人気ブログランキング | 話題のタグを見る
★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
犯罪のエクスタシー
 今日、朝方、テレビを付けると、ある結婚詐欺&詐欺師の話があった。
 面白いのは、この詐欺師、朝、午後、夕方、晩と別々の女たちとホテルで会っては、自分が会社社長で羽振りがいいことを装い、金品を買い与えると同時に、女と寝て、そして金をだまし取るということをやっていたらしいのだ。この男、いろいろな意味でスゴイ。まず行動範囲。朝、午後、と書いているが、その距離は数百キロにも及んで、移動するのもまったく厭わず、移動してはホテル入り。いやはや、その精力。49歳だというのだから、なんとも信じられない精力である。こうしてだまし取った金額は数千万円らしい。

 しかし、もっと信じられなかったのは、いや、よく分かるのだが、まったく違うのではないかと思ったのは、と言い直そう、週刊朝日の編集長という人が出ていて、次のように言ったのだ。「こういう能力があるならば、まっとうな道を歩んでいたら、素晴らしい成績を上げる営業マンになっただろう」と。さも、正しい。正しすぎる。でも、このトークの面白いのは、あくまでも自分を基準にしか物事を見ていない点にある。つまり、犯罪は悪いことで、悪いことをしてはいけない、その能力を別次元に向けることができるはず、さすれば・・・俺なら、そんな悪いことはしないで、もっと別個の方面にその力を活かすねえ、と言っているわけである。普通はそうだ。だから社会は成り立っている。

 だが、犯罪者はそんな発想はしないのである。犯罪自体に陶然となる魅力が秘められているからだ。この魅力を、単なる営業マンの仕事の売り上げと一緒にすることなど出来やしない。車を売って、なんて言っていたけれど、車を売ってもそこには女の魅惑的な身体もなければ、欺すスリルもない、転がり込んでくる金の単位も一桁違う、自分のことばで女たちがころころと転がっていく快楽は、それはそれは破滅を知っていても止められなかったのだろうと思うのである。未来の破綻よりも、現在の快楽の方が遙かに大きかったに違いない。それが犯罪というものであろう。

 僕は大学の卒論で、「グロテスクなるもの」というグロテスク論を展開した。もう30年近くも前のことである。未だに、たいしてあの頃から変わっていないと思う。
 そこで展開したのは殺人の快楽だったり、犯罪の快楽、性の不気味、死への誘惑・・・そんなことだったのだ。もちろん小心者だから殺人を犯したり、犯罪を行なったことはない。だが、その感触はなんとなくだが、理解できるのだ。たぶん、理解できるから演出家などをやっているのだろう。

 犯罪とは一種のエクスタシーである。

 一瞬にして狂った自分になると同時に、自己確認をするにもってこいと感じられるような濃密な時間を過ごすことになる。そこには漫然とした時間などまったく流れない。成功の快楽を味わうには苦悩も我慢もたっぷりあるが、犯罪と性は簡単に快楽を手にすることができる最も安易な方法である。だから、犯罪をする者は、一度手を染めると止められないのだろう。
卑近な例で言えば、万引きだ。なんでこんなに割の合わないことを・・・と思うのが常人で、一度、その快楽に引きずり込まれたら、なかなか抜け出せないに違いない。その瞬間、ほんの一瞬に、狂気と快楽がたっぷりと塗り込められているからである。
by kikh | 2007-06-04 16:39 | うひょひょ!
<< 6/4 我慢だ 6/2 書くこと >>


S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
関連リンク