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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
12/18 セゾン文化財団パーティ
 しばらくぶりでセゾン文化財団の年末パーティに行く。堤清二さんも来ていたが、次第に私も知らない顔ばかりになり、と思っていたら、昔、P.A.I.にいた生徒がなぜかいる。お前何やってんだよ、こんなところで、と話しかけたところ。気付いてくれましたか?絶対に気付かないと思って、後でなにか仕掛けようと思っていたんですよ、などと言う。今は燐光群に入っているのだとか。と、すぐ側で坂手洋二が、しつけ悪いよ、まったく生意気で、とかいろいろ言っている。
 と、これをキッカケにこの日は延々と坂手君と5時間以上も話し続けることになってしまった。彼も今は劇作家協会の会長だそうだ。偉くなるもんだ。
 ぼくはあまり舞台芸術界の知り合いが多くはない。相手方は知っていても、ぼくが知らない。それに恐そうとか、そういうイメージがあるせいか、人はあまり近づいては来ない。知っている人は別だが、そうでなければ近づきやすいムードはないそうだ。
 若手はまず知らない。なので、どちらかと言えば、偉くなってきている連中しか知らない。みんなそれなりに偉くなっているのに、思えば、ぼくはまるっきり変わらない。なにも偉くならない。偉くなりたいかと問われればなんとも言えないと答えるだろう。偉くなると良いこともあるが、煩わしさもたっぷりだし、あまりこういうことをしていて偉くなってはいけないという気持ちもある。制作意識と作家意識ではずいぶん違う。作家は偉くなってはいけないのである。

 それはともかく、坂手君とはしばらくぶりに長々と話をした。場所を変えてまではなしをした。途中、ある振付家からよく分からない話を振られたりして、非常に困ったけれど、坂手とは面白かった。

 困ったのは、言葉尻を捉えて話を展開されてもそれでは話は成り立たないということだ。理解しがたい話がほとんどで、たとえば、こんなこと。ぼくが「アメリカを見ていると、やっぱり市場原理主義は間違いでしかない」と言ったとき、「ならば、あなたはイスラム原理主義を信奉する人たちを否定するのか」と返されたり??、ロシアの文化政策を言うと、ロシアの全体主義を肯定するのか?という言い方になってしまったり??・・・これではさっぱり話はかみ合うはずがない。
 市場原理主義とは、市場にすべてを任せ、行政は立ち入らない方針のことだし、イスラム原理主義とは、イスラムのある部分を拡大解釈した主義主張のことで、これを「原理主義」という言葉で一括りにはどうやってもできない。ましてやイスラム原理主義とイスラム原理主義を信奉する人たちを同一視することはできない。信じる人を否定する?・・人は否定しないが、イスラム原理主義自体をぼくは否定する。宗教のある部分の拡大解釈によって成り立つ教義がイスラム原理主義である。それは当然オームにも通じるのだ。そしてロシアの文化政策がすべて良いわけではないのは自明の理であるとともに、その良い部分だってあるわけで、それがイコール全体主義肯定という文脈に繋がるというのは訳が分からない。
 しかし、こういう論理展開で、舞台をやり続けられるのか?と少し気の毒になり、また非常にシンドイ思いを持った。彼は助成金などなくても良いと思っている、と言う。ならば、財団から助成などまったく受けずにやればいい。しかし、それはアマチュアを延々とやっていくしかなくなるということで、人は育たない。自分が満足することが一義ならそれはそれで良い。まったく構わない。ぼくはまるで否定しない。どうぞ、ご随意に、である。しかし、助成を受けることで可能になる範囲はとても広がる。市場にすべて任せることができるほど、文化を創るのは容易いことではないのだ。市場にすべてを任せて可能になるのは、二つの方向性である。ひとつは完全に商業化するという路線。もうひとつは、自分が満足すればいいという方向性。どちらも間違ってはいない。それはそれで良い。しかし、人が育ち、多様な文化を享受する権利を市民が持っているとするのであるならば、ぼくはそれを育成することが非常に大切であると考える。人は人に伝える。それが伝統になる。確固とした基盤になる。ロシアは全体主義だから、というよりも、基盤があるから、舞台芸術面でも可能になる範囲が広がると考えるべきである。もちろん問題もたくさんある。
 助成を受けているのに、助成金などなくても良いという人も不思議だが、そういう人に助成を出すセゾンも何を考えているのか、と不可思議に思ってしまう。まあ、助成申請をしているから助成が降りているわけで、助成申請をしていながら助成がなくても良いと言うアンビバレントさにはぼくは付いていけない。奇妙な世界に迷い込んだような気分になった。舞台芸術界の闇を見たのか、オレは、と思ってしまった。

 閑話休題。
 坂手君とはああでもない、こうでもないと話をしていたが、何を思ったか、彼が突然、3年後に二人芝居をやりましょう!と言いだした。おれと坂手の舞台?なんである。見たいか?ええ?でも、助成金は取れますよ!遊びましょうよ。まあ、それはやぶさかではない。さて、どうなるのか?疲れたを連発していたが、もっともっと珍しく元気なヤツだから、元気なままでいて欲しいとおもうのである。50前に老成化しないように、と思うばかりである。ただ、芝居、芝居と言われるたびにぼくはしんどくなる。芝居って言葉は決して演劇と同義ではないが、演劇と同義に使っている場合が多いと思う。やっぱりぼくは舞台芸術なのだ。演劇に舞台芸術はインクルードされるのではなく、舞台芸術に演劇は含まれるのである。
 さて、この小池vs坂手の二人舞台、果たして実行されるか?とてもとても難しいだろうと思う。遊びは楽しいが、その遊びには危険も付きまとう。だから良いとも言える。さあて、どうなるか、だ。
by kikh | 2007-12-22 00:19 | 日々の記録
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