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★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
3/4 バラーナスから寝台列車
 昼間は台本書き。そして再び沢木耕太郎の「深夜特急」を読もうと思ったら、ない。あ、たぶん、来るときの機内に置き忘れてきたのだと気づいたが、機内でほとんど読んでしまっていたので、まあいいや。沢木の「深夜特急」は本当にあったことなのだろうが、それにしても出来事に満ちている。あんなにいろいろなことが起きるものなのだろうか?だいたい私の場合は、どこへ行ってもあまり人は近づいては来ない。だけど、ううむ、ここインドだけは特別だ。次から次へと人が押寄せてくる。外国人と見るや、こりゃカモだとばかりに次々とやって来る。こんな国があったのかと驚く。僕もいろいろな国へ行っているけれど、ここまでものすごいところは初めてだ、と感じての、昨日の日本人たちの話を再び思い出している。やっぱり歩き回っている奴らは違う。まあ、アフリカあたり行ったら、とんでもないことは多々起きるのかもしれないが。
そうは言っても、ゴードウリャーという中心地に行ったら、本当にすごい。ヒッキリナシ、だ。今日も、本当に腹が立って、うるせえとっとと失せろ、と何度言ったことか。あとは、こいつら、この声をかけてくる奴らを絶対に信用してはいけない、ということをこのインドに来て学んだ。100パーセント信用できない。ホテルまで何ルピーだ?30ルピー。これインド人価格。馬鹿野郎!シッシと追い払う。本当はその6分の1である。そんなことばかりだ。そうかと思うと、今日は錠前を買ったのだけれど、ある店で聞いたら、彼が知っているから付いていけ、と言われ、こりゃあ怪しいぞ、と思ったら、案の定。チェーンだけで200ルピーって言ってるぞ、あんな店はダメだ、他に行こう、と言う。付いていくと、再びハッパ、コカイン・・って始まる。きさまあ、この野郎、いい加減にしねえか、おい、何がホーリープレイスだ、こんなに薄汚くカネカネってやっている街を俺は見たことねえわい。行け。この野郎!と、言うと、ジイサンなんだが、これが突然平身低頭、もう冗談だよ、ごめんよ、ってどこまでも付いてこようとする。あとは手の平で追い払うだけだ。もう犬畜生にも劣る奴らばっかりだという気分になる。ハッパ、コカイン、マネーチェンジって声をかけられるのは20メートル毎か。こんなことばっかりが起きる。最初は、ガンガーの沐浴風景やら火葬風景を見て、思うところは多々あったけれど、そこからほんの30歩くらい上に上がると、突然、現世の醜さばかりを見せつけられる。こりゃあ、本当にガンガーに抱かれて、ガンガーのすべてを流し去ってくれるという水に抱かれて死にたいものだと思うのも、さもありなんだと感じ入った。
牛は神聖な動物とされる。だから、牛はどこでも堂々としている。車が通ろうが、人が来ようが、お牛さまが世界の中心である。小便もウンコもお構いなしだ。だから、ウンコを踏んづけてしまうことはよくある。インド人はウンコを汚いとは思ってはいないのだろう。ウンコはしょうがあんめい、出ちまうんだからさ、ぐらいにしか感じていない。神聖な動物が出すウンコだから神聖さがあると感じてさえいるのかもしれない。とは言え、人間も排便は平気だ。おかまいなしである。神聖な牛がウンコするんだから、人間だって、どこでウンコしてもいいじゃないか、くらいかな。なんせ、繁華街の道路の片隅に寄っていっては背を向けてしゃがむ人たちがけっこういるのだ。どうも人が尻からウンコをひりだしているのを見るのはあまり気持ちのいいものじゃない。ただ、面白いのは、それをじっと見ていると、周りの連中がフォト、フォトって囃し立てることだ。カメラをぶら下げて歩いていて、ウンコしている人間を見ている俺を見て、やつらはほうらカメラに収めろ、いいシャッターチャンスだぞ、とばかりに、ウンコ姿を写真に収めることを願うのである。これがわからない。やっぱり特殊な姿だという認識は持っているからだろうが。

やっと登場人物の名前を決めることができた。こういう作業に時間がかかる。適当に付けられればいいけれど、その後々まで名前は性格を決定させていったりするから、難しい。台本も手を付け出すことができた。でも、このペースでは絶対にインド在中には仕上がらないだろう。でも、とっかかりができたことはそれだけで大きな前進になる。ただ、半分は書き上げていかないとまずい。今は、そもそもインドに来たというのが失敗だったと感じている。インドで書こうなんて、大間違いだった。こんなにハチャメチャであるとは、思ってもいなかったからだ。しかし、混沌は面白い。面白いけれど、半分は辟易し、うんざりさせられ、頭を抱えることになる。インド人の顔を見るのも嫌になったかと思うと、なんちゅう欲望に忠実な奴らなんだろうと感心する。21世紀は中国人とインド人の世紀になると言われるのも、当然のような気がするが、でもこの猥雑さは、アメリカのちょっと形態を変えただけに過ぎないのではないかとさえ思う。あまりに欲望に忠実で困ってしまう。かといって、今、デリーとアーグラーとバラーナスだけでインドを判断するのは大間違いだろう。そして、旅人の短時間の目で見るものなどほんの一部でしかないから、今の感覚的な気分でしかないということにもなるし、これで判断するのは早急過ぎるというものだろう。そもそも大都会と観光地しか移動していないではないか。これは日本を東京と京都あたりで判断しているのと大差ないではないか。田舎の景色はまったく違ったものだ。それは今、書いているのが、バラーナスィからコルカタ(カルカッタ)への移動途中であるため、とてもよくわかる。田舎の景色はどこでもそうだが、のんびりしたものだ。そして、人々の顔つきも違っている。
まったくぐったりさせられたバラーナスィにバイバイを告げ、またこれがホテルのフロントでのちょっとしたトラブルがあったんだが、まあ、こんなことはいつものことで、ともかくインドでは隙あらばなんで、気を付けなければいけないということがわかっていれば問題ないことではある、さて、リキシャに乗って、バラーナスィ駅まで行き、ところが相変わらずで、いつまで経っても列車が来ない。一度案内があって、それによると10分遅れで着くということだったけれど、こちとらよく事情のわからない旅人である。もう10分遅れのはずが20分過ぎ、30分過ぎても姿を現さない。案内は何もない。大きな駅だから、プラットホームが間違っているのではないか等々、心配になるが、駅員さえ見つけ出すことができない。誰が駅員か、まったくわからないのだ。大丈夫だろう、ここはインドだ、と開き直ると、まあ、それから40分後にまもなく到着します、との案内があって、50分遅れでの出発となった。バラーナスィ発22時10分。
絶対にパソコンを車内で開いたり、カメラを持っているのがわかってはいけないと言ってくれたインド人が何人かいた。だから、今、こうやってパソコンを深夜特急寝台列車の中で開くのは言語道断ということになるが、今日は日が変わって、5日朝8時40分だから、もう寝ることもないし、起きている間はずっと手放さず、昼過ぎ、たぶん14時頃になると思うが、ハウラー駅、コルカタの玄関口である駅に到着することになるから大丈夫だ。
それにしてもよく寝た。9時間以上は寝ていたと思う。この揺れがたまらなく気持ちよかった。
列車の窓はすべて黄色いくぐもったフィルターが入っているような色彩に変色している。だから、窓の外の風景はセピア色に変わり、なんとなく昔々の景色を見ているような気分になる。駅に到着し、人々が大勢集まっているような場所でさえ変色しているのだから、いったいこれはいつの時代なのだろうという気分に陥ってしまう。
インドの田舎を旅してみたいものだと思う。今回は混沌の旅となっている。が、田舎の、そう、映画でサタジットレイが描いていたような風景の土地を歩いてみたいと思う。いつになるかはわからないが。まったくいつになるか、想像すらできないが。
by kikh | 2005-03-04 23:33
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