★小池博史★演出家・振付家・美術家・作家・写真家

by kikh
 
2007年 09月 24日 ( 1 )
 
9/23 僕が9歳の頃
 先日、岡本太郎のことを瀬戸内寂聴が書いていた。そのタイトルが、「獣のように呻き走った」だったかな。唸った。今、獣のように呻き、走れる人間がどれほどいるだろうか?
 自民党総裁選を見るに付け、まったく話にならないほどの世襲制が進んでいることに頭を抱える。麻生か福田か、どころではない。小泉、安倍と来て、次は福田、となると、この党はもうダメだ、と思った方がよい。岡本太郎だって、二世と言えば二世で、だからダメだとは言わない。しかし、面白いなあと思うのは、顔つきを見てみればよい。吉田茂と麻生太郎、福田赳夫と福田康夫、どう見ても器が違う。福田康夫の顔は、所詮サラリーマンの顔である。吉田茂も福田赳夫も妖怪が入っている。
 政治家に呻き走られても困るが、しかし、精神は一緒だ。獣のように、とは、結局、突き動かされる情熱のことだ。そして情熱とは結局は愛のことである。薄っぺらい愛のことを言っているのではない。
 芸術家だって、政治家だって、相手にするのはまったく違うが、別種の魑魅魍魎である。そんな妖怪に対し、安倍晋三では、確かに荷が重かっただろう。政治家を人間と思ってはいけない。裏の裏まで見透すことができる妖怪でなくて、本来なら勤まるはずはあるまい。サラリーマンでも勤まる首相なんて、あってはならないことだ。

 宮本徳蔵という作家がいることは知らなかった。もう80近くなるようだが、昭和14年9月のことを新聞に書いていた。単に彼が9歳のとき。9歳のぼくは昭和14年9月になにを体験したか?ということを綴っているだけだ。だが、歴史が凝縮され、そこには宮本さん自身の思いが淡々と、しかし強く書きしたためられていた。こういう淡々としつつも、強い思いを感じさせる文章にはハッとさせられることが多い。年齢の生む技だろう。

 「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」稽古は、今日も楽隊入り。音楽スコアもほとんど出来上がってきた。これでもう一日、音楽稽古があるから、なんとかなるだろう。
 中川俊郎さんは、終わってから、「こんなに音楽を書いたのは実は初めてなんですよ」と言う。普段は、3分とか、10分とか、そのくらいの時間を唸っているのに、1時間以上も作ったなんで、これは修行です。いやあ、楽しい修行です、と言って笑っていた。堀越君も良い笑顔だ。
 作品の詰めに入っている。最後まで仕上がり、あとは精密作業を行うだけだ。
 今日の稽古で、やっと皆の顔が変わりだした。そうでなくてはいけない。稽古は、待つことも必要である。演出が行うことの非常に重要な要素として、いかにして高めるか、ということがある。ただ単にプレスしているだけでもダメなら、プレスしないのもいけない。つまり、時間を読むこと。今、その場で見た感想を言うのなら誰でもできるが、時間を読むことができなければ演出などできないのだ。時間を付加しつつ、ものを見る必要。

 ともかく、獣のように呻き走るか、とあれからずっと納得している。
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by kikh | 2007-09-24 08:32 | 日々の記録


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