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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
7/21 国境
 朝、一通り読み直し、少し書きなおす。かなりキチッと書けていると思う。一番大きな問題はこれをちゃんと上演台本化できるかどうか、である。もちろん上演台本として書いているのだから、上演できるはずなんだが、いかんせん、資金面が苦しい。
 と、次々とパパメンバーからの感想メールが来る。強烈なパンチを見舞われたように感じた面々が多いみたいだ。

 午後になって、すぐチェンセーンに行く。だいたい45キロくらいか。そこからゴールデントライアングルに行き、タイとミャンマーとラオスの交点をみる。これは人為的国境と地理的要件を考えるに非常に認識しやすい場所である。メコン川の細い部分を隔てて、すぐそこがミャンマーであり、その向こう側がラオス。向こう側と言っても、30メートル~50メートルくらいしかないのではないか。タイでは、ここが観光地だ。しかし、ミャンマーもラオスもまるっきり観光地化している気配はない。その方が自然である。自然の地形をみる分にはここの一体なにが特殊なのか、まるっきり分からない。あくまでも人が引いたラインである。37度線やベルリンの壁や、まあ、世界中至るところにある境界線はそうやってできているのだが・・・。こうして人為的に作られた国境というもので、実は生活環境から言葉から政治体制から、全然、違うモノになってしまう。すぐ目の前のそこがアウンサンスーチーが軟禁されている国か、と思うだけでも、そのメコンは強烈であった。
それから、阿片ミュージアムへ行って阿片のことを少し勉強する。ゴールデントライアングルはケシ栽培地帯だったのである。

 その後、90キロ飛ばして、山奥へ奥へと移動し、メーサロンに行く。メーサロンにはなにがなんでも行ってみたいと思わせるものがあったからだ。それは前も書いたが中国国民党の一派が、共産党に負けて、多くは台湾に逃げ、雲南省にいた国民党の一派は行くに行けず、ミャンマーに、そしてタイに逃げ込み、1980年代まで武装していたという。メーサロンへ入ると、もうまるっきりそんな匂いはない。武装解除して20年以上も経つと、そうなのか、と思う。しかし、ここにいるのはほとんど中国人だという。あるお茶屋さんに入るとそこの女将が日本語で話しかけてきた。聞けば25年前、池袋で1年半ほど日本語の勉強をしていたという。25年前というと武装解除前か?もう日本語は忘れた、と言っていたが・・・あまり根掘り葉掘り聞くのもイヤだったので、聞かなかったけれど、本当に中国の村だった。メーサロンの国民党一派についてのミュージアムがあったので、入ってみる。訓練の様子などがなまなましく写真に残り、タイ政府との取引で、国籍を得る替わりに武装解除に応じる様子などが飾られていた。

 と、そのとき、雨が降り出したのだ。山奥まで来てしまっていて、こりゃあヤバイ、さてどうすんべえ、と。ペロペロの雨合羽を買い、先ほどのお茶屋に戻って、ビニール袋を何枚ももらって、足を防水化して、仕方なく40キロの山道を下った。しばらくぶりのどしゃ降り、ザアザア降りの中のバイクライディング。気分は最悪でありつつ、最高でもあった。妙に上気していた。メーサロンもまた、ミャンマー国境地帯である。ここで今は茶を生産して彼らは生きているのである。そこら中、漢字ばかり。そして中国系の顔ばかり。一方、中国本土では、ウイグル人たちが殺されている事実も今、あって、人間の愚かしさを強く感じてしまった一日ではあった。
by kikh | 2009-07-22 20:59 | 日々の記録
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