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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
6/13 サッカー2と世界共和国
 昨日、ワールドカップ一次リーグで大敗した日本。
 今日は、みんな口々にジーコの悪口を言ったり、誰が悪い、彼が悪い、というようなことを言い続けているのを聞いた。
 が、しかし、やっぱりフィジカル面が弱いということだ。フィジカルというのは身体だが、身体ばかりではない。精神面も弱い。すぐにダメになると落胆してしまう。こういう輩がとっても多くなったと僕は思う。それが今の日本である。だから、今の日本のサッカーを見て、日本そのものだと思うべきなんである。勝っているときはいい。誰だっていい。だが、負けそうになるとき、そのときこそが試される。勝負すべきとき、身体と技術と精神を試されているときは、劣勢であっても、逆に燃え尽くさなければならないのだ。そのときにバタバタと点を奪われるジーコジャパンにはまったく未来はない。選手総入れ替えくらい行った方がいい。だからと言って、勝てる保証はどこにもないし、難しいが、結局は、変化させる決意でしかない。

 もちろんジーコが悪い、なんてのは最初から分かっていたことだ。ジーコに戦略はないのだから。「大人の扱いをする」とジーコは言う。しかし、選手たちの多くは、大人になるべく、育てられはしなかった。ゆえに、日本の若者たちに大人になれと言っても、とっても難しい。さすれば、戦略を用いなくてはならない。
 でも、日本のサッカー協会は、監督としての力量よりジーコという名前が重要だった。日本はいつもそう。野球だって、相変わらず長嶋待望論がはびこり、次期オリンピックの監督は長嶋だと言っている。日本は、まったく情けないほど、いかに勝つべきかを考えるのではなく、名前だ。日本は何でも名前だ。実力なんてどうでもよく名前である。昔の名前で出ています、でいいのである。

 新聞にも外国メディアの日本への落胆が書き記されている。納得してしまう。後半39分から3点も奪われるのは不甲斐なさを通り越し、情けなくなってくる。しかし、何も変わらないだろう。日本は、いつの間にか、呆れるほどの官僚国家になってしまっているのだ。官僚は、周りからの文句が少なければいいわけだ。そのシステムが方々にはびこっている。
 監督としての力量があって負けるより、監督としての力量がなくても、名前があって、そのあとで負けた方が納得しやすいということだ。長嶋同情論で長嶋にもう一度、全日本の監督をやらせたいと思ったり、ジーコで負けるなら仕方がないと思ってしまう。二人とも監督の力量はかなり怪しい。皆無だと僕は思う。
 以前の名前こそが、最大の力を発揮し、誰にも知られ、文句が出やすくない人で選出しておけばいいという、まったくもってもう、ポピュリズムそのものである。

 
 日本は今、世界第四位の軍事大国である。
 が、新聞を見ると、どんどん中国とインドが軍事費が増えつつある。中東も同様。世界中で軍事費が増大していっている。まったく、世界共和国など夢のまた夢、ということか。
by kikh | 2006-06-14 01:18 | 日々の記録
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