。ブログもたいして考えて書いているわけではないのだが、140字ってわけにはいかないような気にさせられるから、気楽なTwitterに向かってしまう。そして双方向的である。ブログは完全にではないにせよ、かなり一方通行のような感覚がある。とは言え、まだTwitterが何であるか、あまり理解せず気持ちだけで書いている。

 今月「Ship in a View」をトルコで行う。それにしても、本当に人気が高い。来年はシンガポールのエスプラネードともタッグを組む形で作品を作るが、あそこでも「SHIP」のような、という意見が出る。いつからみんな「SHIP」が好きになったのだろう。そもそも「Ship in a View」という作品は1997年に制作し、それから5年間はまったく動かなかったのだが、それがベネチアビエンナーレ出演を機に毎年、世界での公演を行うようになった作品だ。要は、作品を知らしめるのは、結局、制作力と感じてしまう。作品を知らしめることができなければ、どうやっても動かない。動かすためには制作力は必須であろう。
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by kikh | 2010-04-09 08:16 | 日々の記録
 
4/1 桜
 一気に桜が咲いた感がある。
 
 昔、「春昼」という泉鏡花の「春昼」「春昼午刻」という本からインスパイアされた作品を作ったことがあるし、「スプリングインクアラルンプール」という作品を創作したこともあった。クアラルンプールの春。これはまるっきりあり得ない話で、つまり、クアラルンプールには春という概念はまったく存在しないからである。熱帯地方には春はない。
 この作品はマレーシアのアーティストたちと作った作品で、彼らにとって春という意識はもちろん存在しないから、僕が春とはいかなるものであるか、蕩々と述べ立てると、とても興味深そうに聞いていたのをよく覚えている。
 その春。なんと言っても桜だ。山桜をみたことがあるだろうか?いや、これは体験と言っても良い。山桜の舞い落ちる時、たった一人で風に吹かれる時ほど、怖いモノはない。それはそれは恐怖である。なま暖かい風。ひらひらと舞い落ちる桜。僕は田舎でこんな風景を毎年のように見てきた。美しさと恐怖が表裏一体となっている様。僕はあの風景を見ていることを思い出し、花見だなんてのんびりした気分には、なかなか桜ではなれないのである。

 今日も「スノーピグミー」の稽古。なかなか思い通りにはいかないなあ。
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by kikh | 2010-04-02 00:45 | 日々の記録


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