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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
自己満足
 今朝、僕がテレビをやっていた大昔にとても尊敬していたテレビディレクターからメールを頂いた。今ではテレビ製作会社の社長をしている方だ。
 抜粋すると以下のような内容。
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久しぶりに拝見しました。
感動しました。
あれほどのエネルギーを、引き出し、育み、制御する演出力は大変なものです。圧倒的でした。
25年の歳月は確実に、稔に向かっていたのだと、確信しました。
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 自分が、信頼し、尊敬した人からの意見だからとっても響いてくる。ずしりと感じさせる。重い。25年前、僕はテレビディレクターをしていたのだった。その時代から、もちろん私のことは知っているわけで、タラフマラの最初の作品から見てくれて、9年前からは会うこともなくなり、今回9年ぶりに見に来てくれたのだった。

 僕は、結局、人はどういう生命体でありたいと望んでいるのか、そういう局面に立っていると思っている。しかし、世間はまるで逆の方向に動いていく。

 先日の浅井さんとのトークの時に、ある中年の女性から質問があった。
 「どう見てもらってもいい、というのは、自己満足でいいということではないですか?」という質問。
 それから自己満足とはなんであるか?ということについて考えている。自己満足でない作品とはどういう作品を指すのか?誰もが楽しめる作品だろうか?だが、誰もが楽しめる作品とはどういう作品を指すのだろう?劇団四季みたいな作品なんだろうか?映画で言えば、ハリウッド映画こそが自己満足に陥っていない作品で、その“とき”に合致した作品であるということだろう。
 しかし、誰もが楽しめる、という言葉は非常に危険性を孕んでいる。つまり後ろ向きだ、ということである。あるいはマーケティングに則った作品ということだろう。何が受けるかを考え、どうすれば客が入るかを考え、どうすれば客の要求に添った演出になるかを考える、そういう作品である。
 今では、ゴッホは巨匠である。しかし、あの当時、ゴッホはまったく売れない画家で、しょうもない厄介者でしかなかったはずだ。だからと言って今ではゴッホを自己満足ばかりやって、という人はいないだろう。ゴッホの画を見て感動する人たちはどこにでもいる。なぜなら、ゴッホの画には存在の凄みがあるからだ。
だが、舞台芸術はそれではいけない。なぜなら、興行だからである。まったく売れなければ、作品の発表などまったく不可能になる。ひとりならば画を描いてもいられるだろうが、舞台芸術は相当数の人間が動くのだから、金が必然的について回ってくる。
 だが、それでも僕は舞台芸術でありたいと思っている。単に楽しめる作品ではなく、何が「HEART of GOLD」であるか、追求したいと思っている。そして自己の満足しない作品ではしょうがないと思っている。
by kikh | 2005-12-13 18:54 | 演出
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